冷たい媚薬・第八回
【1】
あいつはね、バカなんだよ。
あんな奴の何処がいいんだ?
ただの平凡な奴じゃないか。
まるで、他に人間がいないみたいな目をしやがって。
くだらない。
くだらなすぎるよ。
「ごめんね」
泉が突然呟いた。
『El Loco』を後にして、駅への道を、肩を並べて歩いている時である。
「……何がです?」
「うちの兄貴……変だから……。普通の人が男に迫られたら気持ち悪いっての、今一分かってないのよね。自分の欲望に忠実って言うか、我が儘なのよ」
「いえ……。なんか、告白されたときは驚いたけど……。気持ち悪いとまでは思ってませんよ。そう思ってたら……こんな図々しく勉強みて貰ったりしてません」
「バイなの?」
「いや。そんなことは……。……そうなるんですかね? 俺、龍樹さんとは親しくしていたいです。いろんな意味で魅力的な人だから……。その、恋愛とかじゃなく」
「……騙されてるよ、拓斗。兄貴は……そりゃ勉強できたし、綺麗な部類にはいるけど。中身はドロドロなんだから」
憎々しげな言い様に拓斗は困惑の溜め息をついた。
「泉さん……。俺も……どう思われてるか知らないけど、ドロドロですよ。心せまいし、臆病者だし……すぐ人の意見に流されるし」
「でも、律儀で誠実だわ」
「そんなことないです」
(欲望に忠実なのは俺の方だ)
自嘲を込めて胸の内で呟いた。
龍樹の思いを知っていてなお、食い気に誘われ『El Loco』に通ってしまう。自分の家よりも居心地の良いそこに。
「我が儘なのは俺の方だから。龍樹さんがどう思おうが平気な顔して店に行っちゃうんだから……。ほ、ホントなら、行っちゃいけないのに……」
自分で言ってみてよけいに嫌気がさす。
ところが泉は、瞬間無表情になってから、クシャッと美貌を歪ませて高らかに笑い声をあげた。
「あっはははは、気にしないでいいって! あの男がどう思おうと関係ないよ。拓斗の顔さえ見れれば幸せなんだから」
「そ……そんなの変だ……」
「そう、変態よ」
まじめな顔つきで挑むように見つめてくる金色の瞳から、視線を逸らしてしまった。
「それでも、あたしの兄貴なの。拓斗には迷惑かも知れないけど。拓斗は変な気を使わないで店に来てくれればいいのよ」
ふっと溜息をついて泉の声が静かに呟いた。
「泉さん……」
項垂れて髪で隠された表情を、拓斗は読みとることが出来ない。どうしようかと泉を見守っていると、またぞろ周囲の空気の流れが変わった。
ばっと顔を上げた泉は、拓斗を見つめてにっこり微笑む。きゅっと両脇を引き絞られた弓状の唇は、艶やかなバラ色に輝いていた。
「ね、十二月二十日、空いてる?」
「き、急になんです? ……空いてますけど……」
泉はイタズラっぽくウインクして、人差し指を突きつけてきた。
「誕生日でしょ。兄貴はパーティする気でいるわよ」
「はあ?」
「空いてるんなら、来るべし。言っとくけど、変な気を使ったら怒るからね。兄貴はやりたくなきゃ頼まれたってやらない奴だから。兄貴のためにも来てやって」
「は、はい……」
「詳しいことは後でねっ」
泉は駅前で手を振ってかけ去った。
細く形のいい脚が軽やかに動いて遠ざかっていく。
「すみません……」
口をついて出た台詞に自ら首を傾げた。
何に対してなのか掴みかねて。