スペシャルな憂鬱・最終回
俺はまじまじと彼を見つめることしかできなかった。
さっぱりわからん。
「あの……」
「陽介!」
俺の声に上乗せされたのは悦ちゃんの怒号だった。
ばたばたと靴を蹴散らして駆け込んできた悦ちゃんは、まず鶴母さんの顔に手をかけ、「うわあっ」と小声でつぶやいた。
「イヤーね、絵に描いたようなパンダ顔になっちゃて……色男台無しよ」
それから、俺の方にクリンと振り返ると、ジロッと睨みあげてきた。
「ちょっと、陽介! こんな乱暴しちゃダメじゃないっ!」
乱暴……たってなぁ。
「なんでこんなことしたのっ?」
「ぁ……いや、その……」
い、いえないよぅ。
悦ちゃんを裏切ったからだなんて。
「悦子、彼には事情話してないの?」
鶴母さんが割って入った途端に、悦ちゃんの顔色が変わった。
「やばっ」って、舌打ちしたみたいに。
「な、何で今……」
「……僕はもう待てないよ。だから……佳織さんも呼んだ」
悦ちゃんの目のむき方は俺も初めて見る表情。
「邦ちゃん……貴方……陽介に?」
「言ってない。説明するのは、君の役目だと言ってたろう?」
俯いて黙った悦ちゃんが何を言い出すのか待ちきれない。
「……悦ちゃん、何? 何のこと?」
「……陽介……。邦ちゃんね、ゲイなの」
うっ。
そ、そんなのは当に知ってる。
いや?
「……バイ……じゃないの?」
……悦ちゃんと結婚するのに……?
「……何で驚かないのよ?」
「あ……。だ、だって……」
しどろもどろになった俺は、思わず鶴母さんを見上げた。
眼差しは、暖かく、俺に注がれてる。
……片パンダだけど、格好いい……
なんて、うっとり盗み見てたら、くすっと笑って鶴母さんが言った。
「陽介君とは確かめ合ったから」
げっ。
悦ちゃんは目を見開いて俺を見た。
「……んっですってえ?」
うううっ。こ、こわいっ。
俺はざっと飛び退いて土下座した。
「ごっごめんなさいっごめんなさいっ」
「……身体の相性もぴったりだった……」
……うっとりいうなぁっ。
カアッと頬が熱くなる。
「邦ちゃん……?」
悦ちゃんの声は綺麗に響くアルト。だけど鶴母さんを呼んだ声は……まるで地獄の魔女のよう。
「ん?」
バキッって音は………………?
俺が土下座から顔を上げたとき。
悦ちゃんの拳はぷるぷる震えてて、鶴母さんは……残ってた目の方を抑えてた。
「あんた! 陽介こましたのっ?」
こっここここここっ!
首を振りながら、鶴母さんが身を起こした。
「……相変わらず手が早いなぁ。パンチも姉弟そっくり……」
両目パンダになった鶴母さんが、口元をゆがめて言う。
「君が早く話してくれないから陽介君にまで殴られちゃったのに」
「……なんでよっ」
「……僕は君を裏切ったことになっているらしい」
「……」
「陽介君が、僕のものになってくれないんだよ。君のせいで」
悦ちゃんがぱくぱくと酸素不足の金魚のように呼吸した。
目もうつろに見開いたまま。
それから……。
ぽろっと大粒の涙がこぼれた。
「陽介……あんた……」
なんでだか、悦ちゃんの泣き顔が笑って見えた。
でも、悦ちゃんは泣いてるんだ。俺たちのせいで。
もう全部ばれちゃってて。取り繕うことも出来なくて。
鶴母さんは完全にパンダ顔。
俺は天井を振り仰いで、お袋の顔がどっかに見えないか探した。
ふわっと頬をなでられたような気がして、悦ちゃんを見据える勇気が出た。
「……悦ちゃん……ごめん。俺……鶴母さんが……」
好きって言う前に抱きしめられた。
「ごめん! ごめんねっ」
「悦ちゃ……?」
たっぷり5分間さめざめ俺の胸で泣いてから。
悦ちゃんがか細い声でつぶやいた。
「……あたしもゲイなの」
………………。
「……はあっ?」
「あたしの、本当の恋人は佳織!」
涙でグシャグシャになった顔でそんなことを言う。
「ぁ、あんたにはどういおうか……わかんなくて。邦……邦ちゃんが……」
「飲み屋でナンパされたって言ってたじゃん」
「……ゲイ&ビアンナイトの日にね。初めて会ったんだよ」
後ろから囁かれてびくっと見上げれば。
俺のこと、愛しいんだってのぞき込む瞳が訴えかけてきた。
「彼女……君に似てたから」
なんで?
会ったこと無かったのに。
鶴母さんはクスリと笑った。
「写真、送ってくれただろう? 分厚い感想の手紙と一緒に」
「あ……っ」
そんなこと……あったかも。
「君の感想は僕を元気づけてくれた。あれは……僕へのラブレターだった……よね?」
そうだった……。
紅乃みつるの男性キャラ崇拝をメインに書いた感想は、見る人が見れば、書き手がゲイだってすぐ判りそうなものだった。
だから……恥ずかしくて、名前も住所も書かなかったんだ。
「君を捜していた。横浜集中の消印だけを頼りに。彼女を見つけたとき、僕は……夢かと思ったんだよ」
「……あんな所で女ナンパして来るなんて悪目立ちしすぎだったわよ」
そりゃそうだ。
ヘテロがいるべき所じゃないもんな。
「……写真の少年にそっくりな女性って言うだけでも、僕には手がかりだったからね。ちゃんと陽介君に出会えたし……僕は運がいい」
パンダ顔の切ない瞳が、俺を貫く。
「な、何で結婚なんだよ?」
悦ちゃんの望みだって言ってたよな?
鶴母さんも好都合だって……
でも、佳織さんは反対だった……。
「世間体よ。邦ちゃんならおあつえらえむきだったもの。騙したことにもならないし。お互いに好都合だし」
「そんなの変だ……」
悦ちゃんが苦々しく笑った。
「変でも何でも、これは出会いだと思ったのよ。あたしだって、邦ちゃんみたいな人と出会わなかったら、こんな事考えなかった。佳織は、事情を話しても信じてくれなくて。新居の隣の部屋買って越してきたときはびっくりしたけど。今じゃ、それも好都合」
「な、何か……」
「ご都合主義よね。でも今、私は望みがあるって思ってるわよ。邦ちゃんとあんたが……」
俺は頭を振った。
世間を騙して、自分を騙して。そんなの……
「悦ちゃんそれ、変だよ」
「変でも何でも、全てが丸く収まるの」
「それで俺に、佳織さんと結婚しろって?」
悦ちゃんは、初耳だったらしい。目を剥いて鶴母さんを睨んだ。
「邦ちゃん、そんなこと言ったの?」
「だって、好都合なんだろう? 完全なチェンジになるじゃないか」
「そりゃあまあ、そうだけど……」
「僕としては、陽介君が望み通りの恋人になってくれそうなんで、いけると思ったんだけどな」
「……何で早く言わないのよ? 陽介もだって。知ってればこんなに……」
「……黙っててって。姉弟そっくりな台詞で言うから」
あっ、鶴母さん、楽しんでる。
声ににやつきを感じて、俺はちょっと驚いた。
皮肉屋なのか?
「鶴母さん、意地悪だ……」
俺だって、あんなに悦ちゃんとのことで悩んでたのに。
切り札は、全部鶴母さんが持ってたんだ。
ドンと胸を叩く。だんだんと激しく。
「意地悪!」
悩んだのに。泣くほど悩んだのに。
「悦ちゃんには……幸せになって欲しくて……、でもっ、俺、俺だって……す、好きで……どうしようって……」
嗚咽が言いたいことを上手く言わせてくれない。
逞しい腕が俺を絡め取って、ぎゅうっと抱きしめた。
「ごめん……虐めて……ごめん……」
俺の頭に顎の重み。鶴母さんの温もり。逞しい……腕。
本当に……本当に、俺のものになるの? 俺だけの……?
「……なあに? 今日は……?」
鈴を振る様な声が場を変えた。
「佳織!」
駈け寄る足音。佳織さんを呼ぶ悦ちゃんの声は、聞いたことのない甘さがあった。
「悦子さん……? なんなの?」
ふわふわの綿菓子のような佳織さんが、悦ちゃんを包み込むように抱きしめてる。
この二人………?
「悦子は彼女とが幸せ。でもね。彼女の家がね。堅いんだ。だから……君とならカムフラージュになるって……」
悦ちゃんが説明し始めたら、佳織さんが俺をびっくり眼で見ていた。
……悦ちゃんのため?
「……ダメになったら?」
「悲しいこと言うなよ。ダメになったらダメになったときだろう?」
「偽装契約結婚か……」
「字面が悪い言葉だなぁ。でもそうだね」
鶴母さんの苦笑は楽しそうに響く。赤ちゃんみたいに抱きしめられたままゆっくり揺さぶられて俺は心地よさにぼーっとしながら悦ちゃん達を眺めていた。
佳織さんはだんだん真顔になって悦ちゃんの言葉を必死にかみしめてる。
「結婚てなんだと思う?」
突然の問いは、俺を夢から引き戻す。鶴母さんも、都合としては結婚賛成なんだよね……。なんだか俺は……やだなぁって思ったんだけど。
「……さあ? 恋愛のハッピーエンド……だけじゃないよね」
「世間では、そこで初めていっぱしの大人扱いってところあるよね?」
……そうだなぁ。仕事してても、いつまでも独り身だったりする人は、ちょっと変わってるとか……そういう風に言われやすいって。徹も言ってた。
「女性の場合は生活の安定。男性の場合は社会的な立場の安定。そう言うのが含まれちゃったりするからややこしいんだ」
「一人で頑張ってる人もいっぱいいるのにね」
俺の顧客は、そういう人の方が多いし。
「フォーマルなパーティは妻同伴じゃないと認められなかったりするけどね」
ああ……。そのために娼婦を雇った男の映画もあったよね。
「僕らみたいな人間の結婚は通常誰かを傷つける事になりかねないだろう? 僕だって……こんな無茶なご都合主義は運命の女神の悪戯だと思ってる。……だからこそ、君は僕の運命の人なんだよ。さらってしまいたいくらい好きだった人が、世間体なんて理由までおまけに付けて現れたんだから」
「……鶴母さんや佳織さんのご両親は孫の顔を見たがるよ?」
「不妊を装えばいいさ。それも僕と彼女が。もちろん、子作りのためだけに君を貸し出すなんて耐えられないからね」
本当に出来るだろうか? そんなこと……
悦ちゃんに目を向けた。
以前に見たニヒルな表情に変わってた。
「陽介」
佳織さんの手を引きながら俺の側に来てじっと見上げてきた。
これは姉の「おねがい」の前兆。佳織さんはまだ少しだけ懐疑的な表情をしている。
多分、俺と同じ様な不安。
「佳織と結婚して。お願い」
俺は佳織さんの顔色を伺った。
「佳織さんは……どう思うの?」
後ろから俺を抱きしめている鶴母さんの腕に力が入った。
髪に顎の重み。チュって羽根のようなキス。
鶴母さんは俺に結婚するって言わせたいのかな?
佳織さんは泣きそうな顔で笑った。
「ずるいやり方だと思うわ……父や母を騙すんだから……」
悦ちゃんが顔を歪ませる。
「でも、結婚して」
決意を含んだ声はすごく凛々しい。
「私は悦子さんと一緒にいるためなら誰でも騙し通してみせるわ」
佳織さんは綿菓子のようなお嬢様然とした人だけど、やっぱり医者としてはいっぱしなんだろうな。悦ちゃんが惚れたくらいだし。それくらい凛々しかったんだ。
いいのかなぁ、ほんとうに。
「……状況によっては、1年くらいで離婚してもいいわよ。あとは、もう懲り懲りだって言って過ごせばいいわ」
悦ちゃん……何をそんな計算してんだよぅ。
「陽介……決心して。僕達のためにも」
ああ〜〜〜腰に来るバリトンが俺に迫ってくるぅ。
「陽介って、いっつもこういうとき優柔不断なのよね」
ううううっ。
「さ、三対一なんてひどい……」
俺のこだわりを、佳織さんだけは分かってくれそうな気がして、目で縋った。
佳織さんはクスって笑った。俺の前では、初めての爽やかな笑顔。
腹をくくったって事かなぁ。
「新居はあのマンションの二部屋ね。間に扉をつけましょう。鍵付きで、隠し扉風にしましょうか。秘密基地みたいで入れ替わるのも楽しいわ」
楽しい……んですか……。
「……分かった……やってみよう」
俺は言うしかなかった。
道徳心なんて今更だし、欲しかったものをまとめて手に入れるチャンスを捨てる事なんて、所詮無理。
ああもう……これは笑うしかない。
「はは……ははははは」
「よ、陽介?」
「秘密基地とか、偽装なんてスパイ活動みたいだ」
笑いながら、鶴母さんに抱きついた。
腰に回される腕に満足しながら、悦ちゃん達を振り返る。
「俺が貰ってもいいんだね? もう、俺のもんだからね?」
念押したくなった俺の気持ち、分かる?
念願の、ただいまが言える相手。
それも、憧れの、大好きな相手なんだからね。
結婚式は合同で。
並び方はじゃんけんで決めた。
俺が勝ったから、佳織さんと悦ちゃんは両端。俺と鶴母さんが真ん中に並んだのさ。
俺と鶴母さん。悦ちゃんと佳織さん。
一緒にご飯食べることもあるし。
三角関係になっていたときは不安がっていた佳織さんも、俺が混ざって安心らしい。
俺自身も、案ずるより産むがやすしって感じ。
助け合って生きていけば、うまくいくんじゃないだろうか、なんて思い始めてる。
佳織さんや、鶴母さんの親族を前にしながら、ちょっぴり先を心配して憂鬱にはなったけど。
今までのとはうってかわって、立ち向かいたいスペシャル級の憂鬱だったりする。