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悲しい試薬・第五回

 拓斗は、赤く濡れ光る犬のペニスをぼうっと見つめた。
 スティーブの目的は、何となく分かる。
(あれを俺の中に突っ込むつもりか?)
 ハッハッとよだれを垂らしながら口呼吸する犬は、短髪種の大型犬である。
 しなやかな肌合いは、普通に触れる分には拓斗の好みの肌触りであるが。
 自分の尻に、途中から毛皮で覆われたペニスを突っ込むのは好みではない。
 拓斗は拘束された両腕に力を入れてみた。
 屈強な男達の腕は、びくともせずに拓斗を押さえたまま。
 逆にさらなる力を込められて、寝台にうつぶせになるように押しつけられてしまった。先ほど破壊した枕からこぼれた羽根が、口の中に入ってきた。
 ペッぺと吐き出そうとして頭を振れば、がつっと頭をこすりつけられる。
 先ほど苦労して作ったT字帯をグイッと引っ張られ、尻にひやりと冷たい感触が触り、ぶつっと音がした。
 T字帯がはらりと落ちる。
 ぷるんと力無く解放された拓斗自身はこれからなされる事を考えるだけで縮んでいく。
「拓斗ぉ!!!」
 悲鳴のような龍樹の声が聞こえ、ビクッと体が震えた。
(龍樹さん……。また泣かせちゃうなんてダメだよね)
 拓斗はぐったり力を抜いた。
 諦めが体中を覆うように。
 それでも頭の中はフル回転である。
 犬の気配が近づいてくるのが分かった。
 なにやら人を小馬鹿にするような口調で声を掛けられたが、気にしないでおこうと思う。
 それよりも。
(集中しろ、拓斗。一度しかチャンスはないと思え)
 密かに深呼吸。鼓動と頭の中のリズムをシンクロさせる。
 犬の体温が感じられるほどに近くなった。
 拓斗を押さえる腕からも、力が抜けた。
 熱いペニスが触れた途端に拓斗はグンと足を後ろに蹴り上げた。
 背筋と、脚力にものをいわせて。
 確かな手応えと同時のギャンという悲鳴。
 慌てた男達が込めてきた力を逆手にとって裏返す。
 全てタイミングが命。
 屈強な男でも、関節は弱い。
(ほらね、龍樹さん、俺に教えといてよかったでしょ?)
 小さな体でも大きな男を倒すことは可能だ。
 苦痛に顔を歪めた男達の急所を徹底的に攻撃した。
 睾丸、脇、首筋。
 男達は武道系ではないらしい。
 動きは鈍く、拓斗でも見切ることが出来た。
「ダーティなのはハンデキャップてことで」
 言い訳をしても、聞いているのはスティーブくらいである。
 男達はベッド脇でうずくまり、犬は隅の方で尻尾を股に挟んでいたのだから。
 呆れたようにポカンと口を開けて見ていたスティーブがニヤリと笑った。

「なるほど……野性味のあるネコだね」
 面白がってるようなスティーブの声に龍樹はじりじりと電子の壁に近づく。
 青い火花がちりちりと警告音を出すほどに近づいて、グイッと王河に肩を引かれた。
「スティーブ! 無意味なことはやめてくれ!」
「無意味? そうかな。君がそこまで入れ込むのなら、犬だなんて言ってないで、僕が味わっても良さそうだ」
 拓斗の顔がうんざりしたように歪んだ。
 言葉が分からなくても、想像が付いたのか、「またかよ」と目が語っている。
(そうだよ、拓斗。またなんだ。ごめんね、僕のせいで……)
「そんなこと、させない……」
 龍樹は更に歩を進めた。
 ピシリと体中を打つ電撃に弾かれないように足を踏ん張って。
「何してるんだ!」
 制止に入った王河の腕を掴み、片腕で抱きかかえた。
「今行くよ。拓斗」
 肉の焦げる臭いが自分のものであっても。
「龍樹さんっ? ダメだ!」
 拓斗の叫びに、フワリと微笑んだ。
「王河も道連れにしようね。スティーブ、君の我が儘のツケとして彼を傷つけてあげるよ」
(最も、それでどのくらいのダメージがあるかは分からないけどね。それはともかく、拓斗の側へ……)
 身もだえる王河をしっかり拘束したままに龍樹は前を見据えた。
 かかとを前に出し、床を蹴って。たかが2歩進むだけで、拓斗の側へいけるのだ。
「龍樹! よせ!」
 スティーブの声もヒステリックになっている。
 全身を磁場が包み、苦痛が全身を襲った。
「ひああああああっ」
 王河の悲鳴が遠くに聞こえる。
(もう一歩……)
「龍樹さんっ!」
 拓斗に向かって差し出した腕に、拓斗が飛びついてきた。
(拓斗、危ないよ!)
 そう声にしたかったはずなのに。
 震える口元は巧く動かない。
 視線だけをかわしながら微笑もうとした。
(もう少しなのに。だめなのか?)
 気が遠くなりそうになりそうになったとき、くたりと全身が楽になった。
 装置が解除されたらしい。
 一緒に崩れ落ちた王河の手元にコントローラーはあったのだ。
(気づいていれば、こんな無理はしなかったのに……)
 心の中で苦笑いする。
 それでも棒立ちになった気配でスティーブの気をそぐことは出来たのは分かったから、目的は達した。
「龍樹さんっ龍樹さんっ!」
 泣き声で名を呼びながら抱きしめてきた拓斗の感触すら、遠くにあるような気がする。
「君は……何処まで無茶なんだっ?」
 目だけ動かしてでヒステリックな声の方を見つめた。
 スティーブが王河を抱きしめたまま、龍樹を睨み付けていた。
「……よくも……よくも……」
 スティーブの英語と、拓斗の日本語が重なって響いた。
「あんたがこんなくだらないことしなければ!!」
 涙声のまま拓斗がくってかかったのを目にして、龍樹は慌てた。
 スティーブの手元に、拳銃があるのを目の端に捉えていたからである。
「だめだ!」
 スティーブが安全装置をはずす音とシンクロした叫び。
 渾身の力を振り絞って拓斗との間に自分の身を投げた龍樹は、パーンとはじける音を体内で聞いた。