Heavenly Blue
第二回

 
 成田までは高速を飛ばしても2時間弱。
 幸い道路は空いていた。
 首都高速などはどちらかと言えば休日の方が空いている。それでもブランクな時間帯のせいか、ディズニーランドなどに向かう観光客が少ない方がありがたかった。
 想像していたよりは早く着いたが、何しろ麗花の状態が普通じゃない。
 ちゃんと待っていてくれるかも心配だ。
 駐車場に車を置いて、到着ロビーに走る。
 麗花は目立つ女性だ。が、辺りを見回してもそれらしい女性が見あたらない。
 何しろ広い空港で。利用航空会社を聞いていなかったのは手落ちだった。
 到着ロビーだって第一と第二がある。
 そこにいろと言ったのは僕。
 きっと彼女は公衆電話でかけてきてるはず。端から見ていこう。
 ロビーを駆け抜けるように彼女を捜した。
 第一から第二へ。
 途中案内所で電話の在処をチェックする。
 僕を見上げたままボーっとして、応えるまでに時間のかかる案内嬢にほんの少しいらついたが、礼を言って離れた。
 第二には2カ所に壁画がある。椿とカキツバタ。
 麗花は椿の下の横にある公衆電話の前にいた。
 横に転がしてあるスーツケースは3つ。その中の一番大きなものに座り込んでボーっとしていた。
「麗花!」
 声をかけて振り返った彼女の顔は既に涙でぐしゃぐしゃで。
 立ち上がって駆け寄ろうとして転んだところを危うく抱き留めた。
「龍樹、龍樹っ! 遅い〜〜〜」
 子供のように泣きじゃくる長身の彼女に、周囲の視線が集まる。
「麗花、車に行こう。荷物はこれだけ?」
 一番小さなスーツケースを彼女に持たせ、残りの二つを持った。
「話は乗ってから聞くから」
 ウォーキングモデルだった麗花は事故で引退したわけだが、プロポーションなどは当時のものを保っているそうな。
 顔だって、充分美しい。切れ長の瞳はブラックオニキス。目鼻立ちも絶妙のバランスの配置。化粧は最小限で、紅をひかなくても綺麗に赤い唇が、泣き顔で歪んでなければ誘惑を簡単に仕掛けてくるほどの色っぽさ。
(という表現は、ノンケの友人の言だが、まあ、客観的に見て彼女は美人だ)
 そんなわけで、男も女も彼女とすれ違っては振り返っている気配。
 ほんの少し引きずる足がまた、いらぬ興味を沸き立たせるのかもしれないな。
「まだピンクの車なの?」
 ぼそっと麗花が言った。
「一応契約は生きてるからね」
 僕の車はショッキングピンク。知人との賭に勝って手に入れたものだが、嫌がらせ半分で塗装し直されたのだ。向こう五年間は手放しても塗り替えてもダメだというバカな契約付き。契約書は隅から隅までよく読まねばと、僕はそこで学習させられた。
「龍樹って、そういうところおぼっちゃまよね〜」
「蒸し返すなよ。散々間抜け呼ばわりしてくれたよね」
 間抜けなのだから仕方ないが、やはり僕だって何時までも言われるのは恥ずかしいんだ。
 トランクに2つスーツケースを放り込み、一つは後部座席へ。
 拓斗以外は乗せないと心に誓っていた助手席に麗花を座らせた。
「……で、どうしたのさ?」
 キーを差し込みエンジンをかけながら尋ねれば、麗花の口からは溜息だけが漏れてくる。
「……話したくないなら、無理に聞かないけど……。麗花が泣くなんて、よっぽどのこと……なんだろう?」
「……そうでもないわよ」
「ペンション、どうしたの? 管理誰かに頼んできたの?」
「もういいの」
「って、言ったって……客商売でしょう?」
「火事で燃えちゃったから、もう無いの」
「ええっ?」
 十分大事な気がしたが、泣いて日本に帰ってくる理由かといえば、違うような。
 それは続く台詞が肯定した。
「今となっては好都合だけど……」
「って、そういえばさっき、帰って来ちゃったって、その荷物……。日本に住むって事?」
「……多分ね。住むところ決まるまで泊めてね」
「うん……へっ?」
 麗花を泊めるのはもちろん否やもないのだが。
 ……部屋……どうしよう?
 僕の建てた家は、庭やジムや店にほとんどのスペースを割り当ててあり、ベッドルームは一つだけ。拓斗が住み着いている今、麗花を泊めるとなると居間のソファくらいしか……。
「……余分な寝室無いから、居間に寝て貰うけど……いい?」
「十分だわ」
 きゅっと唇をかみながら言われて、僕は押し黙った。
 麗花のこの癖は、触らぬ神にたたりなしの前兆だったから。
 麗花の中で、まだ僕に話せるだけのまとまりがない迷いが渦巻いている。
 何時だって凛として前を向いていたこの女性が、何に惑わされているのか、大いに興味はあったのだが。この藪は突けばコブラが出てきそうな気がする。
 ああ……それよりも……
「……拓斗の前で、あんまり肌を露出しないでくれよね」
 ぷっと麗花が吹いた。
「何よ、焼き餅? 本当に嫉妬深い男ね」
「……じゃなくて。あの子は純情でね。麗花みたいに色っぽい女性には慣れてないだけ。裸でうろうろされたりしたら、拓斗の方が出て行ってしまいそうだもの」
「人を露出狂みたいに言わないでよ。心得てるわよ、ちゃんと」
「……ならいいけどね……」
 僕と部屋をシェアしていたとき、麗花は結構自分の格好に無頓着だったのだ。
 全くのプライベート空間での麗花はどこまでも自然体だった。気取りも恥じらいもない。
 ……。
 拓斗の場合、麗花が服を着ていたって気にはするだろうなぁ。困った困った。
「なるべく早く出て行くから。ごめんね」
 麗花は僕が黙ったのを勘違いしたようだ。
「いや。幾らでも居てくれていいんだけどね。麗花自身窮屈じゃないかと思ってさ。客間を用意しておかなかった僕が悪い。ごめん」
「やだなぁ、謝らないでよ。立つ瀬ないじゃない。とりあえず拓斗には気を遣わせないように注意するわ」
 そう言って麗花はアレ?っと小首を傾げた。
「晴奈ちゃんはどうしてるの?」
 晴奈というのは僕の妹と拓斗の間に生まれた子供。
「僕の実家にいるよ。まだ赤ん坊だもの。僕らが会いに行ってる」
「そのうち、彼女だって出入りするようになるんじゃないの?」
「うん。数年のうちにはそうなるよね。その頃にはうちの庭が狭くなってると思う。麗花だって、早めに言っといてくれれば増築して置いたのに」
「ばっかね。そんな前から予定たつ分けないじゃない。一応、私、焼け出されたんだからね」
(それが理由じゃないくせに)
 心の中でつぶやいて、そりゃそうだと笑って見せた。
 
 
「拓斗〜〜〜〜」
 いきなり麗花の豊満な胸に顔を押しつけられ、拓斗がジタバタともがく。
 ぽかんと口を開けて見守るのは事情を知らない客達。
 僕を見送った客のほとんどは、渋々昼休み終了というタイムリミットに屈服し、帰っていったのだろう。残っているのは時間の余裕のある好奇心の強い客が一人か二人。あとは何事? っと、目を点にして麗花を見つめる。
「れ、麗花さんっ。苦しいっ」
 本当に苦しげな拓斗の声に、麗花は慌てて彼を解放した。
「……添い寝されて窒息死する赤ん坊の気分だ」
 ゼエゼエ言いながらつぶやく拓斗に、麗花はふくれて見せた。
「あらっ。お金払ってでも窒息したいって人もいるのに」
 ……そんなの絶対了承しないのが麗花なのにね。
「麗花、とにかく荷物整理してよ。運ぶだけ運んだから。落ち着いたらコーヒーのみにおいで」
 プライベートルームから声をかけ、僕は入れ違いにカウンターに立った。
「荷物って?」
 ヒソッと聞いてくる拓斗に苦笑してみせる。
「麗花がしばらく泊まるから。ソファは彼女のテリトリーになるんだよ」
『大丈夫、寝室には入れないから』
 そこだけ小さくささやいて拓斗が密かに赤くなるのを楽しんだ。
 お客様にはご迷惑おかけしましたと頭を下げ、オーダーの確認をする。
 拓斗だけではやはり待ち時間が多くなってしまったようだ。
 顔には出さずに少々慌て加減で順番に調理していく。
 うん、パスタはソースのフライパンを並べておいて一緒に茹でちゃおう。こういうとき、コンロを多めにして置いて良かったなと思うのだ。
 僕の店は客席が少ない割りには厨房が大きい。冷蔵庫も。食器洗い機も3台ほど並べてある。一回にかかる時間が長いからだ。
 立ち位置からなるべく手が届くように、床は狭いが、調理台や器具はケチらず使い勝手の良い大きさのものを選んだ。
 自分一人でやれるように最初から考えていたから。
 故に拓斗にはかなり重荷だったようだ。
「拓斗、ごめんね。少し休んで」
 彼の好きなコーヒーを煎れ、空いているカウンター席に置いた。
 へたり込むように座ってから、拓斗がじーっと僕を見つめた。
「……なんだい?」
「龍樹さんてやっぱ凄いんだな。今日留守番してみて実感しちゃった。俺にはとうてい真似できない」
 尊敬……してくれるの?
 ちょっとだけドキドキしてしまう。拓斗にそう思って貰えるのは手放しに嬉しいから。
「あっマスター赤くなってる〜!」
 その声に動揺してしまい、思わずカップを取り落とした。
「龍樹さん!」
 拓斗が急いでカウンター内に入ってきた。
 カップの欠片を拾いながら僕を見つめる。
 初めての夜は、彼が拾ってくれようとするのを断ったんだっけ。
 僕を動揺させた声の主は、びっくりしたように僕を見ていた。
「龍樹〜、修行が足りないね〜」
 笑いを含んだアルトの声は僕の背後からぶつけられ。
 すいっと麗花が僕の側を通り抜けカウンター席に座った。
「コーヒー、入れて」
 確かに、今日の僕は情緒不安定。
「龍樹さん、なにかあったの?」
 なんて拓斗まで心配げに覗き込んでくる。
 なにかってね〜。
 麗花が気になる事言ったあげくに教えてくれないからかも。
 僕は恨めしげに、涼しい顔してコーヒー待ちをしてる麗花を睨んだ。
「拓斗、あたしのせいだって言いたいみたいよ。この人。すぐ人のせいにするんだから」
「……麗花さん、龍樹さんはそんな事しないよ」
「おやおや。あばたもえくぼなのね〜」
 麗花の意地悪な声の響きに驚く。
 やっぱり変だ。こんなのいつもの麗花じゃない。



  

素材:トリスの素材市場