龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒
14
ホワイトデー前夜。いつものように店を手伝って、客の途切れた閉店前の時間を休憩に当てていたとき。
俺は均整の取れた美貌のマスターの横顔に見とれて考え込んでいた。
ぶつかった事なんて無かったみたいに以前のように俺は店に通ってる。ただ一つ、変わったことは俺の中での龍樹さんの居場所。
一番心臓に近い、一番弱い部分に彼が住み着いてしまった。
それはけして綺麗だからでも、俺に良くしてくれるからでもない。
俺の中で一番インパクトのある大切な人だから……。
「何?」
透き通った茶色の瞳が俺を覗き込んできた。
俺が見つめちゃってたの、気がついたんだな。
そう思ったら心臓が熱い息をドクッと吐いた。
「何でもない。龍樹さん、綺麗だからみとれてた……」
照れたように苦笑した龍樹さん、ほんのり上気した頬がすごく綺麗。
龍樹さんの微笑みを見た途端、胸のあたりがギュッて引き絞られた気がした。そのままぼんやり見つめてしまった。
「君にそんな風に見られると……困るな」
龍樹さんは苦しそうな声でそう絞りだすと、さっと背を向けてコーヒーを煎れ始めた。ほんの少し手が震えてる。
カシャーンと音がした。
「龍樹さん?」
この店で龍樹さんがこういう音だすの、初めて聞いた。
慌ててカウンターの向こうに駆け込むと、足下にはロイヤルドルトンの残骸。
「……失敗しちゃった。結構気に入ってたのにな」
震えた声は、平静を装った台詞を見事に裏切ってる。
立ちすくんだままの龍樹さんの足下に屈んで片づけようとしたら、押しのけられた。
「ごめん、今日は帰ってくれ」
声は余裕のない尖ったもの。そして俺を押しのけた手は……。
俺は龍樹さんの手を握ってみた。瞬間的に彼は振り払ったけど……。
「熱いっ。龍樹さん、熱あるんじゃない?」
「ないよ」
「嘘だ」
抗いをかわしながら額に手を当ててみた。ものすごく熱い。
俺の言った台詞に赤くなってたんじゃない。熱が出て来て上気してたんだ。
「龍樹さん、何時から気分悪かったの? 俺、全然気づかなくて。……ねぇ、休みなよ」
俺はドアの方にとって返してCLOSEDの札をかけた。
「拓斗君! 勝手なことをっ」
「だって、無理だよ。またお気に入りを割るだけだよっ」
無理して欲しくなかった。額も手も、すごく熱くて、絶対三九度以上ある。
溜め息が聞こえた。
「分かった。言うこと聞くから。多分、ここんとこ寝不足が続いたせいで、バイタルの反応なんだよ。だから君は帰ってくれ」
「どうして? 俺にだって、看病くらい出来るよ」
「恩返しのつもり? だったら要らない」
尖った声が、俺を切り裂いた。
俺を拒絶する龍樹さんに俺は……。
俺のこと必要ないって言われてるみたいで、切り裂かれたところがばっくり口を開けた。じくじく痛み出して……。
「恩返しちゃいけないの? 俺はいつもして貰ってばっかりで、俺に出来ることしてあげたいって思うの、いけないのか?」
じわって来た。
それに、俺の声、必要以上に熱くなってる。
「…………苦しいんだよっ」
吐き出すように龍樹さんが叫んだ。
思わず後ずさってしまった。それくらい辛く激しい声音。
「君は知ってるはずだ。僕の気持ちを。白状するけど、寝不足の原因だって君だ。……熱で、自分を抑えるのが苦痛なんだ。だから……帰ってくれ!」
「だって……」
縋った俺の腕を乱暴に払いのけて。
「僕は……本当の僕はね。君の全てが欲しいんだ。心も、身体も、全部! せっかく信じてくれてる君を、滅茶苦茶にしてしまいたいくらいに……! 分かったら出てってくれ> 頼むから。僕の自制心があるうちに>」
叫ぶような、泣いているようなひきつった声。
俺まで熱が出て来たみたい。
今まで通りに付き合うなんて無理だってのは、俺自身思っていたことなのに。龍樹さんも同じだったって事、俺に避けられたくないから他のこと我慢しようとしてた事、思い及ばないあたり……、俺は最低な男。
甘ったれで、我が儘で、計算高い嫌な奴。
「龍樹さん……ごめん。今まで、……ごめん」
ハッと息をのんだ音がした。
「拓斗君、すまない。どうかしてるんだ僕は」
気遣わしげな龍樹さんに背を向けて、俺はドアへ向かった。
「拓斗君、また……明日来てくれよな」
縋るような声音が背中に絡みついてきた。
これからも俺に来いという。
今まで通りに……。
俺が望まない関係だから我慢して?
俺は……、俺は……。
考えるまでもなかったんだ。今すべき事は決まってる。
そうさ。俺はこの人を……。
ドアに鍵をかけた。出て行かずに内側から。
「拓斗君……?」
泣きそうな顔で龍樹さんが俺を見つめていた。
俺は黙って龍樹さんの前に立った。体温が感じられそうなほど近づいて。
瞳を真正面から捉えた。怖くて、一度としてこんな風に視線を絡ませたことなどなかったけど。
龍樹さんの瞳は優しくて、俺のこと愛しいと思ってくれている。
「拓斗……くん?」
熱くかすれた声が、震えた手と共に差し出された。
その手の間に割って入り、龍樹さんの背に両手をかけた。そっと額を龍樹さんの肩口に押し当てて……。
ほら、触れて見れば全然嫌じゃない。龍樹さんがまとってる空気は俺にも呼吸可能で、感触はとても心地良い。
そう思ったら、その台詞を素直に口に出せた。
「滅茶苦茶にしてもいいよ」
龍樹さんのこと好きだから……。ほんとに好きなんだ。多分一番……。
「龍樹さんは、今、俺にとって一番大切な人だよ。だから……」
龍樹さんが望むものをあげたかった。
「帰れなんて言わないで。側にいさせてよ」
綺麗な琥珀の瞳を見上げた。
「…………!」
瞳の色が潤んで金色に輝いた。泣きそうな微笑みが、感極まったという感じで…………。
龍樹さんが俺に抱きついてきた。今までの思いをいっぺんに吐き出そうとするように。
「拓斗くんっ、拓斗……っっ」
龍樹さんの唇が避ける余裕もなく俺に押し当てられ、熱い舌が俺の中に入り込んできた。絡み合い、吸われ、いつの間にか俺も応えてた。頭が痺れてくるほど心地良い。息継ぎの吐息は全てI need you.って聞こえる。それが嬉しい。
熱を持った身体が更に熱く燃え上がっている。龍樹さんのそこも、はっきりと俺を欲している。
だけど、彼は俺を自分から引き剥がした。
「……いいのか? このままいたら、僕は君を……」
潤んだままの瞳で、射抜くように覗き込んだ龍樹さんは、俺の真意を確かめようと真剣だった。
指先も、震える唇も、服を突き破りそうな勢いに高ぶっている分身も、全てが俺を欲しいと主張しているのに、瞳だけが同情なら要らないんだと俺を突き放そうとしていた。
「……いいよ。それが、龍樹さんの望みなら……。俺はもう逃げない。本当だからね」
「本当に……?」
低い声が、苦しそうに絞り出された。
「君に後悔なんかして欲しくないんだ……」
言葉だけじゃ、龍樹さんは納得しないみたいだ。
俺の心境の変化は、龍樹さんにしてみればあまりにも唐突に見えたかもしれない。俺自身で検証してみたこの気持ちは……。覚悟と言うほどの決意じゃない。けど、後悔するほど衝動的じゃない。
身体を許すことより、心を許すって感じが強いんだ。
龍樹さんに寄り添いたい。
龍樹さんをもっと知りたい。
そんな気持ち。先の心配なんかしてられないくらい高ぶっている。
何で俺は今まで、この人を怖いと思ってたんだろう。いつだって俺を尊重して、優しくて……。あったかい……この人を……。
俺は半ば誘うように龍樹さんの唇を捕らえた。避けるどころか、そんなことが出来てしまうのも、龍樹さんの唇の味を知って、いわば食わず嫌いだった自分を知ったから。
「後悔はしないと思う。ほんとに不思議だけど、龍樹さんなら……嫌じゃないんだ。でも、龍樹さんが嫌なら……」
帰ると言おうとした口をふさがれた。遠慮も何もかもかなぐり捨てたという感じで貪られた。
身体がきしむほどの力で抱きすくめられて。
耳元で囁かれる声音は熱に浮かされたように掠れてうわずっていた。
「欲しかった……。ずっと欲しかった!」
熱い息と共に耳たぶが噛まれた。
「君を愛してる。……愛してもいいんだね? 僕は……もう……止まれない……。拓斗君、……止まれ……ない……よ……?」
キスの合間の喘ぎながらの台詞。言葉も、キスも体温も……全部気持ちいい。
止まれないよ、俺だって。
「うん……」
言いながら二階の龍樹さんの居室まで導いた。入るのは二度目だ。飾り気のない簡素な寝室は、アメリカンサイズのセミダブルがあらかたのスペースを占めていて。ダークグリーンが基調の寝具の、シーツだけが純白。サイドテーブルのランプはティファニー。反対側の壁はウォークインクロゼットらしい。
あっちで稼いだ金をかなりつぎ込んで作った店だって話だけど、住空間にも当然つぎ込んであったんだな。
俺よりも長身の病人は、物珍しげに見回す俺にはお構いなしに、貸してやった肩を無視して俺にしがみついていた。何度も何度もキスの雨を降らせながら愛撫を仕掛けてきて……。
「ずっとどんなだろうと思ってた……君の肌……素敵な手触りだ……こんな風に抱き締めて、触れて、キスして……。そしたらどんなだろうって……」
熱でふらふらの筈の龍樹さんは譫言みたいに呟いてて。俺は俺で、人に触れられるのがこんなに気持ちいいなんて……、って驚いてた。
「ああ、夢……みたいだ……。本当に……いいんだね?」
俺達の喘ぎがシンクロしている。ドキドキが苦しくて、頷くのがやっと……。
「嬉しいよ……優しく……するから……」
忙しなくまさぐる手は的確に俺の服をはいでいく。その上、動作の一つ一つにキスを添え、今どんなに嬉しく思っているか、多彩な言葉をつぶやきにして俺に振りかけてきた。まるで、料理をより旨くするための調味料みたいに……。
気が付けば龍樹さんの手はジッパーを降ろして引き出した俺のを手に取り、しごきはじめてた。
そんな場所ですら、龍樹さんが触れてるんだと思うと嬉しいような気分になる。
ずっとずっと敏感になってしまうみたいで、俺は呻きながら腰を退こうとした。
「や……」
「言っただろう? もう止まれない……」
「恥ずかしいんだ……。龍樹さんに触られると俺……、なんか……」
「ああ……。気持ち……いい?」
「ん……」
「よかった……」
ベルトから始まって下着まで脱がされた。
いつの間にか屈んだ龍樹さんが俺の袋を甘く噛みながら舌で撫でていた。龍樹さんの形のいい唇を想像して怖くなった。俺の、恥ずかしいところを口でなんて……。
「やっんっ……」
腰を退きたくても龍樹さんの腕は俺の腰にしっかり絡みついて、いつの間にか後ろにも指を這わせてる……。
「そんな所……やめて……」
「いやだ。君のものだもの……全部……知りたい」
大切なものでも扱うように優しく、それでいてゆっくりと追いつめるように刺激されて、俺は少しづつ……。
「あ……んっ……た……つきさ……」
膝が笑い始めて、がくっとなった途端抱きかかえられた。
「僕に……任せて……」
喘ぎの間から囁かれてベッドに放り込まれた。