綺麗なバラに恋しよう
第二回

 「寝室は麗花が使うから、君は居間のソファベッド使って。ごめんね」
 駅まで迎えに来たマスターが、道すがらに言い出した。
「えっ? 住み込みなんて、聞いてないですけど」
 すまなそうな顔で、マスターはきっぱり言い切る。
 ボクに選択権はなさそうだった。
「……君の仕事は、店の事より、麗花の見張りがメインだから」
「……そうなんですか?」
「住み込みだと不都合かい?」
「いや……ボクは不都合じゃないけど……。マスター、ボクが男だって知ってますよね?」
 念押しの様に言ってみた。
「もちろん。ノンケだってこともね」
 ギリシャ彫刻を更に磨き上げた様な整った美貌がウィンクしてきた。
「大事なレイカさんと一緒にいさせていいの?」
「信用してるから」
 真顔で見下ろされ、その眸の奥の炎にどきっとした。
「う……」
 そうだった。マスターは、怒らせるとかなり怖い。清田さんとか、アキラ君とか、マスターの変容を経験した人たちは恐ろしい経験をしたと語る。
 さながら大魔神。あの、作品は知らなくても埴輪から鬼の形相に変わる画面は知ってる人が多い、古い特撮映画。まさにあの変身を思わせる変わり様だとか。
 恋人の拓斗君が、唯一彼をコントロールできる存在だって。
 引きつったボクの頭をくしゃっとかき混ぜてから、彼はニヤッと笑った。
「麗花はそう簡単にどうこうできる玉じゃないよ。逆に犯られない様に気をつけた方がいい」
「そっ……!」
 ゴクリと生唾。ま、マジ?
 だったら、超嬉しい……
「もっとも、麗花はビアンだから」
 ガクッとなった。
「女装してれば、の話しだけどね。君の女っぷりは、麗花の好みのタイプだと思う」
 ガアン……
 超特大の石が落ちてきたって感じ。
「麗花には、ゲイの香奈ちゃんとして紹介するから」
 つまり、ボクには女装でお勤めしろって事ね。しかも、ゲイとして。それで、香奈の恰好で来いって言ったのか……。
「麗花さんて、男嫌い?」
「セクシャリティはゲイだけど、男が苦手って訳でもないと思う。欲望の対象として見る様な男が苦手なんだろうね。僕を盾にしてたくらいだし」
 ああ……それでルームメイトか。
「マスターも麗花さんを女よけに使ってたんでしょ?」
 チラッとボクを見ると、マスターはコクッと肯いた。
 理想的なカップルに見えるもんなぁ。うらやましいほど。
 それなのに、二人とも、同性が好きなのかぁ。
「君には酷なお願いになるかもしれないが。それをふまえて、麗花を助けてやってくれ。一週間ちょっとだけど、仲良くやって欲しい。いい人なんだ。だから、よけいあんなに不安定になってると心配でね。理由を言わないんだが、多分……失恋関連だと思うんだよね。君は本気にならないようにね。スタンスだけは気をつけて」
 マスターったら、本当に酷なお願いしてくるよなぁ。好きになっちゃいけない憧れの相手をお世話するのかぁ。それも一日中。
 でも。
 やっぱりボクに白羽の矢が立ったのは嬉しい。
 レイカをどうにか出来るなんて期待は持ってない。レイカに近づけるだけでも夢みたいな話で。
 彼女の助けになるのなら、何だってしたい。
「人類愛的な接し方すればいいわけだね?」
「うん。期待してる」
 全く。駅からの短い道を迎えに来たわけが分かった。
 これが言いたかったわけだ。
 本当にこの人って食えないんだから。
 で。
 麗花さんに、ボクは香奈として紹介された。
 そう、ここにいるのはモデルじゃない、マスターの友人の麗花さん。
 現役時代超ロングだったストレートヘアは、ショートボブになって頬にかかってるくらいだけど。薄化粧の、純然たる素材勝負をしてる今の麗花は現役の時より美しかった。
 当時から完璧と言われていたボディラインは健在。年は30になるんだっけ?
 そうか、少しだけ面やつれがあるのが、返って色っぽいのかも。
 声は、深い響きのアルト。ちょっと鼻にかかった吐息が、すげー色っぽくて。
 これに欲情したら嫌われるんだってのが、なんだか理不尽な気がした。
「香奈ちゃん、よろしくね」
 にこやかに微笑んで握手を求められ、握った柔らかい手が心地よくて、きゅんと来た胸の痛みを顔に出さないようにするのがやっと。
「そんなに、緊張しないで。一週間ルームメイトなんだから」
「は、はい……」
 ボクは瞬きも忘れて麗花さんを見つめてしまった。
 ああ、なんて透き通った肌……。もち肌ってこういうの言うんだな。
 うーん、人類愛、人類愛!
 麗花の色気に惑ってたら、仕事にならない。
 そう、これは仕事なんだから。
 余禄はありがたいけど、あくまでも仕事だってば。 
 その日は臨時休業にされた。麗花さんと一緒に仕事の流れを確認し、機械の操作を全部一通り習って、在庫の確認。仕入れルートの一覧表をもらった。マスターは、日保ちのしないもの以外は全部一週間分は仕入れていてくれたけど。仕入に行かなきゃならないお店には一報入れておいてくれたし。多分、ボクが行くんだろうなぁ。麗花さんは、ずっとアメリカ暮らしで、日本で暮らすのは、実に12年ぶりだって言うし。
 お昼過ぎに、浮ついてピンクのハートをとばしまくりのバカップルを無事見送って。
 ボクと麗花さんはいきなりシーンとした桂川家の居間でため息をついた。
 二人見交わす目と目は、明日からのマスター代理を無事やれるかどうか、お互いに推し量ってる色。
「……がんばろーね」
「はい……」
 麗花さんに微笑まれれば、ボクはイエスとしか言えないよ。