スペシャルな憂鬱・第一回 2 |
「おかえり」
ドアの音に反応して奥から現れた長身は、天井が高い仕様のマンションじゃなきゃ辛そうな程だった。八・五頭身ていうプロポーションは、長い脚のせい。タンクトップのTシャツとスリムのジーンズで、しっかり筋肉質のがっしりした体躯だって分かる。考えてたより、ずっと格好いい。
「君が陽介君? 鶴母です。よろしく」
低く腰に響く声と同時に差し出された手は、しっとりとした綺麗な肌で覆われ、男らしい骨張り方をしていた。
うわぁ……。
握られた手から、体温と一緒に弱電流を送られて、俺はヨロリと一歩後ろにさがった。ズキュンと股間に響く危ない感覚を何とか抑えなきゃ。腕に掛けてた背広を前に持ってきて隠した。
「ああ、暑気あたりかな。冷たい物用意しといたから、早く上がって」
大丈夫、気づかれてない。
握った手をそのまま引き寄せられ、俺は抱き支えられて靴を脱いだ。
いいなぁ。こうやってずっと抱かれていれたら、幸せだろうなぁ。
「陽ちゃんて、相変わらず弱いのね」
「タクシー、使えばよかったのに」
「ワンメーターだもん、もったいないわよ」
マンションとは思えない長い廊下。身体を支えられたまま案内された部屋は、広いリビングルーム。南に向いた掃き出し窓から入り込む日差しは高そうなレースカーテンで弱く遮られ、明るい部屋になっていた。そっと座らされたソファは柔らかいレザー。
高そうなマンションだってのは、外観でも分かってたけど。広いし素材も高価そうで。
家具もいい物そろえてる。
「……大丈夫?」
心配そうに覗き込んできた顔は、意志の強そうな顎を持った男らしい輪郭と穏やかな光をたたえた切れ長の瞳。超好みなんだよな……。
返事もせずにうっとり見とれてしまった俺は、鶴母氏の眉をひそめた顔が更に近づいてきて慌てた。
まずいよ。この人は、悦ちゃんと結婚するんだ。たとえ、俺好みの小説を書いてたって、仕事にすぎないんだ……。
そうだよ。実際には滅茶苦茶陳腐な台詞で、女口説くんだぜ。
ストレートの男に惚れたりしちゃだめだ。
「だ、大丈夫です」
俺は彼を押しのけて、立ち上がった。
「きみ?」
彼の呼びかけに揺らいじゃいけないのに。
つううんと胸を射抜かれた気分になる。ここにいたらいけない。
「あの。急用思い出しちゃいました。すみませんけど、俺はこれで……」
「え?」
戸惑いを露わにして、俺の肩に手を伸ばしてきた。瞬間の電撃に、俺は身をよじって彼を避けた。まずい。意識してしまう。
「僕が何か、気に障ることを?」
傷ついたって顔されて、俺は慌てる。
仮にも兄になる人だ。失礼があっちゃいけないのに。
「そうじゃないんです。その、俺、人と会う約束入れてたの思い出して。あの、悦ちゃんのこと、よろしくお願いします!」
とりつく島もないって調子で駆け出した。
マンションのエントランスを抜けて、やっと息を付く。ぎゅっと自分の肩を抱きしめて、たった今出てきた建物の一角に目をやった。
605号室……俺にとっちゃ禁断の国。
手を握られただけで身体に火がついた。いとも簡単に。
俺、淫乱だったんだな。いくら好みの男だからって、即ヤりたいだなんて。
つい目があの人の股間に行きそうになった。ジーパンに抑えられて大人しくなってるあの人のアレ。舐めて起たして、俺の中に感じたかった。考えただけで、また胸と股間がキュンと締め付けられる。
「!」
ノンケだぞ。悦ちゃんの彼だぞ。
「だめ。あの人とは二度と会っちゃなんねー!」
ぶんぶん頭をシェイク!
したらばズボンのポケットで携帯がブルッた。
うおぅ! やべ。アソコに変な振動がきやがった。
慌てて取り出して、着信番号を見る。
杜野徹……。俺の上司兼セックスフレンド。ナイスタイミングだ。
「なんだよ、徹? 俺、今日は有休だぜ」
こんなタメ口、会社では絶対しないけど、徹の希望だから。プライベートでは対等だって。当たり前のように言われて、嬉しかったことを覚えている。
「用事終わったんなら、今から来ないか? 荒崎女史がいきなり病欠なんだ。」
荒崎女史……。俺達営業の尻拭いをやってくれる束ねの事務職だ。つまり、デスクワークを手伝えって?
「仕事なんてしたくネーよ」
「夕食、一緒に喰おう。その前にちょっとだけ手伝え。電話番だけでも。こないだ納品した印象材がロット丸ごと不良品らしくて」
うげげ。また謝って歩くのかよ?
「……一発先に抜いてくれたら手伝ってもいいぜ」
「なんだよ? それ……」
「生理」
ブッと噴く音がした。
「いいから来い!」
ブチッと切られた。
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