冷たい媚薬・第九回
【1】
あいつ。
女達と同じに私をいらだたせる存在。
私をみつめるその瞳に、私の渇きを癒やす輝きはない。
それでも急場しのぎには使える対象だから。
最高の味ではないにしても同じ赤い血には違いない。
電話の呼び出し音は、数を増やすほどに動悸を強くさせるような気がする。
拓斗はしっかりと受話器を耳に押しつけて、単純なリズムに耳を澄ませた。
二十回ほどの呼び出し音の後、コツッと音がとぎれて相手につながった。
「……」
息づかいだけが流れてきた。
眠っていた所を起こしてしまったのかと慌てた。
指定された時間を計ってかけたはずなのに。ナンバーを間違えたのだろうか。
「あの、柏木先生ですか? 俺……拓斗です」
「拓斗……くん……?」
寝ぼけているのだろうか。怠そうな声は確かに柏木医師のものだった。
「あ、すみません、あの、またかけ直します」
「待って……ま……」
慌てたように縋ってきた声が怠そうなままだったのに眉をひそめた。
「先生……? 具合、悪いんですか?」
「た……すけ……て……」
「警察? 救急? ああ、両方電話しちゃいます! 俺も今から行きますからっ」
切ってすぐに通報すると家を出た。
メモの住所には行ったことがない。それでも最寄りまでは行き着くことが出来るはずで……。
駅に走りついてポケットを探った。
財布がなかった。動転していて、脱いだ上着をそのままにしてきたのだった。
「ばっかじゃなかろか!」
思わず自分に対して悪態をついた。家に戻らなければと、方向転換をして駆け出した。
ドスッとぶつかって、転げそうになったところをがっしりと支えられた。
「うわっ、すみませんっ」
会釈もそこそこに、また駆け出そうとして、腕が放してくれないのを知った。
放せよと目で訴えるつもりで腕の主を見上げ、固まった。
「何慌ててるんだい?」
穏やかな琥珀の瞳を微笑ませ、龍樹が見下ろしていたから。
なぜこの人はこう、タイミング良く現れるんだろう。
拓斗は龍樹の顔を見た途端に目頭が熱くなるのを止められなかった。
「……柏木先生が助けてって……電話したら様子が変で……」
「先生の所まで行くつもり? 警察とかには電話したの?」
「うん。でも、俺、心配だから……」
「それなのに戻って来るってのは?」
「財布忘れた。急いでるときに限って俺、間抜けなんだ」
「僕も行こう。乗り継ぎ考えたらタクシーの方が速いかもしれないよ」
待機中のタクシーに合図して乗り込んだ。とりあえず住所に近い大ざっぱな目標を伝えてシートに埋もれた。
「龍樹さん、どっか行くんじゃなかったの?」
「別に対した用事じゃないから。柏木先生の方が大事。いい人だよね、あの人。気になるじゃない?」
「荒い息で助けてなんて言うんだ。大丈夫かなぁ」
「……先生に電話したんだね」
「別に用なんか無かったんだけど……」
「声、聞きたかった?」
「先生のこと、もっと知りたかったし。謝りたかったし」
「用、あるじゃない。何を謝りたかったの?」
「あー。後で知ったんだけど。俺に腎臓くれたでしょ。当然その後入院だよね?」
「まあね。内臓取ったんだから」
「病院辞めさせられたんだ」
「……働けないから?」
「……らしい。俺が元気になったときは入院してた病院まで移っちゃって、どこ行ったかわかんなくて。親も責任感じて探したんだけど、見つからなかった。腎臓提供してくれた先生は、心ばかりのお礼しか受け取ってくれなかったのに」
「そんな人に助けてなんて言われたら、飛んで行かない訳にはね」
「うん。間に合うといいけど……」
「すみません、出来るだけ急いでもらえますか?」
龍樹の呼びかけに、話に耳をそばだてていたらしい運転手はすぐに頷いてハンドルを切る。
ギュンとGがかかった。