冷たい媚薬・第14回
炎が揺れてる。どうしてかしら。
電気。電気のスイッチ、どこだろう。
真っ暗で、あんなロウソク一つじゃ、何にも見えない。
誰か寝てる。
佐伯のおじちゃん。いつもこんな暗い蔵で何してるのかしら。
「おじちゃん、そんなとこで寝てると風邪ひくよ」
おにいちゃまの真似して言ってみた。
あたしならちょっとぐずって見せて起きるのに。
「おじちゃん……?」
死んじゃった犬みたいに動かないんだもん。ちょっと怖かった。
そっと近寄ってったら、急に起きあがって、あたし、思わず叫んじゃった。
「やあ、泉ちゃん、どうしたんだい?」
「おばちゃんが、スイカ、持ってけって」
ずいっと突き出したお盆を、おじちゃんが受け取ってくれれば、あたしのお使いは終わるのに。
暗い所で見るおじちゃんは、なんだか怖い。
いつもは一緒に遊んでくれる優しいおじちゃんなのに。今も笑ってるんだけど、怖いの。
目が……あたしを突き通すみたいで、怖い。
「こんなに、僕一人じゃ食べられない。泉ちゃんも一緒に食べない?」
あたしは食べたくないって頭を振った。スイカは大好きだけど、この、暗いところで食べるのはいやだった。スイカの種が、ロウソクの光で動いて見える。まるで虫みたい。
「お外で食べた方が美味しいよ。きっと」
おじちゃんごと外に出してしまいたかった。ロウソクの光がいけないんだ。きっと。
「ここじゃだめなの?」
うん。
ここはいやな場所。おじちゃんが怖く見えるなんて、ここは変。
だから、あたしはおじちゃんを外へ引っぱり出そうと腕を引っ張ったのに。
逆におじちゃんに引っ張られて、転んでしまった。
「いたっ」
ぶつけた膝をさすってたら、おじちゃんが一緒にさすってくれた。
「大丈夫? ごめんね」
ぺろんて舐められて、くすぐったい。
「や……」
そんなことしてくれなくてもいいって、おじちゃんから離れようとしたら、おじちゃんの手があたしの肩を押さえた。
おじちゃんは、傷のない所まで舐め始めた。生暖かくって、湿ってて。犬のケンサクや、猫のミサオに舐められたのとも違う。
「くすぐったいよ。はなして」
ホントは、怒られるから言わなかったけど、くすぐったいより気持ち悪かったの。
おじちゃんの力は強くて、あたしのこと押しつぶすくらい簡単そうだった。
パンツの中に手をいられたとき、もうやだって暴れたら、ぶたれた。
何にも見えなくなって、何にも分からなくなった。
目が覚めて気がついたのは、おなかが痛かったから。
あたしはまだおじちゃんに舐められてた。
おなかが痛かったのは、何かが足の間から何度も突き刺さってたから。それが入ってくる入り口も多分痛かったんだろうけど、火傷のヒリヒリみたいで、痛いのにもなれちゃった変な感じ。おなかは無理矢理何かを押し込まれる感覚が、そのまま痛みになってるんだった。
これは太い注射だ。そんなの打たれたことないけど、きっとそう。ぐいぐいって押し込まれてくるものは注射の液。
きりきりっと痛んだ後、おじちゃんがあたしの上で力を抜いた。今度こそあたし、押しつぶされちゃうっておもったら、おじちゃんの身体が退いた。一緒に注射も抜けた。
その途端、あたしはおしっこ漏らしてた。
足の間をドクドクッて濡らしていくおしっこは、注射の痛みのせいか、いつもと全然出すときの感覚が違うけど。
どうしよう。よそのお家でお漏らしなんて。
おにいちゃまもいないのに。恥ずかしいよ。
おじちゃんに全部見られた。
あたしは恥ずかしくて、顔を両手で覆って泣いた。
「泉ちゃん。泣かないで。おじちゃんが綺麗にしてあげるから」
どこから持ってきたのか、ティッシュをいっぱいつかんだおじちゃんが、あたしのおまたを拭き始めた。
「や……」
自分で出来るからって、手を添えたら、おじちゃんがにっこり笑った。
「ほら、パンツは濡れてないから、綺麗にすれば、大丈夫。誰にも判らない。僕たちだけの秘密だよ」
「どうしてぶったの? どうしてあんなところに注射したの?」
「注射?」
おじちゃんはちょっと首を傾げてから、すごく面白そうに笑った。
あたし、変なこといっちゃったのかな。
「ぶったのは暴れたから。注射は、泉ちゃんがもっと素直になってくれるようにしたんだよ」
「素直って……?」
「僕と泉ちゃんは秘密を持っちゃったんだから、もっと仲良くしなくちゃいけないんだ。泉ちゃんが嫌がったりすると、僕は秘密をみんなに言いたくなっちゃうから。仲良くしようね」
笑わない真剣な顔で言うおじちゃんは、やっぱり怖くて、仲良くしたくなんかなかったけど。お漏らしのことをおばちゃんたちに言われたら困るから、あたしは頷いた。
縛られたまま語り続けた泉の口元が息をつくように閉じられて、龍樹と拓斗は顔を見合わせた。
「なんか……それって……」
苦しげな呟きは拓斗のもの。
泉が受けた暴行を想像して、拓斗は口元を苦そうに拭った。
服を破って互いの止血をしつつ、助けを呼びにいけないのは、加害者が泉だから。
「おじちゃん……栄太って人のことだよね」
「ああ……。当時9つくらいの泉から見れば、おじちゃん……かもな。普段は物静かで、優しそうな人に見えないこともないけど……。伯母さんもすごい言い方してたし。ホントにそういう奴だったんだな」
「泉さん、懐いてたのかな?」
「そうだな、どっちかといえば……そうだったかも知れない」
考え込むように呟いて、龍樹はある見方に気づいた。
「泉、どこのおばちゃんがスイカ持ってけって言ったの?」
龍樹の詰問調にビクッと肩をこわばらせると、泉は上目遣いにボソッと言った。
「……佐伯の……おっきいおばちゃん」
「……おっきいって……後妻だな。狙ってたんじゃないのか?」
「え?」
「跡取りの長男を排除したかったんだろ。奴が事件起こせば、なんとかなるもんな」
「じゃあ……泉さんは良いように使われたの?」
「うん……多分ね」
龍樹は涙ぐむ泉の口に好物のキャンディを放り込みながら、心配そうに妹の表情を見守った。
「……おじちゃん……うそつきだったんだよ」
再び口を開いた泉の声音は、飴を転がしながらのせいで舌足らずに響いた。
あたしが、ものすごーくもの知らずなお馬鹿さんだって知ったのは、おじちゃんに三回くらい注射されてからだ。
お漏らしは注射のせいだった。おしっこと違う色の液は、臭いもおしっこと違う。おじちゃんの注射の液が入れた所から漏れてただけ。
注射器だと思ってた物は、おにいちゃまも持ってるおちんちんだった。
ズボンの中に入っているときはそうでもないのに、グニャリとしてたものが、ぐんって大きくなって硬くなるのを、あたしは見てしまったから。
おじちゃんが舐め始めるのは、首とか胸だけど、最後はいつもおまたのところ。ピリリって感触の違う所を、一番しつこく舌でつつく。最初は単純に電気が走るだけだったのに、今は気持ち悪い。それは、おじちゃんのおちんちんがあたしの中に入ってくる前触れだから。無理矢理入ってくるそれは、あたしの中をこすりあげて、最後にあの臭い液を吹き出すんだ。
「もうやあああっ!」
おじちゃんがしなければ、あたしだってお漏らししない。
「おにいちゃまっ! おにいちゃまあああっ」
どうして今年の夏は一人で来てしまったんだろう。
おにいちゃまに、合宿はやめにして一緒に来てって、一所懸命お願いすればよかった。
おにいちゃまと遊んでれば、おじちゃんと秘密を持たなくてすんだんだ。
あたしは暴れた。
またぶたれるかもしれないけど、もうイヤだった。おじちゃんの注射も、舐められるのもイヤ。
滅茶苦茶に暴れて、何かにぶつかった。
蔵は、おじちゃんの隠れ家だったけど、佐伯のお家のいろんな物がしまわれてる普通の蔵で……。
棚から何かがドサドサって落ちてきた。
あたしの上に覆い被さるようにしていたおじちゃんに、まずぶつかった。
ゴグッと変な音がして。おじちゃんが重たくのしかかってきた。このままじゃ、つぶされちゃうよ。
あたしは夢中でおじちゃんの下から這い出した。丁度プールでターンをしたときのようにおじちゃんを蹴って前に出る。おじちゃんは気絶したらしくて、あたしがけっ飛ばしても動かない。おじちゃんの注射よりは痛くないはずだもん、いいよね。
けど、やっとおじちゃんから離れて立ち上がったら、あたしの脚はあんまり上手に立つことが出来なかったらしい。ドンと後ろによろけてぶつかった。
そしたら、また雪崩が起きて……。
色んなものが落ちてきた。ズシャッと何かが落ちて床に刺さったとき、その空気を切り裂くような勢いに、あたしは身を竦めた。
びよよよんって何かが揺れてた。
それは蔵の鴨居に飾られていたはずの槍。
おじちゃんに刺さらなくてよかったと、危ないから槍をどけようとした。すごくおじちゃんに近いところに刺さってたの。
あたしは誰かを呼ぶべきだったんだ。
あたしが槍を引き抜いた途端、ブシュッて変な音がした。ほっぺに何かが飛んできて、思わず手で撫でた。べたってちょっと粘った感触。
暗い中で目を凝らしたら、それは赤黒かった。
きったない。変な水が飛んできた。
そう思って飛び退いた。
でも、水はおじちゃんの首から吹き出てたんだった。真っ赤な水。ううん、血だ。
おじちゃんの血……。
「おじ……ちゃん……?」
おじちゃんの周りにどんどん血の海が出来上がっていく。
誰か呼ばなきゃ。
外に駆け出そうとして転んだ。
あたしの脚が、変な風にもつれた結果。
その後は覚えてないの。
どうしてあの蔵が火事になったのかも。
ただ、おじちゃんとの秘密がみんなにばれなくて済んでホッとしたの。そんな風に考えちゃいけないんだけど、本当はそうだったの。
訥々と語られる泉の話を聞きながら、龍樹は苦痛に顔を歪めた。
「泉……帰ってきた時に様子が変だったのは、そのせい? 僕が付いていかなかったから、そんな酷い目に?」
それを聞くと、泉の金色に潤んだ眸から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「泉はバカなんだよ」
突然口調が変わって、龍樹は眉をひそめた。
「もの知らずで、バカだから、あんな男にいいようにされたのだ」
冷笑的な口調は、先ほどまでの子供じみたしゃべりとは全く違う。
「君の名は?」
「ジョーダン」
「……男?」
「私は泉の保護者だ」
微かに胸を反り返らせた尊大な口調は、か細い女性にはそぐわない。
オヤジみたいだ、と拓斗は思った。龍樹も同じ考えのようで、呆れたように呟いた。
「それはそれは」
「泉は故意ではないにしろ佐伯を殺した。間抜けにもそのまま人を呼ぼうとするから私が転ばせて替わったのさ」
「どうして?」
「泉がされてたことを広めたくないし、殺しだからな。二度目以降、佐伯は泉を連れ込むときは注意深かった。泉がそこにいた痕跡さえなくせばいい。だからロウソクを倒した。燃えやすいものを集めてね」
「泉は知っているのか?」
「もちろんだ。私が尻拭いをしてやったのだって知っている。泉は怖がって外に出なくなったんだよ。泉の振りをするのは結構面倒だったな……」
「それからずっと君が泉になっていたのか?」
「いや。私は太陽が苦手だからユイナを呼んだ」
「ユイナ……?」
「女優だそうだ。泉の振りをして貰うのに丁度いいだろ? なかなかにしたたかな好き者だった。長谷部に抱かれて喜んでいたのがそいつだ」
「拓斗も……?」
「さあな」
「拓斗を殺そうとしたのは、なぜ?」
「知らない。後から出てきた奴だろう。あの女と話してると時々気が遠くなるんだが、あの女の命令じゃないかと私は疑っている」
ジョーダンは眉をひそめて内面を探査するように目を閉じた。
「保護者の私が把握できない人格というのは初めてなのだ」
「って? 誰のこと?」
「……デボラ……」
ふっとジョーダンの表情が消えた。
尊大ぶった空気が消え、憎々しげに歪められた泉の顔は憎悪の固まりのようだった。
「君は誰?」
龍樹の問いかけに、クッと口角だけを引きつらせた笑いを浮かべてみせる。
「呼ばれたから来てみたのよ。あたしを呼んだでしょう?」
「……デボラ……?」
「ええ! よくご存じね!」
おそるおそる尋ねた拓斗に、デボラは屈託無い笑顔を目だけ憎しみにすげ替えて見せつけた。
「あんなに一緒に楽しんだのに、初めて会うような顔して、失礼ね」
「あ……じゃぁ……」
カアッと赤面する拓斗を、せせら笑うように泉の顔が歪みを増す。
「ま、途中から変わったんだけどね。ユイナのテク、すごかったでしょ」
「あの……」
「やめなさい、そんなこと言うのは」
「あっははははは!」
苦々しげな龍樹の言に、高笑いで答える。
「うらやましい? そうよね、兄貴には味わえないものだもの。拓斗の、よかったわよう」
「やめろ!」
泉をぎゅっと抱きしめて、龍樹は髪に顔を埋めた。
「……止めてくれ……お願いだから……」
「……僕に触るな!」
低く唸られて、龍樹は身を引いた。
「あんたが全部悪いんだ! 拓斗まで僕から盗ろうとして!」
「い、泉さ……」
「いいかげんになさいな」
背後からいきなりアルトの声が響いた。