Heavenly Blue
第七回

 翌日はのんびりと部屋で過ごし、翌々日にはスキューバダイビングトライした。
 チェックイン時にコンシェルジュに頼んでおいたのだった。
 初体験はホテルのハウスリーフで。
 早朝にボートで出発。船上で耳抜きの方法を教わり、装備をつける。
 ウェットスーツ姿というのも新鮮で。体のラインがはっきり出るから、お互いを眺めて苦笑したり。拓斗の賞賛の目つきは、相変わらず熱がこもっていて、僕を落ち着かない気分にさせた。彼がそんな目で見てくれるようになるなんて、それこそ夢の様だから。
 ゴーグルをかけて、マウスピースを銜えてしまうと、顔はよく見えなくなる。
 インストラクターはジョンと言って、金髪碧眼の、程々に逞しい青年だった。
 拓斗を嘗め回すように見る目つきは気に入らないが、プロに徹して仕事はきっちりこなしてくれているから、僕も絡むことはやめておいた。
 水に入ると、ゴボリと鈍い水音が、不思議な響きで聞こえてきた。
 あらかじめ教えられた手信号により、ジョンは僕らを美観ポイントまで先導する。
 かなりの重量の装備も、水に入れば丁度いい重しになる。
 最初は水面に近いところで動きに慣れ、徐々にほの暗い水底を目指す。
 海の中は想像以上に様々な色と形に溢れていた。
 岩場に隠れ住む色とりどりの魚たち。
 円を描く様に水面の淡い日輪を目指し上昇する銀鱗の群れ。
 岩場の浸食具合は、縦横無尽にトンネルを造っている。
 イソギンチャクも、通常見知っている形とは違うものがほとんどである。
 魚に勝るとも劣らない鮮やかな色合いは毒々しいほどで。柔らかな突起が水の動きに合わせてそよいでいる。
 あの突起……ちょっと気持ち悪いんだよね。丁度、顕微鏡で見た腸管の絨毛の動きに似ていたりして。
 背筋をぞくりと走るのは悪寒。
 綺麗は綺麗なんだけど。
 ジョンが立ち泳ぎをしながら僕らの到着を待って、手で指し示した先には小さなマンタがゆうるりと横切っていった。
 赤ちゃんかな。
 和んだ気分でマンタを見送っていたら、目の端で拓斗がばたつくのが見えた。
 ジョンが後ろから拓斗の腰を抱いていた。
 拓斗は放してくれと身をよじっている。
 あわてて水を蹴った。装備のおかげで進み具合は加速している。
 すぐにジョンの手を抑えることが出来た。
 拓斗の股間近くをさまよっていた手だ。
 間違いない。拓斗をいやらしい目で見ていた証拠。
 水の中でなかったら、ジョンは僕の足蹴りで吹っ飛んでいたはずだ。
 拓斗を抱き取り、僕は彼をにらみつける。ゴーグル越しとはいえ、怒気が全身から溢れていたから、ジョンは肩をすくめて後ずさった。
 違う違うと身振りする彼を更に睨み据える。
 ゴボゴボッと拓斗が大きく息を吐いた。
 あわててジョンが手をさしのべる。
 彼の手には自分の分のマウスピースが掲げられていた。
 とっさに僕のマウスピースを拓斗に銜えさせる。
 トラブルか?
 僕の問いに、ジョンが肯いた。
 拓斗は震える手で僕にしがみつく。
 ジョンが僕らに交互にマウスピースを使う様に指示し、上昇する様に合図する。
 僕らはジョンに続いてゆっくりを上を目指した。
 どうやら、僕らの初体験は失敗の様だ。
 でも、何故?
 レンタルの品なんて、当然整備済みを確認して貸すものじゃないのか?
 拓斗のボンベは、船に上がってから調べたところ、酸素がほとんど使用済み状態だった。
 ジョンも首をかしげまくり、係の者もオロオロするばかり。
 ジョンは僕らと一緒になってレンタル係を責め立てた。
 彼が拓斗を抱き寄せていたのは、拓斗がパニックになっていたからの様だ。
 拓斗自身は、落ち着いてからは恥じ入るばかり。
「君のせいじゃないよ。空同然のボンベや、壊れた残量計をレンタルした方が悪い」
 ジョンが言う。
 ジョンにしても、サポートに付いていた客が事故に遭えば責任問題になる。
 彼が真剣に怒るのは当たり前のことだった。
 日本語に訳してやりながらも、僕は腹を立てていた。ジョンは拓斗に触りすぎる。
「彼を放したまえ」
 彼が肩を抱いた相手は、僕の恋人である。
 当然のこととして彼を取り返した。
 半ば呆れた顔で彼は降参と言う様に両手をあげた。
「機器はもう一度調べ直してくれ。場合によっては、大変な事故になるところだったんだから」
 当然だと肯く彼らから、僕は拓斗をかばう様に立ち去った。
 嫌な事故だ。






  

素材:トリスの素材市場