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「さやか…、さやかっ、さ・や・かってば! 起きろって!」
 誰かがあたしを呼んでる。
 聞きなれた声。ちょっとかすれたようなテノールの、ぶっきらぼうな調子。だけど、あたしは声の裏に優しさが隠れているのを知っている。
 そう、知って………。
「んあ……? ひろし…?」
 桜吹雪の庭から呼び戻されたあたしは、夢心地のまま焦点を結ぶと、あたしをのぞき込むように義弟が立っていた。
 黒目勝ちな切れ長の眸が間近にあって、あたしは吸い込まれるようにそれを見つめた。
 他意があった訳じゃないけど、キラキラしてて綺麗だったんだもの。けれど、ひろしは視線がお互いを突き刺すと、弾かれたみたいにそっぽを向いた。こういうのって、最近ありがちなパターン…。
「んあ、じゃねーよっ。ったく、今日は茶道部に顔出す約束だったろう?」
「そうだっけ。あたしまでかり出さなくたっていいのにぃ」
「高水家の御姉弟にって依頼だからな」
 あ、ひろしったら、ちょっと怒ってる。約束忘れて図書室でうたた寝してたあたしを探して、駆け回ってたんだから当たり前か。
 そうそう、あたしは、高水(たかみず)さやか。十七歳。高三。髪は黒っぽい栗色のストレートで、肩下十五a位の長さ。目も同色。友人達は、黙って座ってれば、大和撫子風の美人で通るって言うんだけど。なんか引っかかる言われようよね。
 それに、少年サッカーの監督やってるっていうと、みんな大げさに驚いてくれる。要するに、見た目と中身にギャップがあるって訳ね。
 あたしは別に、自分を作って見せているつもりはないのよ。ただ、高水っていう名が、イメージを作り上げるのに一役買っているのは確かだわ。
 十年前、あたしの母が、茶道の表千家流派、高水流家元、…つまり、ひろしのお父さんと再婚したので、あたしは高水家の人間になったの。
 ひろしの本当のお母さんは、身体が弱かったとかで、ひろしを産んですぐに亡くなったらしい。ひろしの漆黒の髪と、切れ長の目は、お母さんゆずりだそうだ。
 ちなみにあたしの容貌は、交通事故で死んだお父さんゆずり。
 七つの時に今の家に移って、そりゃあもう、厳しくしつけられたわ。だけど、あたしもひろしも、使い分けばっかり上手になっちゃった気がする。ただでさえお高いイメージなのに、公立の小学校とか行ってると、結構みんなと違うのっていびりの対象になるんだよね。先生にはウケ良かったけど、ひろしなんて、男だから結構苛められてた。『女みたい』とか、そういうこと言われて。
 その度に取っ組み合いのケンカ。
 あたしも結構勝ち気だったりするから、仲裁どころか、一緒に取っ組み合いに混ざったりして。二人してボロボロになるまでやったこともある。
 母はヤな顔したけど、義父に気兼ねして結構隠してくれてたりして。
 つまりは、あたしが、ひろしに悪い影響を与えたことにされちゃうパターンが多いってこと。
 母の困った顔を見るのが辛くて、少しずつ、あたし達も相手次第で態度変えるようになっちゃった。裏表のある奴って、嫌な感じだけど。
 学校の気の置けない友達とかだと、結構すごい口聞いちゃう。で、一番遠慮ないのが姉弟同士。最近のひろしには、さすがのあたしも、ちょっと眉ひそめちゃうけどね。
 ひろしは、十ヶ月差で弟って事になったのを、いまだに気にしてるみたい。奴は、四月生れだから、もう一ヶ月早く生まれてれば同じ学年だったのにって、事ある毎に言うので、時々閉口させられる。
 背なんか、とっくの昔にあたしを追い越して、お勉強だって学年トップ、スポーツだってばっちり万能。ついでに、お茶の世界では、次期家元として、将来を嘱望されてる実力派だったりする。それだけ持ってるのに、無いものねだりもいいとこだよね。
 まあ、そういうスーパー弟を、姉貴風ふかしてこづき回せるっていうあたしの立場、結構おいしいかも知れないけど。それっくらいあたしに残しといてくれたってバチ当たらないと思う。それなのに…。
 今、あたしは弟に引きずられるようにして、校庭の角にある茶室に向かっていた。
 茶道は、七つの時からひろしと一緒にたたき込まれたし、嫌いじゃない。でも、家元の子供だからっていうだけで、やたらにやらされるのは好きじゃない。ひろしも多分、おんなじはず。だけど、お手本をって頼まれればなかなか断りにくいものよね。
「今日は、風炉(ふろ)の濃茶(こいちゃ)で、俺が亭主やるから、さやかは正客やってくれよな」
「棚物?」
「うん、桑小卓(くわこじゃく)つかって、炭点前もやってみせる事になってる」
 言いながら、ひろしはだんだん凛とした表情になってくる。お茶の話になると、いつもそう。こっちが次期家元の顔。血の成せるワザってだけじゃなく、多分、ひろしは本気で高水流を背負って立つ気でいるんだわ。
 こういう時のひろしと連れだって歩くのって、ちょっと快感。みんなが振り返るの。かっこよく育ってくれて、お姉さんはうれしいゾ、と。
 ちょっとウキウキした気分で、あたしはつい、さっきの夢の事をもちだしてしまった。
「ねぇ、ひろし…、またあの夢見ちゃった…」
 ひろしは歩みを止めると、あたしの方をまじまじと見つめた挙げ句、鼻で笑った。
「ふ…ん。またその話かよ。ジャパニーズドールってぇより、テディベアっつうほうがぴったりだと思うけどね、さやかには…。きっとそいつは極度の乱視か、ド近眼なのに違いない」
 ああ、そうだった。ひろしってば、なぜか、この話になると意地悪になるんだっけ。
 実はこの夢、桜の季節になるとよくみるの。結構ちっちゃい時からで、あたし自身は幸せ気分で目が覚めるから、人に言いたくなってしまう。
 大抵の人は、「ああ、そう」って感じなんだ。でも、一回目は黙って聞いてくれる。……ふつうは。
 ひろしは最初っから、過剰反応だった。
 初めて会った時から、あたしたちって結構仲良くできてたのに、初の喧嘩もこの話が原因だったと思う。今思うと……。
「ひど…、あんたって、どうしてそう憎たらしい事ばっか言うのっ? ちっちゃい頃は、お姉ちゃん、お姉ちゃんって可愛かったのに。今は呼びすてだしぃ」
「ばっ、馬鹿言うなよ! 俺は……おれ……は……」
 ひろしは耳たぶまで朱に染めてそこまで言うと、くるっと向きを変えてズンズン先に行ってしまった。
 振り向きざまにあたしを睨んだときの瞳には、何だか切ないような、悲しいような光があったみたい。気のせいだろうか。
 小さい頃は、何でも話し合えた。現在(いま)だってあたしは、何でも話してるつもり。なのに、ひろしは………。
 ええぃ、言いたい事があったら、はっきり言えっつーのっ。
 大きくなるにつれ、少しづつあたし達の間に壁のようなものが出来てきてるのを感じて、今もあたしはすぐにひろしの後を追う事が出来なかった。
 ちょっと寂しい。