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悲しい試薬・第二回

 麗花のペンションのホールを利用した結婚式は、龍樹のスピーチで始まった。
 なれそめ、人物紹介、今後の抱負。
 夏場だが、二人は薄手のタキシードに身を包んでいた。
 少々窮屈な服ではあるが、龍樹の白と拓斗の黒。二人並べば、堂々の押し出しで、やはり式典のフォーマルさに似合うと思う。
 階段をバージンロードに見立てて一段一段降りていけば、階下の人々の視線は一斉に拓斗に集中した。
 あの龍樹が選んだパートナー……。
 いくつかの値踏みをする視線と、祝福の声。
 嬉しさににやけた龍樹の顔も、客達にはかなり珍しい見物だったらしい。
 拓斗も、もの珍しさを感じている表情を隠さなかった。この場に自分の知り合いは一人としていない。
 龍樹の友人知人、そのまた友人知人、さらには通りすがりの飛び入り。
 ほとんどが同性愛者だと思うと不思議な気分になる。
 ぼんやりと集まった面々を眺め回している中に、顔見知りが一人だけいることに気がついた。
(スティーブ!)
 日焼けした肌にナチュラルブロンドの髪と眉は白く映る。瞳のコバルトブルーは冷たくきらめいて、まっすぐ拓斗を射抜いてきた。
「龍樹さん、よんでないって言ったくせに……」
「なに?」
 呟きを聞きとがめた龍樹は旧友との歓談を中断して拓斗の目線を追った。
 はっと息をのんだ。
「どうして……」
 スティーブは龍樹の視線をとらえるとにっこり笑って近づいてきた。
「おめでとう。本当に結婚しちゃうとは思わなかった。タクト、よかったね」
 ちっとも良くないという響きで握手の手を差し出され、拓斗はためらいがちにスティーブの手を取った。ぎゅっと握りしめられ、痛みに思わず小さな悲鳴を漏らす。
「スティーブ! 子供じみた真似はやめたまえ!」
 拓斗を引き寄せて抱きしめると、スティーブをにらみ据えた。
 ざわっと周りの歓談がとぎれ、スティーブを認めた者たちは眉をひそめている。
「あんまり諦め悪いとみっともなくてよ」
 カクテルグラスをいくつも載せた盆を片手に、スティーブの胸をトンと突いたのは麗花だった。
 スティーブは肩をすくめて拓斗の頬にさっと口づけた。
 離れ際に呟いた早口の英語は、意味は分からずとも呪詛に満ちていたと、拓斗は認識する。
 ヒッと後ずさった拓斗を満足げに見つめて、今度は龍樹をにらみつけた。
「人づてに今日のこと聞いて、慌ててお祝いに駆けつけたのに……。どうして僕に知らせなかった? 僕が邪魔するとでも?」
「実際邪魔してるじゃないか。一生に一度の結婚式だもの。平和にやりたかったのに」
「一生に一度? は! 一年後には別の奴と同じ事やらかしてるんじゃないのか?」
「冗談じゃない。僕が結婚したいのは拓斗だけ。今までも、これからも! ねえ、本当に拓斗だけは違うんだ。全然違うんだよ」
「何でこんな奴が!」
「見た目も心意気も全てが僕の好みなんだってば。その上、僕だけを愛してくれてる。浮気なんかしない人だ」
「ほう? 絶対って言い切れるのか?」
「ああ。心変わりをするとしたら、僕のせいだろう。それでも僕を捨てるときはものすごく悩むに違いない。そういう人なんだ」
 拓斗は龍樹の言い放つ言葉がほとんど判らず、スティーブの表情が更に絶望的な憎しみに歪んでいくのを、見守ることしかできなかった。
「あの……?」
 おずおずと龍樹の袖を引く拓斗を、スティーブが睨み下ろした。
「せいぜい蜜月を楽しめばいいさ!」
 祝いと嫌みを込めたかのような黒いチューリップの花束を拓斗に叩きつけ、スティーブは踵を返した。
 ザッと人垣で作られた悲しい花道。
 スティーブを守るように現れたアジア系の男が後を取ると、ざわざわと人垣は崩れていく。
「……あの人……だれ?」
「え? ああ。王河のこと? スティーブの懐刀だよ」
「……睨まれた気がする。なんか怖いな」
 思わず受け取ってしまった黒い花束を見つめ、拓斗は悲しそうに顔を歪めた。
「拓斗〜、気にしないの!」
 サッと花束を取り上げ、麗花がゴミ箱に放り込む。
「あいつはね。かなりの我が儘だから。遊び相手としてならいいけどね。捨てられるのになれてないだけなのよ」
 手厳しい評価が下され、誰もが異論を挟まない。
 それをしおに、遠巻きにしていた龍樹の友人達が、ぽんと肩を叩いたり、軽くキスをくれたりして祝福していく。
「素敵な恋人で、羨ましい」
 片言の日本語でそういった男は、キュッと拓斗を抱きしめた。
「龍樹は浮気をしたこと無いよ。安心しなさい」
 囁きは、拓斗にシンと染み入った。
「ありがとう……」
 その言葉だけで全てが済んでしまうほどに繰り返す。
 その度に心が虚ろになっていくように感じ、密かに涙を拭った。
 拓斗は、結婚式にもっと夢を持っていた。
 甘い砂糖菓子のような夢。
 ふたを開けてみれば憎悪がむき出しでぶつけられた上に、肝心の相手は客達のもの。
 励ましやら賞賛やらを吹き込んでくれる、有り難い客達もいたが、拓斗の中の疎外感は拭えなかったのだ。
 従って、新婚初夜は、最高潮の不機嫌さで始まった。
 二人きりになった途端に投げつけられた枕を受け止めた龍樹は、伴侶の顔に不機嫌と悲しみを読みとって、途方に暮れた。
「拓斗……せっかくの夜に、なんて顔してるんだい? 機嫌なおしてくれよ」
 枕を置きにベッドに近づくと、今度はサイドテーブルにあった聖書を投げつけてきた。
「くんなよ! 今日は一人で寝たいんだ!」
「そんな……、新婚初夜だよ?」
「今更初夜もへったくれもないだろっ? たまには一人で寝たいんだよっ」
「ねえ、拓斗、どうして? 僕が悪かったんなら教えて。直すから……」
「……結婚式なんてしなきゃよかったんだ!」
「お願いだから、そんなこと言わないで……」
 龍樹は取りすがるように跪いて、拓斗のつま先に頬刷りした。
「くんなって言っただろう!」
 ぴしっと足先で振り払われて、硬直する。
 拓斗は毛布をひっかぶって芋虫になってしまった。
「一人にしてくれよ、お願いだから……」
 あまりに弱々しい言い方だったので、龍樹は一歩も動けずに伴侶を見つめた。
「……龍樹さん……」
 数分とは思えない長さの沈黙の後、拓斗の声が名を呼んでくれたときには、龍樹は飛び上がって耳を澄ませた。
 芋虫が、殻を破って顔を見せるのをじっと待つ。
 返事をしない龍樹の気配を確認しようと、拓斗が顔を上げたとき。
 龍樹は一気に駆け寄って拓斗の頬を捉えた。
 涙で濡れた拓斗の瞳に、すがる光を見つけて当惑する。
「拓斗……何を考えてるの? 僕に教えて。僕を拒絶しないで……」
 口づけで仲直りをしようとした龍樹の顔をグイッと押し返し、拓斗は視線を逸らした。
「龍樹さんは俺だけのものじゃないんだ」
「なっ?」
「みんなのものだったもん、今日……」
 拗ねた呟きに驚いて、拓斗を覗き込む。
「俺は、龍樹さんしか要らないのに……。どうして龍樹さんはあれだけの人たちの祝福が必要なの? 俺だけじゃ、不足なんだろう? みんな、ゲイだもんな。龍樹さんなら選り取り実」
 ペチっと拓斗の頬が小さく鳴った。
 見開いた目と頬に当てられた手が、打たれたときの驚きを示していた。
 だんだん歪んでいく口元が、戦慄きを広げていく。
 泣きそうなのを口をへの字にして堪えている。
 龍樹はつい折れてしまいそうになる自分を叱咤して、拓斗を見つめた。
「なんてこと言うの? 君……、君だって、つきあいは必要だって言ってたじゃないか! どうしてすぐ、僕を浮気者にしようとするの? 僕は君しか要らないって、何度も言ったよ?」
 カアッと赤らんでいく頬を隠すように拓斗は枕に突っ伏した。
「……俺をほったらかしにした癖に! こんな、麗花さん以外知らない人ばっかの所で! 俺には解らない言葉だらけの所で、龍樹さんは、俺を放り出したんだ! そんな奴の言葉、信用できるかよっ?」
 くぐもった声音が、涙混じりなのを教えている。
 震える肩に手を置き、ゆっくりと拓斗のサラサラな髪に指を通した。
「……心細かったの? ごめん、謝る。君も客に囲まれていたから……気が気じゃなかったけど、君が他の奴になびく分けないし。そんな風に感じてたなんて……気づかなかった。ごめん……ごめんね」
 きゅっと抱きしめてみると、今度は振り払われることもなかった。
「君、疲れてるんだね。初夜にこだわる必要、無いよ。ゆっくり休んで」
 囁きながら、そっと薄紅色の唇をついばんだ。
「僕も……ここに寝ていい? しないでいいから、だっこだけ……させて」
 こっくり頷いてしがみついてきた細身の身体を大切にかき抱く。
「拓斗……僕の宝物……」
 呟きは拓斗の体温がしみいるごとに口をついてでる。
「君だけが、僕を惑わすことが出来るんだよ。泣かせたり……喜ばせたり出来るんだ……」
 ゆっくり下腹をなでさすりながら龍樹は足を絡ませて拓斗の頬にキスを降らせる。
 小さくイヤイヤをしながら、拓斗の足も龍樹に絡んでくる。
 ほんの少し硬くなり始めた部分を重ね合わせながら、深く深く口づけを繰り返した。
 やがて拓斗が腰を揺らし始めたのをしおに、龍樹は、抉り入れるように拓斗の股間に己の抜き身の刀を押しつけた。グリグリと拓斗のそれにぶつかり、灼熱の戦きがつま先まで走る。
「はんっ……やらないって言った癖に……」
「しないよ……君が嫌なことはしない……」
 ぐりっぐりっと押しつけ合うリズムは、互いを煽ろうとするかのように間断なくアップテンポになっていく。
「あっあっヤッ……んん」
「んっんった、拓斗っ。いっいいっ」
 うごめく腰も、せっぱ詰まった喘ぎも、すでに制御不能なほどに高まってしまっている。
「龍樹……さんっ……ああっ……お、俺っ」
 悲鳴のように裏返った声と共に、拓斗は下着をずらした。
 ぶりんと剥き出しになったそこは、とろとろと先走りを溢れさせ、高々と振り上げられた脚が龍樹の肩に掛かった。
 フルフルと震えながら、ピンク色に染まったアヌスを見せつける。
「拓斗……いいの?」
「あ……あ……おねが……入れて……! 早く……入れてぇ!」
 引きつるような哀願の声と同時に龍樹はずぶりと拓斗の中におのれを挿入した。
「ひああああああああっ」
 その悲鳴は、悦びと苦痛をない交ぜにした響きでもって龍樹の耳に届いた。
「拓斗、拓斗、拓斗ぉ!」
 グッグッと抱きつぶすようにして腰を打ち付け、拓斗の中を蹂躙する。
 ベッドの軋みと苦しげな喘ぎと肉の擦れる音が否応なく響き渡り、そこにやがて、拓斗の嗚咽が混ざった。
「ひっあぁっううぅっうっ」
 龍樹を包んでいるそこは、ヒクヒクと搾り続けている。
 感じているのだ。
 龍樹は突き上げを早めた。灼けるほどの勢いで、拓斗を貫き続けて。
「あうっあうっあうっんんぅああっあああああっ」
 拓斗の悲鳴が高らかに響き、下腹に熱い圧力を感じた。
 同時に己にも解放を許し……龍樹は崩れるように拓斗の上にのしかかった。
「ふ…………う……」
 浅い息を繰り返しながら、拓斗が気怠げに腕を首にかけてきた。
「龍樹……さん、俺……」
 ガクガクと余韻の痙攣をしながら、拓斗が唇を求めてきた。
 苦しい喘ぎをものともせず。舌を付きだし、お強請りをしている。
「拓斗……許してくれる? 僕を……」
 そっと舌先を絡めながら尋ねれば。
「ごめん……俺……」
 拓斗は、ポロリとひとすじだけ涙を流した。
「焼き餅焼いてくれたんだろ? 嬉しいよ。これからよろしく、僕のパートナー」
 そっと涙をすくい取り、瞼にキス。
「一人が嫌なときは、僕を呼んで。ちゃんと、声に出して……。すぐに駆けつけるから……。一人で抱え込まないで……」
 チュッチュクッと何度も口づけをしながら、龍樹は願う。
「……龍樹さんも? そうする?」
 縋り付くような表情をした拓斗は、別の魅力を持っていた。
 無垢な瞳が、本当に龍樹が全てだというように見つめてくるのだから。
 龍樹は、手折った花が健やかなままに自分の手の中に息づく悦びを全身で感じていた。
「うん。君さえよければ……」
「絶対、そうして……俺を忘れないで……」
「ん……」
 これは心の誓いだ。
 互いを支え、互いに頼る。あくまでもお互いに……。
 温もりを感じ合いながら、二人は眠りに落ちた。

              ◆◆◆◆◆

「龍樹! 拓斗? そろそろ朝食にしてちょうだい!」
 麗花に声高に連呼され、のろのろと起き出した二人は、シャワー室で朝の口づけをした。
 互いのキスマークを数え合いながら、身体を洗い合う。
 拓斗の手が龍樹の股間にかかったとき、龍樹はそっと抑えて、替わりに口づけを深くした。
「ちょっと急ごう、麗花がヒス起こしかけてる……」
 クスクス笑いながら龍樹が呟いた。
「そういえば、おなか減った……」
 俯き加減で同じように笑った拓斗は、泡だらけのまま龍樹に抱きついた。
「……昨日はあんまり食べていなかったものね」
 濡れた髪は、また格別の感触だと思いながら頭を撫でる。
「龍樹さんの料理は美味しかった……でも……」
「喉を通らなかった?」
「ん……」
「ねえ、僕は酷い男だね。君の、そういう反応が嬉しいなんて……」
「うん、酷いや……。俺を苦しめて楽しむなんて……人が悪い……」
「でも、大好きなんだ」
「うん、よーっく知ってる」
 ふふふと笑い合いながら、バスローブを羽織り、肩を並べて浴室を出た。
 ラフな服に着替え、食卓に着く。
「おっそーい! 昨日はえらく派手にやってたわね」
 麗花の露骨な言い方に、拓斗は赤面する。
「早速夫婦げんかしたんだよ」
 ニヤニヤしながら龍樹が言えば、麗花は肩を竦める。
「あらあら、お楽しみじゃなかったの?」
「……それも勿論したよ。仲直りの印にね」
「たっ龍樹さんっ!」
 何を言い出すんだと怒った顔は、真っ赤に染まっていて可愛い。
 龍樹の顔はゆるみっぱなしで、思い人を見つめるだけ。
「ちょっと、龍樹。その顔、何とかしなさいよ。色男台無しよ」
 麗花が小突いても、どこ吹く風である。
「ホント、すげーにやけてる」
 拓斗に言われて慌てて顔を押さえれば、麗花がぷっと吹き出す始末。
「あー、もうっこの男ったら!! さっさと食事、済ませちゃいなさい! 今日は観光でしょ? 大事な拓斗をちゃんと楽しませないとね」
「新婚といえば、天気も判らないくらい部屋に隠ってたって良いはずなのに……」
「ぶつくさ言わないの。それとも今夜、ドロドロのシーツで寝たいの?」
「行きますよ。行けばいいんでしょ?」
 麗花にあっては形無しである。
 くすくす笑い続ける拓斗と平均的なアメリカンスタイルの朝食を摂り、龍樹はその日の観光ルートを頭に巡らせた。
 町並みを案内。役所で最新の案内図を貰う。海まで歩いていき、砂浜で一休みしたら、リックの店で昼食。そこはカジュアルレストランで、ウェイターもいい男が揃っているが、何よりも味がいいのだ。
 どこへ行っても拓斗は視線を集めていた。
 細身で引き締まった体躯も、可愛らしい表情も、それが好みの男達から見れば垂涎ものなのだから、当然である。
 珍獣使いは自分の方かもしれない。などと考えるほど。
「拓斗……僕から離れちゃダメだよ。一人になったら、とっても危ないからね」
 大抵の男達は紳士である。だが、一部の心ない男がいるのも確かで。
 龍樹は漠然とした危険予測でそう囁いたのだが、拓斗はビクッとして辺りを見回した。
「いや、大抵は平気なんだけどね」
 苦笑混じりにポンポンと肩をたたく。
 だから、それは本当に偶然に思えた。
 ざっと近間をすごいスピードで通り過ぎた自転車。
 避けようとしてよろけた拓斗が龍樹の後ろに位置した瞬間。
 まるでドリフト族のようなタイヤの鳴らし方で近づいてきた車が、二人を割るように飛び込んできた。
 当然飛びすさった龍樹は、同じように反対側に飛びすさった拓斗を車の影で見失った。車はキキッとヒステリックな音で一旦止まると、また猛ダッシュで走り去った。
 真っ黒な霊柩車。
 なんてげんの悪い……。
「……ったく、なんて乱暴なんだ……あぶないなぁ」
 車を見送って、龍樹は拓斗を捜した。土埃の舞う中、拓斗が飛びすさった方向には、わらわらと人が飛び出してきている教会の入り口があるだけ。
「……拓斗?」
 龍樹は拓斗のいなくてはならない場所に駆け寄り、辺りを見回した。
「なんなの? 今の車は……。あなた、怪我無い?」
 世話好きそうな老女が話しかけてきても、返事をする余裕さえない。
 拓斗がいない。
 いなくなった!
「たくとぉおおおおお!」
 龍樹の咆吼に似た叫びは、周りの者を遠巻きにさせるだけだった。