綺麗なバラに恋しよう
第三回
涼やかなドアベルの音と一緒に入ってきた人は、まず入り口で立ち止まる。
思わず辺りを見回し、自分が入ってきた店が目的の店じゃなかったかもと考えるのだ。
「いらっしゃいませ〜」
すかさずボクが客を席まで案内。
とまどい顔の客も、渡されたメニューが同じなので、少しほっとするようだ。
大抵が、「マスターは?」と聞く。
「旅行中です」と答えると、常連らしい人は、またかとうなずく。
そう、結構マスターッてば臨時休業とか長期休業とかを余儀なくされたりしてたから。『またか』なのだ。
「今回は、助っ人に留守番頼んだ訳ね?」
チラと麗花さんを見ながら、いったいマスターの何っ? てな顔するのが女性客。
どっかで見たような……という顔する人もいるけど、レイカを思い出す人は少ない。
現役時代のロン毛と、今のショートボブでは感じが違っちゃうのかも。
服装もラフだし。
そう、『ElLoco』にドレスは似合わないからと、マスターの白い綿シャツをラフに着て、スリムなジーパンという出で立ちなのだ。
化粧はそれなりにしてるけど、ナチュラルメイクって奴。
料理はマスターが作り置きして冷凍していったものが主体だし、お客はいつものように過ごして帰っていく。
何人かの常連は、コーヒーの味で少し眉をひそめたけれど、それにしたって、よその店に比べれば断然美味いから、文句は出ない。
比較するレベルが違うんだから、仕方ないなってことだろう。
「マスター、いつ帰ってくるの?」
との質問には、予定では10日間の旅行だと答える。
「ああ、今度はちゃんと帰ってこれるとイイねぇ」
なんて、嫌みでもなく言われた。
「前回の長期休業の時は、旅先で撃たれたんだろう? 外国は怖いよ」
え、そうなの?
麗花さんを見たら、困った様に笑ってた。
「マスターの場合、特別にそのての事件を呼んじゃうみたいで。一般的な例とは言えないわ」
あー、なんか分かる気がする。
マスターが二丁目の店に現れたときも結構騒ぎがあったっけ。
ああいう綺麗系の男って、嫉妬されて反発されるか、追いかけ回されるかどっちかだし。
遊びなら付き合ってもらえるって分かってからは、取り合いとかしてる人いたしな〜。
本気っぽい人とか後でもめそうな粘着質は避けてた様だけど、清田さんとか食っちゃったせいで、後で拓斗君がひどい目に遭ってたっけ。
うわー、マスターってボクが思ってる以上に疫病神体質かも。
「香奈ちゃん、レジ締めたら上がっちゃって。夕ご飯食べよ」
「はあい」
お店は少しだけ早じまい。オーダーストップの時間は越えてたからOKだよね。
奥のプライベートキッチンで、麗花さんが立ち働いてた。
「香奈ちゃんは飲めるクチ?」
冷酒とグラスを並べながらボクを伺う。
「あ、少しなら……」
「じゃ、つきあって」
その日の食卓に並んだのは和食だった。
いつ作る暇があったんだろう?
ほうれん草の白和えと、バチマグロの竜田揚げ、オニオンスライスは定番の鰹節としょうゆ味だ。アボカドとエビのサラダは、ワサビマヨネーズ味が使われてるみたい。
ええと、おみそ汁はシジミ汁?
あ。豚肉のピカタもある。……え? ボクの分だけ?
「私にはカロリーオーバーなのよ。あなたには、必要でしょう?」
ボクの目線で気づいたのか、麗花さんが苦笑した。
何か、すげー感激的な光景だよなぁ。
ボクの憧れの人が、ボクのためにご飯作ってくれてるんだもん。
ボクの目に星が飛んでたのか、麗花さんがクスリと照れくさそうに笑った。
「半分くらいは龍樹が下ごしらえしといた物だけどね。あいつって、本当、マメよね」
あ。そうなんだ。
「でも、麗花さん、半端じゃなく料理上手いんですね」
そうだよ。注文後から作るパスタ類とか、マスターと比べたって劣ってなかったもの。
「うーん、一応、ペンションのオーナーシェフだったし? ……まあ、龍樹の影響大なのよね。ほとんど料理はあの子にならったんだから」
「ああ、部屋をシェアしてた時?」
「ええ。あの子が忙しい時、私がやってあげればお互い楽だし。とはいえ、すっごい細かい奴だから、本当に鍛えられたわよ。その辺の姑より口うるさいんだから。すっかり嫁気分だったわ」
「あははは。マスターって、本当に女に厳しいですよね」
「そうそう、親の敵か?ってほど。あの子の女嫌いはゲイだからって理由にならないわよね」
「まあ……煩わしいこともいっぱいあったんじゃないですか?」
なんとなく弁護に回っちゃってる自分が意外。マスターは、本当に良くモテる人で。それを迷惑としか考えない人だったから。ボクからしてみれば羨望とか嫉妬の対象でしかなく、すごく、腹立つ存在だったのに。
「……本当に好きな人にさえ振り向いて貰えれば、後はどうでも良いんですものね。あの子、変わったわ。もっとピリピリしてたのに」
「ああ……そうかも。拓斗君に片思いしてた時は、ピリピリって言うよりオロオロピクピクでしたけどね」
今思い出しても笑っちゃう。思い人の態度や顔つきに一喜一憂して、おかしいほどに浮き沈みが激しかったから。つつけば見事に反応してたし。面白いオモチャだった。
「うーん、見てみたかったなぁ」
良いながら、麗花さんは想像付いてるんだろう、遠い目をして微笑んだ。
本当に弟みたいにかわいがってるんだろうなぁ。
「あの子ね、ストーカーされたりが日常茶飯事で。一人、目の前で当てつけ自殺した子もいたのよね。自分が人類愛的に親切にしてあげても勘違いされちゃうって、本当に気を張りつめてたから。必然的に望みを持たれないように冷たい態度取るようになって。なんだかそんな自分に自分で傷ついてるところもあったし。今は、拓斗君のせいか、少し安定したみたいね。余裕を感じたもの」
「あの二人、むかつくほど仲いいものね。拓斗君、ノンケらしかったから、てっきりマスターは片思いのままだと思ってたのに……」
「あらあら……」
「あれ、餌付けですよ。絶対」
「そうね……、拓斗もそう言ってたわ。料理に惚れたのが最初だって。あんな綺麗な男でも容姿じゃ本命をゲットできなかったって事よね」
「はぁ……」
でもさ。マスターが不細工だったら、拓斗君は一線超えなかったんじゃないの?
なんて思う。
結局、見た目ってけっこー大事だと思うんだよね。
もちろん、綺麗なだけじゃ駄目だ。内面からしみ出てくるものが、器に別の色を与えるから。
これは、同僚の蜂谷君の言葉。蜂谷君はカメラマンが本業で、人の輝きは中身からだって言う。で、輝きが見た目に影響するから、結局人間見た目なんだって。
ややこしい……
「拓斗はね。龍樹が綺麗じゃない方が嬉しかったみたいよ。何で、彼が自分を選んだのかわからないってぼやいてたもの。釣り合わないってね」
「ふうん……」
僕から見れば、十分に釣り合ってるような……
「というか、拓斗君は、マスターにはちょっともったいないくらいの癒し系だよね」
「あら、香奈ちゃんもそう思う? そうよね〜、私もそう思うの。拓斗って、ばか素直だから、龍樹に欺され放題って感じ」
「あはははは」
「まあ、拓斗も、ああ見えてかんしゃく持ちだし、龍樹みたいな妙に打たれ強いような男じゃないとだめかもね。まさしく割れ鍋に綴じ蓋ってことかなぁ」
嬉しそうに見交わす瞳のカップルを思い浮かべた。
麗花さんも遠い目をしている。
「……」
「…………」
何の気なしに二人で見交わして、多分同じこと想像してると分かった。
「あいつら、今頃ラブラブ……」
「観光してない方に千円!」
「私も。って、賭にならないわ……」
腹を抱えて笑う。今頃、マスターたちはクシャミしてるかも。
そうして楽しく夕食を終わらせ、並んで後かたづけをしていたら。
けたたましく電話が鳴った。
「今頃誰かしら……」
怪訝そうにしながらも、マスターの知り合いなら留守であることを伝えなければならない。もちろんどこに行ったかなんて教えないけれど。
「はい……桂川です」
揺れる瞳のままに、麗花さんが応答した。
電話の相手が何を話してるかは知らないけれど、麗花さんの手がメモを始めた。
途中から険しい表情になった彼女は、電話を切ったとたんに店にむかった。
「……どうしたんですか?」
「ネット、事務室のパソコンで見られるわよね?」
「ああ、はい。でも、いきなりなんですか?」
「拓斗の学校の友達で、笹沢って子から……緊急だって言うのよ。連絡したいっていったって、モルディブまで電話させるわけにもいかないものね。まず確かめてから、必要なら龍樹に電話しないと」
「アキラ君……? てことは、また何かトラブルですかね」
「何でそうなるの?」
「えっと、その子、二丁目で結構うろうろしてるゲイなんですよ。マスターの信奉者だったりして……、今じゃ、そのマスターを骨抜きにしてる拓斗君の崇拝者……かな」
「ああ、それで……?」
いいながら、麗花さんは猛スピードでパソコンを立ち上げ、ブラウザの検索欄に手打ちでURLを入れた。
エンターキーを押したとたんにダウンロードされ始めたのは、えらく重たい画像ファイルだった。椰子の葉らしい緑、人の素肌、金茶の髪と、黒髪が重なり合って……口づけ。
ああ、マスターと拓斗君だ……
「げ……」
残り半分が表示されたとたんに、麗花さんはブラウザを閉じていた。
ボクも呆然とウィンドウズの画面を見つめてしまう。
画面の壁紙は拓斗君の笑顔のアップ。でも……さっきのは……
「全く、何みせるのよっ! あの子たちには羞恥心てものがないのかしらっ」
「あっ、でも……」
多分、彼らの意志じゃない。
あんな露骨に挿入されてるところを写し取ったエッチな写真……。
しかも、お互いしか目に入らないような、夢中になってまぐわってる最中の画像だ。
「きっとマスターたち、気づいてないですよ。こんなのが公開されてるなんて……」
麗花さんは気を取り直して、この画像のおいてあるサイトをチェックし始めた。
「ああ、ゲイの出会い系の掲示板もおいてるのね。一般的なサイトじゃなくて、まだましだったかしら。今日になって上げられたってことだから、まさしくあいつら、ラブラブしてたわけだ……」
「なんて、悠長なこと言ってられませんよ。アキラ君が知らせてきたってことは、もう、マスターのそっちの知り合いには出回ってると考えた方がいいです。まずいなぁ。真由子ママに知らせるべきかなぁ」
おろおろと考えてしまう。とっくに知ってるなら、絶対保存かけてるだろう。
でも、知らなかったら……。後で、何で教えてくれなかったの? と、なじられる……。
「あら、その人、あなたも知り合いなの? 笹沢君は、その真由子ママって人から教えられたんですって」
「ああ……。私の本当の雇い主ですよ。店の電話、何度か間に合わなくて出損ねた奴、ありましたね。あれが真由子ママからだったのかなぁ」
とりあえず、連絡不要と知って、ボクはホッとする。
いや、そうじゃなくて。
「マスターに電話……しないと……」
国際電話って、緊張するなぁ。ホテルの番号だから、きっと英語かなんかで応答してくるんだよね。部屋番号わかんないし……どうしよう……
「龍樹がおいていった自宅用パンフどこ? あれに、ホテルの番号書いてなかったっけ?」
ああ、そうだった、心強い助っ人がいたんだっけ。
麗花さんに探し出したパンフを渡すと当然のように電話をかけてくれた。
早口の英語は、ネイティブ発音だ。
でも、マスターにつながりそうになったら、ボクに受話器を渡してきた。
「え?」
とはいうものの、多分あの画像についての説明をしたくないのだろう。
ボクだって嫌だけど……
ええい、しかたないっ。麗花さんのため……!!!