冷たい媚薬・第五回
【1】

どうして奴は本当の美しさに気づかないのだろう。
私は違う。
私は吸血鬼なのだから。
私は、なめらかな肌の下を流れる赤い蜜酒の味を知っている。
それに変わるものなど無いほど素敵なのに……
何故、奴は分からないのだろう……
所詮奴は人間なのだ。
私とは違う。
 
 
 拓斗のその日の予定は大幅に狂ってしまった。
 部屋に射す光が赤茶けて全てをオレンジ色に染め抜いてしまっても、泉はじっと動かなかった。
 ベッドで腕にしがみつくようにして眠っている女は、確かに泉である。
 日焼けのとれた白くなめらかな肌はほんのり暖かく、つやつやと上気している。その柔らかな感触は、先ほどまで拓斗を別世界に誘ったものだ。
 朝、友達ならと答えて、その日のうちにただの友達ではなくなってしまったなんて。
 拓斗は泉の長い睫を見つめながら小さく溜め息をついた。
 あの男……。突然現れたあの男を見た途端、泉の様子が変わった。本当に気分が悪そうで、か弱く今にも消え入りそうで……。思わず自分の家に連れてきてしまった。
 事実、泉は拓斗の家についた途端、トイレで吐いたのだ。胃の中に何もない状態になっても吐き続けたようだ。
 拓斗はただ、泉の背をさすってやる事しか出来なかった。やがて落ち着いたところでキッチンまで連れて行き、うがいをさせた。
 リビングのソファに座らせ、ホットミルクを渡す。
 終始黙ったままだった泉がミルクを一口だけ飲むと、カップを握りしめたまま肩を震わせ始めた。
 泉が脆く小さく見えた。あこがれの先輩ではなく、弱々しい壊れそうな女がそこにいた。
 泉の端正な横顔が涙でぐしゃぐしゃになっている。それでも泉は綺麗だった。
 嗚咽でわななく唇を目にしたとき、ドクンと耳の中で音がした。
 それが、体中に圧力となって拡がっていく。心臓の音だ。拓斗の意識を押し包むように、音量と速度が増していく。
 泉が拓斗の胸にしがみつき身体を預けてきたとき、拓斗の中で何かがはじけた。体と心が切り離される。
 気がついたときは、奇妙な開放感の中で泉に包まれていた。その柔らかで暖かい感触が、脈動しながら拓斗を揉みしだく。今まで経験したことのない快感を、拓斗は罪悪感と共に味わっていた。
 我に返って半ば泉の弱みにつけ込んだ形になってしまったことに気づいたのに。身体はそんなことはお構いなしに泉を味わい続けてしまった。
 泉がどうやら初めてではないらしいことは、拓斗をリードするようなその動きで分かった。だが、その事実に、身体の欲望を先行させてしまったことに対する自己嫌悪を払拭するほどの力はない。
 せめて泉をいたわりたかった。どうすればよいのかよく分からなかったが、泉の嬉しそうなうめきが聞こえてくる場所を、泉がしてくれたように出来うる限り優しく触れ、唇で愛撫した。
 そうして、拓斗が何度目かの頂に上り詰めたとき、泉が喘ぎながら言った。
「拓斗、ありがとう。あたし、まだ、好きになれる。人を、好きになれる……!」
 拓斗の耳に響いた泉の言葉。それが、泉の寝顔を眺めている今も頭の中でリフレインしている。
 あの男と、泉と、そして龍樹。何があったのかは知らない。泉や龍樹の表情から、とても嫌なことだという事は分かったけれど。
 そこに、拓斗が割り込んでしまった。龍樹はどう思うだろう。
 不意に龍樹の射抜くような不思議な視線を思い出した。優しく、切なく、それでいて怖い。
 泉と関係を持ってしまった今、龍樹の視線はどう変化するのだろうか。拓斗は恐怖と共に一種特別な好奇心を抱いている自分を発見し、眩暈を感じた。