龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒
13
石に囲まれたような気のする殺風景な部屋で鉄の扉の閉まる音が響いた。
無表情な女性係員に付き添われて疲れた顔をした葉山さんが入ってきた。
俺は彼女に会釈して硬質プラスチックのはめ込まれたカウンターを挟んで向かい合い座った。
声が漏れるように開けてある穴を通して会話をする。
「あなただったの……」
「意外ですか?」
「ええ。何の用?」
「訊きたいことと、言いたいことがあって」
「言いたいことを先に聞くわ」
「龍樹さんが……マスターだけど、紅林さんから受け取った小切手、換金してあなたの弁護費用に使うそうです。紅林家に返すつもりだったけど、そんな手紙や小切手の存在自体認めるつもりはないらしくて。だから……」
「あのお家らしいわ。でも、紅林家を敵に回すような弁護士なんていないわよ」
「いるよ。龍樹さんの友達。基本的にアメリカ中心に動いてる人だけど」
「顔が広いのね。その人もゲイのお仲間?」
「ち、違うよっ! ……多分……」
「何でそうまでしてくれるの?」
「こんなこと言ったら葉山さん、怒るかもしれないけど。感謝してるし、同情してるから……」
「感謝?」
「あんた達は俺達に方向性を与えてくれたから。俺達はあんた達の轍は踏まないようにする。龍樹さんは俺を傷つけない。俺はあの人を裏切らない」
「裏切らない? 受け入れるの?」
「それがどうしても必要なら。俺は……もう逃げないって決めたんだから」
あの人が好きだ。誰よりも大切に思ってる。
それが俺の中で真実かどうか、よくよく吟味して彼に伝えるんだ。その場の思いつきで動いて彼を傷つけないで済むように。
龍樹さんが抑えている激しさをちゃんとに受け止められるように。
「口では何とでも言えるわよ」
きつい口調でいってから、フッと笑った。
「あたしには関係ないわね。ただね、自分の心に嘘はつけないわよ。自分も、相手も傷つけてしまう……」
「うん……わかってるつもり。俺、馬鹿だけど、誠実でいたいから」
「それだけ?」
「……紅林さんの手紙、預かってる」
「手紙?」
「龍樹さん、テープとネガは燃やしたけど、手紙を取っておいたんだ。中を見てしまった場合の指示が入ってて、龍樹さん宛だったし。でも、葉山さんに読んで貰った方がいいかもって」
「なんて書いてあったの?」
「細かいことは教えてくれない。ただ、紅林さんの感覚からいったら、自殺と同じくらいの覚悟持ってたらしいって。葉山さんが読みたかったらコピーを後で送るから。一応裁判で有利になるかもしれないから、原本は取っておくつもりみたい。どうする?」
瞬間葉山さんの視線が宙を泳いだ。空っぽで悲しい視線を何にもない所に向けて、微かに微笑んで。
「……それくらいの義務……あるかな。…………読んでみるわ」
しわがれた声で小さく呟いた彼女の変化に、俺は気づかない振りをした。俺には差し挟む言葉がなかったし、俺が気づいてたって知ったら彼女が嫌がりそうな気がしたから。
「じゃあ、龍樹さんにそう言っておく」
「で? 訊きたいことは?」
吹っ切るような調子で俺を射抜くように見つめてきた。訊くの止そうかと思ったくらいに気圧されたけど、引っ込みがつかないから予定通りの言葉を吐いた。
「…………後悔、してる?」
「何を?」
「紅林さんを殺したこと」
「してないわ。いえ……しないつもりだった」
俯いて唇を歪めた。震えてる。
「立ち入ったこと訊いてるって分かってるけど、知りたいんだ。俺……立場が似てるから……」
「じゃあ、言ってあげる。本当のこと。綾芽より強くあたしを愛してくれる人はいなかった。これからもいない……。ええ、後悔してるわ。得難い大事なもの、自分から捨ててしまったんだもの。綾芽は、最初からあんなじゃなかった。あたしのせいで狂って……!!
でもね、自分の心に嘘つけない。あたしはそういう風には愛せないの。だから……!」
「俺が訊きたいのは……。そういう愛って続くのかなって事。あんた言ったよね、綾芽はどこまでもついて来るって。本当にそうなったと思う? 受け入れて愛し合うようになっても、その情熱は続くかな」
「続かないわ。多分。受け入れれば同じ情熱は続かない」
ドンっていう衝撃。胃のあたりにきた。
あっさり言った葉山さんの目は冷静だった。
「欲しいものを手に入れた途端、思いは変わると思う。飽きるか、幸福に思い続けるかはその時次第だけど。同じ情熱ではないわ。……手に入ったという安心感がくせ者よね」
瞳を光らせ俺を見据える葉山さんは、俺をあざけるような笑みを浮かべた。
「くせ者って言うならあなたも。誠実でいたいって言いながら、あなた、自分の与えるものがどのくらい高く売れるか値踏みしてる。その価値が永続的かどうか、心配してる」
今度はグサッときた。抉られるような気分。
俺がなんか言う前に葉山さんはヒステリックに笑い出した。
「マスターも人を見る目ないわね。こんな計算高い男に命かけて!」
笑いが詰まって苦しいらしく息も絶え絶えという調子でそんなことを言う。
俺はそうまで言われても言い返せなかった。抉られた傷がズキズキして、言葉なんかとても出せそうになくって。
葉山さんの声が大きく響いた途端に係員の女性が飛び込んできて、面会終了となった。
乱暴に立ち上がらされて部屋を出ていく葉山さんが、ふっと振り返ったのはドアに隠れそうになったとき。
「ねえ、気持ちって変わるものよ。永遠なんてないの。受け入れた時点で、スタンスはタイになる。だから自分が相手を愛せるかどうかなのよ。愛されているだけじゃだめ。わかる? 誰だって愛されたいの。ギブアンドテイクなのよ。テイクだけじゃ成り立たない」
諭すような言い方。俺に間違えるなっていいたいのか。少なくとも最後の台詞は俺に好意的だった。口調からして。
でも、葉山さん、俺はあの人が本当に好きなんです。
だから、失うのが怖い。龍樹さんが俺を手に入れた途端に変わってしまって、俺への興味を失ってしまったら、俺は壊れてしまう。
計算してる……。そうかもしれない。
けど、愛せるかどうかが問題だって言っても、自分に自信がないんだ。
俺はいつだって長く付き合うほど相手を失望させてしまうらしいから。
そうやって捨てられたときの傷はとっても痛くて、何かの拍子に直ぐぱっくりと口を開けるんだ。その痛さを考えると、傷つくのが怖くて踏み込めない。今度は違うって思いたいのに。
それにしても……。
龍樹さんは何でそんなに俺が好きなんだろう。どこがは訊くなって言われたけど、何故は訊きたい。龍樹さんは俺に自分の幻想を載せてるんじゃないだろうか。
ああ、そんなのを計算って言われちゃうのかな……。幸せを無くすのを先延ばしにしたいってのは、誰でも思うと思うんだけど……。
やっぱり俺は龍樹さんが爆発するまで待ってしまいそうだ。
怖いけど。逃げだけど……。
くっそぉ! どうしたらいいんだよっ。わかんねぇよぉ。
憂鬱な気分で拘置所を後にした。
自分の気持ちをはっきりさせたくて葉山さんに鍵を求めたわけだけど、余計に悩みを持って帰り路に付くことになってしまった。