11
 
 気がつけば、あたしは、自分の部屋のベッドにいた。重苦しい程の重みを体に感じて身の回りに目をやると、ひろしが、ぐったりとしたままあたしの上にのっかっていた。
 それと。
 既に高くなった陽の光で影を濃くした両親の顔が、あたし達を見おろしていた。
「ぎゃーっっ!!」
 火事場の馬鹿力って奴だろうか、あたしは、悲鳴と同時にあたしの上のひろしをはね除けて、ベッドから転げ落としていた。
 慌てて自分を確かめる。……良かった、服着てる。
「……ったい……なぁ……。誰……?」
 ひろしは首を振り振りからだを起こした。義父がひろしの前に仁王立ちになっている。ひろしを見おろす義父の目は、血走っていて、怒りの炎が浮かんでいるように見えた。ひろしは、顔を上げたとたんその炎に曝され、まずいと言うように顔を歪めた。小さく開いた口から、声が漏れる。
「……げ!」
 ひろしは、義父と目があった瞬間、はり倒されていた。
「貴様という奴はーっ!!」
 義父の怒声が、あたしの部屋を駆けめぐった。
 母は母で、あたしの方を睨み殺さんばかりの、でも、哀しい瞳で見つめていた。
 もう、二人の考えていることは一目瞭然。
「ちょっと待って下さい、御父様! あたし達、変な事してません。ねえ、お母さん、信じて! ひろしは、何にもしてないのよ」
「おだまんなさい!」
 母は拳をふるふるさせて、殴りたいのをやっとのことで我慢していた。それから、つーっと片腕をドアの方に向けた。
 その先には、見事に破壊されたドア。
「この状況を、どう説明するつもり? あなた達は、お留守番もきちんと出来ないの?」
 ひろしの視線を感じて、あたしはおし黙った。何にも言うなって、その目は言っていたから。
 ひろしは、ゆらりと立ち上がって義父や母を見おろした。真摯な表情で、少しうなだれ、聞く者が思わず言葉を待ってしまうような感じ。
「俺が……」
 ひろしが義父の前で「俺」って言うの、初めて聞いた。ひろしの中で、何かが変化している。あたしの方も、昨日までとちょっと違うかもしれない、って気がした。何だか、ひろしがすごく逞しく見える。
「俺がやったんだ。俺がさやかを口説いたから、さやかが部屋に逃げて鍵かけたんだ。それで……」
 そこまで言って、またひろしは義父に殴られた。今度は、本棚の方まで跳ばされて、ぶつかった衝撃で落ちてきた本が何冊か波状攻撃をした。
「よくもぬけぬけと!」
 まだ殴り足りないと言うように、義父がひろしの方に向かっていったので、あたしは慌ててベッドから飛び出し、ひろしを庇うように立った。
「お願い! 最後までちゃんと聞いて!」
 母が、義父の腕に手を置き、小さく頷いた。
 あたしは、ひろしを抱き起こしながら、チャールズ達にふれない範囲で、部屋に侵入者があったこと、あたしの声でひろしがドアを蹴破り救おうとしたことを説明した。
 それから、吉住さんのこと……。
 どう言えばいいのか、話しあぐねていたら、母がハッとしたように義父の袖を引いた。
「吉住さんは?」
 義父は、そんなことはどうでもいいというような、苦々しげな一瞥を母に与えたけれど、まともに応えた。
「車は戻っていたぞ。その辺にいるんじゃないか?」
「いないよ」
 即座にひろしが口を挟んだ。
 義父は、唇を切って血を滴らせているひろしの顔を、まじまじと見つめた。
「何でお前が知っている?」
「あいつ、昨日……」
 そこまで言いかけて、ひろしは母に遮られた。
「吉住さんなのっ?」
 そう言った母は、すごい形相をしていた。瞳の中に怒りの炎が燃え上がっているって感じ。
 とっさに、あたしは母が何のことを言っているのか分からなかった。
 ひろしが黙って頷いて、そしたら、義父と母が目配せし合って……。
 結局、侵入者は吉住さんということにされてしまった。
 どうやら吉住さん、母達に黙って車を使って抜けだしてきたらしい。確かに、計画通りなら、どこにも出なかったようにパーティ会場に戻っていればいいのだから、断ってくるわけないよね。
 それにしても、ひろしってば、ずるい。
 結局、吉住さんだけが登場人物で、悪役って事にしちゃったんだから。
 何となく吉住さんに悪いような気がしたけど、まあ、殺人未遂よりはましか……。
 どっちにしろ、あたしに迫ったひろしは、両親から大目玉を食らった。
 だけど、あたしは、ひろしが殊勝な顔しながら二人の目を盗んであたしに目配せし、もう今まで通りじゃないって事をその瞳が言っているのに気がついていた。
 ったく、露骨なんだから。
 そう思いながら、ちょっと嬉しい気もして、自分で自分に驚いていた。
 ひろしのこと、弟だなんて、冗談でも言えなくなってしまった。あたしにとってひろしは、一番大切な人かもしれない。少しずつそんな想いが膨らんできて、あたしの心がひろしで一杯になっていくのを自覚せざるを得なかった。
 あたしは、ひろしに向かって、そっと微笑んで見せた。
 チャールズの言うとおり、ひろしは、あたしにとってナイトだった。あたしだけの……。
 この際、高水流がどうこうより、自分の気持ちに素直になりたいと思い、高水の家を出ることを決意した。ずっと考えながら、決定を先延ばしにしていたのは、やはり母のこととかあったんだけど。今考えると、ひろしという弟と縁が切れて、会えなくなってしまうのが一番ネックだったんじゃないかと思う。
 妙な体質にされたのはちょっと引っかかるけど、取りあえずあたしのどっちつかずの生活に活を入れてくれた、あの不思議な二人には感謝しなければいけないのかもしれない。
 亜麻色の髪の穏やかな微笑みが印象的な青年と、金糸の髪をたなびかせた青い宝石のような瞳の貴族は、明くる日にはあの洋館から姿を消していた。
 あの、長椅子や暖炉のあった部屋ですら、人の居た痕跡が見つけられないほど見事な消え方だったので、あたしは変に感心させられた。
 チームの子供達に説明するのに苦労したけど、ロイが定着することの方が考えにくい状況だったから、みんなは思ったより簡単に納得してくれた。
 ドアがなおって、両親の風当たりも普通になった頃、ずっと行方不明だった吉住さんが見つかった。
 どこにいたのか、あの時の服装のまま薄汚れた姿で、美代子の死んだあの駅に現れたらしい。目撃者の誰もが、吉住さんはよろよろと自分からホームに倒れ込むように入ってきた電車の前に飛び込んだ、と証言した。
 当然、自殺と言うことで処理されたし、あたしとひろし以外は誰もそれを信じて疑わなかった。
 後で判ったことだけど、吉住さんは高水流のお金をだいぶ横領していたらしい。見る限りでは、大した贅沢をしている様子はなかったけど、たぶん、ひろしを狙った計画の数々にお金をつぎ込んでいたんじゃないかと思う。
「確かに、ひろしが生まれるまでは吉住に継がせようかとも思っていたが……。あいつは頭は切れるが裏表があったからな。どうも高水流をまかせる気にはならなかったんだよ」
 吉住さんのことで義父に問いただしたとき、そういう答えが返ってきた。
 お弟子さん達とも、お金の貸し借りや、男女関係で、トラブルがいくつかあったらしい。
 そんなこんなで、自殺してもおかしくないとみんなは思ったわけ。
 美代子に関しては結局自殺って事になり、子供の父親に関しても、「判らない」で済まされてしまった。
 それだけは本当に心残りだった。美代子が見せた弱々しい微笑みが、あたしの記憶に焼き付いている。だけど、チャールズの血を飲んだあたし達は、本当のことを言うことが出来なかった。言おうと口を開くだけで、見えない力に呪縛され、身体がいうことをきかなくなってしまうのだ。あの血は本当に、あたし達の動静を知るためだけだったか、怪しいものだと思う。