お願い:フレーム仕様ですので、画像が重なって見づらい場合は
窓の大きさを調節してご覧下さい。
悲しい試薬・第三回
拓斗は白一色の殺風景な部屋で目覚めた。
「うわっ、なんだよっ、これ?」
全裸で、身にまとうものがロープと首輪というのは、一人で居ても恥ずかしいものがある。
「また拉致されちゃったのか俺……。どうしてこう間抜けなんだか……」
両手両足を戒められたのは初めてではない。ほんの少しずつ体をずらして、鬱血を防ぐこつは体の方が覚えていた。
「こんな事に慣れてどうするってか……」
独り言を言いながら見回せる範囲であたりを観察した。
窓はなし。ドアは一カ所。電話、コンピューター、自分が寝ているベッド。
最もそぐわないのは、部屋の隅に据え付けられたトイレコーナーである。
便器と手洗いは高級そうな作りだが、何も間仕切りのないところでのそれは間抜けにしか見えなかった。
空調の音だけがゴウゴウとうるさい。
裸でも寒くないくらいに調節はしてあるらしい。
転げながら移動しようとして、首輪が鎖でベッドの手すりと繋がれていることに気づいた。
「犬じゃねーって」
拓斗は天井に一つだけある丸い照明を見つめて呟いた。
確か、龍樹と歩いていたのだ。プロビンスタウンを浮かれ気分で。
それが自転車と車に轢かれそうになったあげく、嫌な臭いのハンカチを押しつけられた。すぐに気が遠くなって今に至る。
「やだな……何となく、やった奴が判るのって」
そう、この土地で、ご丁寧に一室使って拉致プラス監禁してしまうような輩は。
「スティーブ関連……だけだよな……」
そう思えてしまうのは、妙に高価そうなこの部屋の様子のせいもある。
コンピューターも電話機も、それらがおいてあるデスクやベッドも。
何もかもがシンプルながらに微妙なラインで作られた前衛的なフォルムなのだ。
壁も床も天井も、やはり同様に高価そうな建材を使っている。
「龍樹さんもかなりストーカーっぽいけど、あいつには負けるな……」
比較なんかしたら怒られてしまうだろうが。
龍樹なら、本当に嫌だと言えば、気持ちを押しつけてきたりはしない。
ぽろぽろと涙を流すだけだ。
彼は自分でも泣き落としという言葉を使っていたが、拓斗は、その涙が計算だけで溢れていたものではないと知っていた。
「龍樹さん……俺のこと、探してるだろうなぁ」
腹や脚に残るキスマークを眺めながら、恋人を思う。
「龍樹さんなら……いま、どうするかな」
そう、龍樹なら、ぼんやり過ごしたりはしない。情報を集めて脱出口を探すだろう。
もう一度、拓斗は念入りに辺りを見回した。
今使えるのは目と鼻だけ。
角という角、隅から隅まで、じっくり目を凝らして綻びを捜す。
小さなドアは鉄製。電話線は、使えるかどうかはともかくジャックに差し込まれている。最新型のコンピューターも、回線はつながっているようだ。
麗花のペンション「椿館」の電話番号は、暗記してあった。
誰の気配もしない。
拓斗は、とりあえず身体を深く折り畳み、後ろ手に縛られた腕を足を通して前に持ってきた。高級そうなパイル地のタオルで包まれた上からロープで縛ってある。
「どうりであんまり痛くないわけだ……。変なところで親切だな」
捩って弛めたところで、歯を使ってタオルを引き抜いた。ロープはタオルの余裕分だけ手首を抜きやすくなっている。
程なくして自由になった手を使って、足の戒めを解いた。
残るは首輪……。
手さえ自由になれば、問題ない。ベルトを外すように取り去ることが出来る。
「……本気で拘束したいわけじゃないな……こんなやり方……」
変人めと呟きながら、ジャガード織りのシーツを引き裂いた。
T字帯を作る。即席の褌である。
「俺って、割と器用かも」
できあがりに満足しての自画自賛。
残りの布を身体に巻き付け、ホッと溜息をついた。
「人類誕生ってか……」
電話に目を向け、考え込んだ。
「本当に、つながるのかな」
いやと、拓斗は頭を振った。
「とにかく連絡だ」
龍樹に無事を知らせなければ。気が狂ったようになっているだろうと、それが心配になる。
電話に駆け寄ろうとして、見えない壁に打ちあたり、拓斗は跳ね返された。
「っ?」
ひたりと触ろうとして、びりりと衝撃を受けた。
小さな冷たい火花が瞬間だけ散っていく。
「何だ? これ……」
床面に目を凝らせば、絨毯の長い毛足の間から、小さな針目のような出力口が並んでいるのが見えた。
「……SF映画かよ?」
試しに、鎖ごと首輪をそこに投げつけてみた。
火花と共に宙に浮く首輪は、やがて炭化し始め、色の変わった鎖だけが向こう側にたどり着けた。
思ったよりも、出力口は幅を持って設置されているらしい。
「向こうへ行く前に黒こげか……」
監禁には不必要な広さだと思った部屋は、二分されていたのだ。ドアも、電話も、全ては壁の向こう側。
拓斗の居る側は、トイレベッドと空調の換気口だけ。
「トイレがあるだけ……ましなのか?」
便器に座ってみて、暖房便座だったのを知り、何故か涙がにじみ出た。
◆◆◆◆
「警察はなんて?」
爪を咬んで考え込む龍樹の前にカモミールティを置きながら、麗花が問うた。
「調べてはくれるだろうけど……」
「……観光客なんだからね。国際問題だって脅しかけておいた?」
「ん……。ただ……やった奴は多分……」
「……スティーブだって思ってる?」
「うん。他にいないだろ」
龍樹は言いながら立ち上がった。
「どうする気?」
「談判するしかない。言って聞く相手じゃないけど、拓斗がどんな目に遭わされるか心配だ」
「待ちなさいよ。ただ行って返してくれるわけないわよ」
「……だからってここで黙ってたってしょうがな」
良いながらドアを開けると、男が立っていた。
「王……」
スティーブの懐刀。
漆黒のストレートなロングヘアをきっちりオールバックに仕立てて束ねている。
細身で、拓斗よりほんの少し高めの身長。秀でた額とかっちりした柳眉が印象的である。つり上がった目尻と常に皮肉な笑みをたたえているように見える口元が、何となく酷薄そうに見えるのが難点だ。
いきなり開いたドアにいささか驚きつつ、鋭い一重の双眸がキラリと光って龍樹を睨みあげた。
「……先日はどうも」
低く紡ぎ出された感情を押さえ気味の声は流暢な日本語として響く。彼は英語も中国語も流暢なのだが。
「ヒクソン氏が是非お見せしたいものがあるとおっしゃっているのですが。一緒においでいただけますか?」
「……丁度いい。僕のパートナーについての情報になるんじゃないの?」
トゲトゲと言ってみれば、口元だけをニヤリと歪めて、冷たい瞳が見つめてきた。
「あなたのご希望通りの情報かどうかは存じませんが。行ってみれば判ります」
「た、龍樹! あたしも!」
「恐れ入りますが、女性はご招待できませんので」
「っなによっ。差別する気?」
「……はい。あなたは無関係だ」
機械的な口調でそういうと、くるりと踵を返し、すたすたと車に向かう。
ドアを開け、龍樹が当然乗り込むであろうと言うように黙って会釈する。
「嫌な野郎ね……」
「向こうも、僕のことをそう思ってるさ」
「今日中に連絡無ければ、警察に届けるわよ!」
麗花の声は、王河に向けられたものだった。
答えは沈黙。
腕組みしたまま見送る麗花に背を向け、龍樹は車に乗り込んだ。