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「おい、起きろ! さやかっ起きろってば」
 ほっぺたを何度となくペチペチやられて、あたしは目を醒ました。
 ひろしがベッドのはしに腰掛けて、あたしをのぞき込んでいた。日課のジョギングとシャワーを済ませた後らしく、髪が少し湿っていて、シャワーソープの香りをまとわりつかせている。
「どうしたんだよ、寝起きのいいのだけが取り柄だったのに。俺はさやかの目覚まし時計じゃないんだぜ」
 そう言いながらひろしは、あたしの額を小突いた。
 こんなに馬鹿にされて、あたしって何?
 でも、ひろしから言われると、あっちの方がなんでも上な分、言い返せないのよ。悔しい事に。
 それに、ひろしと言い合いをする気力も、今のあたしにはなかった。
「なんだか、すごくだるいの。んー、ひろし、手えかして」
 最近奴は、あたしに触れるのを避けてるみたいだったから、ちょっと嫌がらせの気分。
 ひろしに向かって手をのばすと、彼はいやいやあたしの手を取り、一気に引き起こした。
 が、勢い余ってあたしはひろしの胸に激突した。
「きゃっ」
「うわっ」
 ひろしはあたしと同時に叫んで、ベッドからとびのいた。多分また、顔を真っ赤にして。
 あたしは、鼻を打って目の前に散った火花が消えるのを待ってから抗議した。
「いったーい。ひろしったら、力いれすぎだよぉ」
 でも、ひろしはキョトンとして、あたしと自分の手を見比べてる。
「なに?」
 あたしが訊ねると、訝しげな顔であたしを見て、
「おまえ、ダイエットしてんの?」
 と、きた。
「なにそれ、してないわよ」
 自分で言うのも何だけど、プロポーションは結構自信あるんだからね。鍛えてあるわけじゃないけど、出るとこは出て、ひっこむとこはひっこんでるし。
 ひろしはニヤッと笑って、
「このあいだまで豚みたいに重かったのに、今日はすっげー軽くて、調子くるっちまった」
 と、言った。
「ちょっと、なんて言いぐさ? あんた、いっぺん死んでみる?」
 あたしは、ひろしの胸ぐらを両手で掴んで睨みつけた。もっとも、身長一六〇センチのあたしが一八五センチのひろしを睨みつけても、なんとなく迫力ないけど。
 ひろしはもの柔らかにあたしの手をはずすと、おどけた調子で、
「おーこわ、姉君はご機嫌麗しくなく、学校を遅刻なさるご様子。されば殺されぬ内に退散、退散」
 と、言い、大げさにおじぎをして出て行った。あたしの投げつけた枕は、ひろしが閉じた扉に大きな音をたててぶちあたった。
「本当に遅刻するぞぉ!」
 音に呼応して、扉の向こうでひろしが怒鳴った。
 言われて、あたしは壁の時計に視線を移すと……。
 げ。
「八時ぃっ?」
 どうせ起こしてくれるんなら、ジョギング行く前とかにしてくれればいいのに。
 あたしは、大慌てで身支度を済ませ、食堂に降りた。食卓にセッティングされてる中からミルクだけ取り、一気に飲み干すと、歯磨きセットをひっつかみ、母の怒声を背に受けながら外に飛び出した。
 走れば二〇分の電車に乗れるはず。どっちにしろ本鈴には間に合わないけど、一時限には間に合うはずだから、まだましよね。
「さやかっ、こっち、こっち!」
 駅まで走って行こうとしていたあたしを引き止めたのは、ひろしだった。
「やだっ、先行ったんじゃなかったの? あんたも遅刻になっちゃうじゃない」
「吉住さんが、送ってくれるって」
 仏頂面のひろしの肩ごしに、なるほど車の側で、まだネクタイをしていない真っ白なワイシャツ姿で、にこにこ笑っているのが見える。
 吉住さんていうのは、義父の秘書。同じ敷地に住んでいて、義父の運転手でもある。父子二代にわたって勤めていて、高水流の事務的な側面はほとんど彼が仕切っていると言ってもいい。ひろしが手伝わされている事も、彼の下での仕事。
 まだ二〇代後半で、とにかく切れ者でやり手。一流どころの大学を主席で卒業して、どこの企業に入っても遜色無いだろうに、学費を出したのが義父だったからなのか、こうして高水流の事務面を切り盛りしている。
 リクルートファッションが、ここまでしっくり似合う人もそういないだろうってよく言われるくらい、バリバリのエリート風の容貌の持ち主。金縁の眼鏡さえ嫌味に見えないってのは、なかなかすごい。
 友達の美代子なんか、家にきて彼と会ってからすっかりファンしてる。だけど、優しくて控えめな人で、あたし達姉弟は小さい頃から彼の世話になっていたの。本当のお兄さんみたいに。
 ひろしは何故か、彼の事あんまり良く思ってないみたいだけどね。今だって、こんなよけいな仕事、にこにこしながらやってくれるのに。「恩知らずだわ」って思いながらひろしの方を見たら、あたしを見つめている涼しげで穏やかな瞳とぶつかってしまった。
 それであたしは、ひろしがどんな子か思い出し、心の中で恩知らずと言った事に対して後免ねと呟いた。たぶん、あたしの知らないところで、ひろしなりの理由があるんだろうと思って。
 あたしは、ひろしの視線に火をつけられた両頬を持て余し、逃げ出すようにひろしの脇をすり抜けて車に向かった。
「わーん、吉住さん、ごめんなさい。朝から」
「さやかちゃん、調子悪いんだって? むりしちゃダメだよ」
「ただの寝坊なんです。明日から気をつけますう」
 うちの学校は、私鉄で駅五つ行ったところ。繁華街を突き抜けて、六、七分歩くと着く。車で行けば二十分位かな。とにかく、遅刻は免れる事ができてラッキー。
 あたしは喜々として車に乗り込んだ。
「ねえ、吉住さん、この近くに古い洋館があったでしょ。あそこの住人知ってる?」
 近道のために丘を越えたところで、窓から外を眺めながら、ひろしがいきなり言い出した。チャールズ達が言っていた家の事だ。
「いきなり何?」
 あたしが聞いても、ひろしは外を見たままで、表情が読み取れない。
 吉住さんも、ちょっとだけ訝しげにして、それでも知ってる事を教えてくれた。
「十五年前まで、イギリス人が居たらしいけど。後は、空き家だったんじゃないかな。売りに出てた事はないから、どっかに持ち主がいるんだろうね」
「ふうん、どんな人だったんだろうね」
「さあてね。僕も詳しくは知らないから。ただ、あそこは、今じゃすごい値上がってるから、あのままじゃもったいないね。どんな人が持ち主なんだか。…ひろし君、何だってそんな事気にするの?」
「あそこ、また、人が住み始めたみたいだから」
 あたしが代わりに答えた。
「ほんと? さやかちゃん、会ったの?」
「うん、あたし達くらいの男の子二人。外人なのに、やっけに日本語上手なの」
 黙ってろと言うように肘でつつくひろしを無視して、あたしは続けた。
「なんだかすごい美形で、上品で、貴族みたいな感じなの」
「へえ、貴族かぁ。いるんだなあ、そういう奴って……」
 あたし達は一斉にため息をついた。それぞれ思惑は違ってたかもしれないけどね。
 吉住さんは、ぴったり本鈴五分前に、あたし達を送り届けてくれた。心の中で手を合わせ、お礼の言葉もそこそこに、あたし達は各々の教室に走った。
 本当に、明日はきちんと起きよう。
 ホームルームの後、一時限の先生が来る前に、あたしはトイレに走った。もちろん、歯を磨くため。だって、やっぱり、口の中が気持ち悪いのよ。なにか口にした後、磨いておかないと。
 限られた時間でシャカリキになってるとこへ、美代子と歩美がやってきた。あたしを、黙っていれば美人と言った張本人達。
「なにやってるのお?」
 歩美が目を丸くして、訊ねた。と言っても、いつも、目を丸くしてるような表情なんだけど。
 あたしは口の中に歯ブラシをくわえたまま、答えた。ちょっと、苦しい。
「歯磨き」
「だからね、何で今やってるのかってこと」
「寝坊したから」
 あたしは口を濯いでから続けた。
「なんか、だるくて、起きられなかったのよ。車で送ってもらわなかったら、完全遅刻。あんた達こそなによ、早くしないと先生来ちゃうよ」
「一時限休講だよぉ。さっき、男の子達が見てきたの。繰り上げきかないから、空き時間だって」
 ったく、人が急いで来てみれば…。
 うちの高校は、単位制。大学みたいに自習がなくて、休講になるの。
 今日みたいに一時限とかがそうなると、六時限の授業の先生に繰り上げて来てもらうこともある。そうすれば、早く帰れるの。もちろん先生のスケジュールが合えばの話。合わなければ、空き時間として、各自勝手に時間をつぶすの。図書室で勉強するもよし、学食でお茶するもよし、校庭の隅で遊ぶ子もいる。
 あたしは、今日の慌てぶりを考えて嘆息した。
「ふっ、やられたわね。ゆっくりご飯食べてくれば良かった。学食行ってうどんでも食べてこようかな。一緒に行かない?」
 歩美が、静かに首を振った。
「美代子が気持ち悪いっていうから、ここに連れてきたの。食べ物の臭いかがせない方がいいと思う」
 なるほど、言われてみれば。
 歩美の後ろに、幽霊のような美代子を見つけて、あたしは驚いた。
 いつも一人で三人分はにぎやかにできる元気者が、血の気の失せた土色の顔をして静かに立っている。
「美代子、吐きたい?」
 力なく首を横に振る美代子が、なんだか痛々しい。足に力が入らないらしく、膝をがくがくさせて、歩美に重心を預けている。
「なんだか貧血っぽいよ。保健室連れてこうよ」
 あたしは、歩美を助けて反対側から美代子を支えた。
「朝来た時から元気なかったんだけど、気分悪いって言い出してから、見る間に血が引いてっちゃって…」
 歩美の戸惑いはよく解る。
 美代子は自分でも言っていたけど、こういう事とは無縁な子だったのよね。小学校から体操をやってて、国体にも出たくらい。伸びやかな引き締まった体と、からっとした明るい個性が、いつも彼女を弾んでいるように見せていた。それが、今は別人みたい。
「美代子ぉ、なんか悪い物でも食べたの?」
 歩美の問にも、首を振るだけ。
 とにかく、あたし達は、美代子を保健室のベッドに寝かした。頭を低くして。
「貧血だから、ちょっと休んでれば大丈夫よ。ちゃんとバランスよく食べて、睡眠もしっかりとらなきゃね。何度もなるようなら、検査してもらわなきゃ」
 ごもっともな保健の先生のコメントに、あたし達はうなずいて、部屋を出ようとした。
「あ、高水さん」
「は?」
「あなたも気をつけなさい。顔色あんまりよくないわよ。ここんとこ、貧血の子が多くてこまっちゃうわ。全く」
 あたしは、はい、と返事をしながらも、納得できないでいた。
 あたしも?
 この、あたしも?
「歩美、あたし、顔色悪い?」
 歩美は小首を傾げて、あたしを見た。
「わかんない。さやかって、元々色白で、あんまり血の気のあるタイプじゃないんだもの。でも、言われてみれば、いつもより白いかな」
 歩美は、もの柔らかな喋り方をするけど、その内容はいつも、大げさでもなければ控えめでもない。そのものズバリ、思った事を口にしているわけ。謙遜も遠慮もないし、見る目もわりと冷静だから、こういう時は信じていい。
 ……、うどんじゃなくて、定食食べよ。
 あたしは、歩美を付き合わせて食堂へ行った。
 が………。
「うっそお」
 泣きそうな声を出したのは、もちろんあたし。だって……。
「仕込の都合で、本日は十一時半に開けます」
 歩美がゆっくりと読み上げたのは、張り紙。食堂のドアに、べったりと張り付いている。
「ご飯食べたーいっ」
 あたしは思わず叫んでいた。食べれないとなると、よけいにお腹が減ってくるよぉ。
「さやかっ!」
 振り返ると、ひろしが駆け寄ってくる。
「なに雄叫び上げてんだよ、聞いてるこっちが恥ずかしくなるぜ」
「なによ、あんた、授業は?」
 ひろしは、軽く肩をすくめると、
「自主休講」
 と、言って、ファーストフードの袋を突き出した。
「なに?」
 あたしは袋を受け取り、中を見ながら言った。袋はまだ暖かく、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。
「わざわざ買ってきてくれたの?」
「おまえ、朝飯喰う暇、なかっただろ。だから…」
 その言葉に、あたしはうれしくて思わず笑みがこぼれた。ひろしってば、やってくれるじゃない。
 ひろしも、あたしに釣りこまれたみたいに、ふっと笑った。とても柔和な笑顔。いつも、こんな風に笑ってくれたらうれしいのにな。
「うっわー。さやかって幸せ者! こんなにお姉さん想いの弟が居て」
 歩美の間投詞が出たとたん、微笑みは引っ込んでしまった。顔を真っ赤にして、反駁を始める。
「ちがっ、さやかのためだけじゃねーよっ」
 うっ、これがなきゃ、いーのにぃ。
「じゃ、なんだっつーの?」
「俺も、おまえのせいで、喰い損ねたんだよ。全部おまえのじゃねーからなっ」
 それでも、本当のところ、歩美の言うとおりなのよね。テレて、わざと乱暴な言い方してるけど。
 だから、あたしはとりあわずに、ひろしの手を取った。
「中庭で一緒に食べよ。コーヒーおごるから」
 歩美にはポテトを渡し、三人仲良く噴水の側に陣取った。お腹が膨れれば、気持ちにも余裕が出て来るってものよね。
「あれ、そういや、一人足りないじゃない、御園さんは?」
「美代子は保健室だよ。気分悪いって言うから、寝かしてきた」
「ふうん、あの日かな」
 あたしは、即座にぱかっと、ひろしを殴った。
「ってえ、だって、あの元気ものには、他の理由浮かばないじゃないか」
「それはそうだけど、あんたが言うことじゃないでしょ」
「貧血だって。さやかも気をつけろって言われたのよ」
 歩美の言葉に、ひろしの目がきらっと光った。眉をひそめて、あたしの顔をのぞき込む。
「ほんと?」
「うんまあ、…でも、別に自覚ないし。平気だよ。なんだか、増えてるんだって、貧血の子」
 ひろしは恐いくらい真剣な顔して、考え込んでしまった。そして、ぼそっと言った。
「あいつらが来てからかな」
「え?」
 あたしの問いかけは、一時限終了のチャイムにかき消された。
 恐い顔をしたまま、ひろしが腰をあげたので、急いであたしは感謝の気持ちを言葉にした。
「ひろし、今日はありがとね」
 ひろしは、それには返事をせずゴミを屑篭に投げ込むと、こちらに背を向けたまま、
「今日のは貸しにしとくよ」
 と、言って、駆け去った。
 ひろしを見送りながら、歩美がため息をついた。
「なんて目で見るんだろ、あの子」
「なにを?」
「あんたの事よ、さやか。ひろし君の目、何つーか、目の中にいれても痛くないってやつね。ものすごく大事にされてるでしょ、あんた」
 ぶっ。
 なに言い出すの、この子は。
「そんなことないよ。いっつも憎まれ口ばっかきくのよ。あいつ……、二重人格かと思うほど、あたしにはひどい口きくんだからねっ」
「さやか、人のこと言えないよ」
 訳知り顔で、歩美はにいっと笑った。
「ひろし君の気持ち、行動がちゃぁんと物語ってるじゃないね。あー、あたしも、あんな弟が欲しい」
 歩美ってば……。
 時として、歩美の言葉は、やんわりとあたしの胸をえぐる。今日のもなぜだか、えらく効いた………。
 二時限目終了後、あたし達は保健室へ美代子を見舞った。起きられるようにはなっていたけど、まだ顔色が悪い。
「大丈夫? ………じゃないみたいね。早退した方がいいかも」
 美代子は、にっこり微笑んで応えた。体操の演技の時みたいに。
「うん、心配かけてごめんね。もう、だいぶいいんだ。それより、さやか、今日送ってくれたのって、吉住さんでしょう?」
 言いながら、あたしの袖をぎゅっと握って離さない。瞳の色が真剣で、怖いくらい。
「? ……う、うん。そうだけど。ど、どうしたの?」
 美代子の迫力に負けて、思わずどもってしまった。歩美は、ただただ、あたし達を交互に見るばかり。
 あたし達の戸惑いの気配に気がついたのか、美代子は、はっとして手を引っ込めた。曖昧な表情でうつむき、ぼそっと言った。
「会いたいな、吉住さん。さやかがうらやましいよ」
 そう言いながら、ここ半年ばかり、美代子はあたしの家には寄りついていない。気のせいかもしれないけど、外で遊ぶのは別として、家に来ることは避けていたように思える。
 変よね、一番簡単に会える方法なのに。
「家に遊びに来ればいいじゃない。たいていは居るから。美代子がファンなのは知っていたけど、そんなにマジだったなんて、知らなかったな」
 美代子は、にいっと笑って、ベッドから飛び降りた。空元気かもしれないけど、それでも、あたし達をほっとさせた。
「そお? あたしは、いつだって大真面目だよぉ」
「うん、ひろし君の時も、大真面目だったよね」
「おう、もちろんさぁ」
 歩美のまぜっかえしにも、余裕で答えている。
 ……? ちょっと待って。
「ひろし君って? あの、弟のこと?」
 美代子は、歩美と二人で悪戯っぽく笑いながら、大きく頷いた。
 あたし一人蚊帳の外で、なんだか面白くないぞ。
「しっかり振られたけどね。過去の事よ。ずうっと想い続けてる人が居るって、言われてさあ。そんときに、あんまりいい顔するから、あ、負けたーって」
 あんまりあっけらかんというから、本当かしらって、一瞬疑ってしまった。二人で、あたしのことを、からかっているんじゃないかって。だけど、ついこの間、ひろし本人から片思いの話は聞いたばかりだったのよね。
 美代子は、肩をすくめて、
「ま、今は吉住さん一筋よ」
 と、言った。笑顔が、疲れていたみたい。
 気がつけば、みんなが何考えてるんだか分からなくて、置き去りにされた気分を味わっていたあたしも、疲れた笑いを返していた。
 結局、すぐ後で、美代子は早退した。
「さやか、吉住さんて、どんな人?」
 美代子が帰ってから、歩美が急に言い出した。むっつりとした表情で、なにか考えているらしい。
「どんな…って、堅い人だよ。優しいし、仕事は良く出来るし。あんただって、一度会ってるじゃない。なんで?」
「美代子とつき合ってたり、するのかな」
「えー? まさか、そんなそぶり見せたこと無いよ。年だって、離れてるし、ほとんど接点が無いじゃない」
 歩美は唇をとがらして、承伏できないと言うような顔をした。
「あの娘にしては珍しく何も言わないで、いきなり今日の、あれ、でしょう? 何か変だな、と、思って………」
 そうかな。確かに、美代子の様子は変だけど、家で見ている限りは、吉住さんサイドは全然それらしくないから。
「惚れっぽい娘だから、いつものやつかと思ってたのに。……美代子の気持ち、よく分からないけど、あたしが思ってたより、ずっと真剣なのかもしれないな……」
「うん。あの娘は、いつも全力だもんね」
 あたし達は、大きな溜息を同時についた。
 心配しても仕様がない事だけど、今度機会があったら、それとなく吉住さんに聞いてみよう。
 言われてみれば、吉住さんて、謎が多いというか、一緒に生活している割にそういう私生活の部分を見せないから、どうしてんだろうなんて考えてしまう。学生時代から、お友達を家に連れてくることもなかったし、ましてや彼女なんて、写真すら見たことない。吉住さんが、何を想い、何を見て育ってきたかなんて、本当の所は全然わからないんだ。
 あたし達が子供だったせいだろうか。大人になるって、秘密や自分の考えを隠すのが上手になることのような気がしてくる。
 ………。
 ひろしにしたってそうだ。大きくなるほど秘密めいて、本人が公開してもいいと思っている部分以外、読み取ることが困難になってきている。片思いの君のことも、どんな娘なのか聞いてみたいけど、きっと教えてもらえないだろうな。
 あーっ、なんだか、くそ面白くもないっ。