綺麗なバラに恋しよう
第四回
不機嫌そうなマスターの声は、やばい時に邪魔しちゃった可能性を伝えてきたけれど。
「マスター! マスター! 大変だってば」
最重要事項には違いないから、早速まくしたてた。
マスターはまさか盗撮されてるなんて知らないから、麗花さんがどうかしたのかと思ったようだけど。ボクはマスターにURLをメモさせ、すぐ見るように言うのがやっとだった。メールなら海外だって安くてすむけど、電話は……バカ高いから。
「やっぱり、気づいてなかったようですよ」
受話器を置きながら、麗花さんを見た。
苦笑してる彼女は、ただ、頷いただけ。
「拓斗が見たら、落ち込みそうね。龍樹は保存したがるだろうけど」
「そうですね。拓斗君、かわいそう……」
「ところかまわずやらかすから、そんな目に遭うのよ。これで、少し自重してくれるといいんだけど」
麗花さんのペンションに泊まったときも、激しかったんだそうだ。
とは言っても、それは一日だけ。翌日には拓斗君が拉致されて、新婚旅行どころじゃなかったらしい。
「マスターたちって、どうしてこうもトラブルに遭うんだろう……」
他人事ながら、溜息が出る。
「とにかく、向こうからの連絡待つしかないわね。お風呂、先に入っていいわよ」
「いえ、麗花さん先に……。後かたづけしちゃいますから」
作ってくれたんだから、片づけくらいはボクがしようと思ったんだ。
麗花さんもボクの気持ちをくみ取ってくれたのか、軽く頷いた。
「じゃあ、お願い」
優しい流し目をボクにくれてから、ふわりと浴室に向かって歩き出す様は、少し足を引きずっていても、やはり綺麗だった。
この人が、もうウォーキングできないなんて、すごくもったいない。
モデルはただ綺麗なだけじゃだめで。ウォーキングなら、見せなきゃいけないのは服なのだ。その服を、最大限に美しく見せるための動きをしなければ、モデルじゃない。
彼女は多分、本能で、服の性質を見抜き綺麗に見せる動きをする。
モデルは天職だったに違いない。
「いいなぁ……」
ボンヤリ見とれて呟いた。
そのときすでに、ボクは嵌っていたんだと思う。
翌日の午後、一番忙しい夕飯時に店の電話ががなり立てた。
「はい、喫茶エルロコでございます」
営業用のマニュアル口調で応えると、小さく息を呑む音が聞こえた。
『ああ、ごめん。時間早かったね。忙しいかい?』
すまなそうな響きは案の定マスターで。ボクは笑って応えていた。本当は死ぬほど忙しいときだったけど、断るわけにはいかない。
「そこそこに。でも、時差在りますものね。しょうがないです。で、どうなりました?」
彼がわざわざ電話してくるなんて、昨日の事件がらみでしかないはずだし。
『ああ……変な女に目をつけられてしまったようでね。偶然居合わせた知り合いの手を借りて、調べたんだけど……。詳しいことは僕のメーラー開いて。自分宛にメール送っておくから。でね、ちょっとメモして』
そうしてマスターは、三人の名前をボクにメモさせた。
「 清水……亮……と、真沙子……ですね?」
『それと、念のために、パラダイスツアーの西村って人を……』
「はーい。あ、最後の人は多分お店にきてるかも。エリザベスの方だけど」
『えっ? そう?』
「パラダイスツアーでしょ? 領収書書いたことあるもの。ボトルキープしてて、名前が西村……会社に複数いるんならわからないけど。ママに確認しておきますね」
『さすがだな。頼もしいよ』
「イヤーだ、おだてたって何もでないですよう」
『もしエリザベスのお客だったとして、僕が面識ある可能性は?』
「ええ? うーん、多分ないと思うんですけどぉ。確か、あの人はマスターがお店始めてから来るようになった口だから。マスター、結構写真とられてたりしたから、あちらがマスターを見知ってる可能性はありますけどね。噂とか、話の種で」
それを聞くと、マスターは大きく溜息をついた。
『全く、僕の肖像権はどうなってるんだろう……』
「あはは、それはもう、ないってことで。今の世の中、目立つ人は芸能人並みの苦労がありますね〜。まあ、とにかく、こういうことは真由子ママに頼んじゃった方が早いですから。そっちに手配します。それでいいですか?」
『うん、頼み事ばかりでごめん。何かわかったら電話ください。真由子さんにもおみやげ買ってくるから』
「とーぜん! あ、でも、真由子ママはあの画像だけでおなかいっぱいかも〜」
『うっ……』
思いっきりうなったマスターに、思わず笑いを吹き込んでしまった。
「龍樹なの?」
手を止めて麗花さんがボクを伺う。
「あっ麗花さんっ。マスターですよ。かわります?」
軽くうなずいて濡れた手を拭くと、衣擦れの音も軽やかに近づいて来て、ボクから受話器を受け取った。
サラリと黒髪がしなる。うっとりするような微笑みを浮かべ、受話器の向こうのマスターにほほえみかけた。
「龍樹? 大変みたいね」
ボクは麗花さんに一瞬見とれ、仕事のフォローのためにカウンターに入った。
出来上がっていた料理を順にテーブルにサーブしながらも、どうしても麗花さんの様子に目がいってしまう。
「香奈ちゃん、マスターからの電話なの?」
こそりと開店当初からの常連のOLさんがボクに尋ねてきた。
「はい。やっぱりお店が心配みたいで……」
なんて、適当に答える。本当の事なんて言えないし。言ったら、ネットで写真探したりするかな? この人……。
「前にお休みしたときは長かったわよね。旅先で怪我したんでしょう?」
「ああ、そうみたいですね。とりあえず、今度は予定通り帰ってきそうですけど……」
ボクの知らない話題は、それしか答えようがない。
「麗花さん、よくやってるわよね。料理の味もわりと似てるし。マスターとどういう関係なの?」
「私もよく知らないんですよ。帰ってきたら、マスターに聞いてみてくださいね」
「えー、教えてくれるかなぁ? 拓斗君のいるところで……」
「ですから、試してみたら面白いですよ」
ふふふと意味深に笑って見せて、カウンターに戻った。
ふと見ると、麗花さんの眉間に思いっきりしわが。
うわー、なんて思ってたら、ぐらっと麗花さんが揺らいだ。
ボクは慌てて彼女の側に駆け寄り、倒れかけていた彼女を支えた。
おもっ。
ボクより背の高い麗花さんが力を抜くと、ボクの腕力じゃちょっとやば目。
「麗花さんっ、どうしたのっ?」
貧血起こしかけたかのように、麗花さんは目を閉じたまま、ぐったりと力が抜けていく。
「香奈ちゃん! 大丈夫?」
さっきのOLさんとか、カウンターに一人で居た男性客やらが慌ててボクの手助けに駆けつけてくれた。
みんなで麗花さんを支え、ボクは彼女の手から落ちた受話器を取った。
「ああ、マスター、すみません。麗花さん気分が悪くなったみたいで。後で連絡しますから。とりあえずこれで」
『うん、麗花を頼む』
ボクの慌てた様子に、心配だろうに何も聞かずにそれだけ言うと、マスターは電話を切った。
ボクはお客さんの手を借りて、私室の方のソファに麗花さんを寝かせた。
「救急車呼ばなくて平気なの?」
OLさんが言うと、手を貸してくれた年輩の男性が、軽く麗花さんの様子を診察しながら答えた。
「大丈夫そうだよ。軽い貧血みたいだ」
「あ、外沢先生だったの? 白衣着てないと別人ですね」
って……医者だったの? この人……
あー。何かタイミング良すぎ。
それにしても……お店どうしよう?
料理作れるのは麗花さんだけで……困った、困った。