龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒
11
翌朝、旨そうな匂いで目が覚めた。
俺は、知らない部屋の知らないベッドで俺を見つけて、それから龍樹さんのとこにいることに思い及んだ。
全身がだるかったけど、匂いに誘われて起きあがった。
あ、俺、裸…………。
ベッドの横に置いてあったパジャマを着た。下着もなかったから、直に。どうやら龍樹さんのらしくて袖も裾も長く、だぶだぶ。幾重にか捲り上げた。
腹が滅茶苦茶空いていた。食いしん坊のこの俺が、丸一日半、断食させられたんだ。死にそうに腹減ってたことを、下から匂ってくる食い物の匂いが思い出させて……。
ふらつく脚でゆっくり階段を下りた。
店の厨房より小さなキッチンを覗いたら、龍樹さんがすっかり身支度を整えて、エプロン姿で料理していた。
ふと目を上げた拍子に俺を見つけて。
「起きて大丈夫なのかい?」
「うん……。おはよう」
「……おはよう。今、上に持っていこうと思っていたんだ、朝食。……食べれたら食べて。あり合わせだけど我慢してくれよね」
「我慢なんて……。俺……」
言いながら少しずつ蘇ってくる記憶が俺から言葉を取り上げていた。
「!」
龍樹さんに抱きついていた。
「……拓斗……くん?」
戸惑い声が俺を呼ぶ。
「龍樹さん、毒飲んだって! あの人が、俺のために飲んだって言ってた! 俺……俺のせいで……」
しゃくり上げるばっかで巧く言いたい言葉が出せない。胸が支えて、ただ泣くしかできなくて、もどかしいよ。
龍樹さんはちゃんとここに居る。温かい胸がちゃんと呼吸して……。良かった。ほんとに良かった。
「君のおかげだよ」
穏やかな声がして、優しい感触の手が俺の頭を撫でた。
「え?」
「君がヒントをくれた。彼女が使ったのはスズランの毒だ。コンバラトキシンて言ってね……」
「スズランの?」
「スズラン、紅林綾芽の心不全と来れば……ね。スズランには、ジギタリスに似た毒素があるんだ。強心配糖体の一種で。このテの物は、心臓の悪い人に適量使えば薬になるんだよ。まあ、スズランのは心臓毒性が強いから使われないけど……。それが使われたって意識して検査でもしなければ見つからない様な毒物だ」
ああ、葉山さん、植物毒って言ってたっけ。
「念のために用意しといた物が役立った。あれは、効き始めるまで時間がかかる。経口投与で良かった。僕は直ぐに催吐剤を使ってほとんど吐き出してから、キニジンを適量注射した」
「じゃ、分かってて飲んだんだ。そうだよな、それでなきゃ、龍樹さんが毒って分かってる物、簡単に口にする訳無い……よね」
「だけど!」
「え?」
「心配したんだよ。ほんとに……!! 君が死んだら、僕は……<」
ぎゅっと抱き締められた。
「……貸金庫の中身が封されたままだったし、君が見に来ない訳無いと思って、待っていたのに……。電話しても出ないし、君の家まで行こうかとやきもきしていたところに彼女から連絡あってね。紫関に手配を頼んでおいたから、君たちの居所も分かった。直ぐに別荘に向かったのに、半歩の差で君は飛び込んでしまって……。遅れてすまなかった。もっと早く僕たちが着いていれば……」
俺の馬鹿さ加減を言わず、謝ってくるなんて……。俺、もう、なんて言っていいか分かんないよ。
「………………ないっ、んなことないっ」
俺は頭を振り続けてた。龍樹さんの胸で、顔を擦り付けるみたいにして。
男の俺が今やってること、まるで女みたいだなって、ふっと思った。それが、背が高くて逞しい胸をエプロンで隠してる龍樹さんのせいでそう感じるんだって気づいて、両手を突っ張らして身を離した。
頬が勝手に熱を吐いてる。
龍樹さんの胸は固くて、暖かくって、ちょっと鼓動が早くって……。
俺が甘えるほどに龍樹さんが苦しい思いするんだって事、心臓の音が改めて教えてくれたような気がして。
「ごめん………………。それに……ありがとう」
やっとの事でそれだけ絞り出した。
龍樹さんは微笑んで俺を解放した。ものすごく透き通った笑みのままで。
俺は、葉山紀代子に自分で言った言葉を思い出していた。言われた言葉も。
「葉山さん、どうなったの?」
「別荘に帰ってきたところで紫関達に捕まったよ。テープは処分しちゃったから、逆に紅林家がお嬢様の乱行に関しては押さえにかかるだろうね。情状酌量が通るといいけど」
「ただの妬みの殺しみたくされちゃうのかな」
「どうだろうね」
「紅林さん、どうして龍樹さんに託したんだろう……」
「うーん、死んでしまった人の考えは、本当のところは確かめられないから……。ただ、ちょっと分かるかな……。添えられてた手紙では、僕なら……少しは理解すると思ったんだって。彼女の立場……」
言葉を切った龍樹さんは、俯いてフッと笑った。
「愚かなことだけど、彼女にとって、あのフィルムとかは、葉山紀代子に言うことをきかせるための切り札だった。もう彼女の心を手に入れることはあきらめていたんだろう。自分が死んだ後、あれが人目に触れるのは避けたいが、葉山紀代子に直に渡すわけにはいかなかった。彼女は死のぎりぎりまで葉山紀代子に離れて欲しくなかったんだな」
「どこかで……狂っちゃったんだね。あの人達、幼稚園からの知り合いだって。葉山さんは、友達として紅林さんのこと好きだったって、泣いてた」
「そう……」
ひとしきりの沈黙の後、目を閉じて頷き、俺の方を見たときは明るい微笑みを瞳に浮かべて見せた。
「飯にしよう。拓斗君のはこれ」
渡された盆には、お粥とがんもの含め煮、ごま塩と香の物しか載ってない。だけど、龍樹さんの手元にある盆には二つ目玉のベーコンエッグにハッシュドポテト、人参のグラッセ、ほうれん草のソテーが添えられている皿と、グリーンサラダ、スライスされたオレンジが一人分載っていた。
「美味しそうだね」
そっちの方が、とは言わなかったけど、龍樹さんには分かってたみたいだ。
「君はお粥にしておきなさい」
「だって!」
言った途端だった。これじゃ足りないって言う前に、龍樹さんはお盆の物を全部捨ててしまった。
「あ………………」
もったいない。それに、あれって龍樹さんの朝食なんじゃ……。
「食べ物粗末にすると、罰あたるからねっ」
龍樹さんはそれを受け流して、真剣な瞳で俺を覗き込んできた。縋るんでもない、求めてるんでもない、俺を叱りつける瞳。
「こんな物、見せた僕が悪かった。君は、身体が弱ってる。いつも通りの食事じゃ、胃に負担がかかりすぎるんだよ。今のところはお粥で我慢しなさい」
「……お粥のおかわりはあるの? それなら我慢する……」
上目遣いで見上げたら、微笑んだ瞳とかち合った。
「たっぷりあるよ」
肩を抱かれた。促されるように食卓について。
お腹がキュルキュル言ってる。龍樹さんのお粥は一口めで俺を食欲魔人に変身させ、三口目で器から姿を消した。
「おかわり?」
「うん。龍樹さんのお粥、前に食べた母さんのより美味しい」
俺が差し出した茶碗を受け取り、二杯目をよそりながら龍樹さんは笑った。
「それは……、最高の賛辞だね。どれ、僕も相伴しよう」
自分の分を用意して俺の向かいに掛けると、一口食べて満足そうに頷いた。どうやら、自分自身で納得のいく出来だったらしい。
「龍樹さん、和食も作るんだね」
がんもに添えられた蕗を口にしながら、その味の良さに感心して言った。どちらかと言えば京風の、たき物って感じの味。
龍樹さんの頬がほんのり紅潮した。
「……僕はお箸の国の人なんでね。中華も作るよ。ま、商売になる味じゃないけど」
「十分なるんじゃないの? この味だって、このあいだのお店のみたいだよ。きっと中華も、龍樹さんが言うよりプロっぽい出来なんでしょ?」
「プロっぽいとは思えないけど。快気祝いの時にでも御馳走しようか? 今日の昼食は少しだけボリュームアップして精進料理にしてあげる」
って、ここからなら徒歩十分て所に俺の家があるんだけど……。
俺の顔色で考えてること読みとったのか、龍樹さんが先回りして言いだした。
目に必死な色を浮かべて。
「君の体調がもう少し良くなったら、僕の服を貸そう。君の服はまだ乾かないし、クリーニングしないととても着れない状態だから……。医者としては、もう一晩ぐらい様子見たいけど。君がどうしても帰りたいなら、昼飯までにここでもう一寝入りして、食べてから帰ったほうがって……」
「そんなにまでして貰っちゃったら俺……。龍樹さん、……お店は? 大丈夫なの?」
龍樹さんはただ肩をすくめた。
「臨時休業の延長。……店より君の方が心配だ。地下室に食事抜きで監禁されたあげく、真冬の海で死にかけたんだよ。体力が戻るまでは……」
「ごめん…………」
俺はマジで申し訳ないって思って謝ったんだけど、龍樹さんはおろおろした声で言いつのってきた。
「ああ、恩着せるつもりじゃないんだ。済まない。店、明日から開けるから。調子取り戻したら、また手伝って欲しい」
龍樹さんの瞳に、また縋るような光が浮かんでいた。
「うん……」
そう答えながら、今のままじゃいけないって思った。龍樹さんの気持ちは重すぎる。嬉しいけど、重すぎるよ。
今さっきの返事が嘘になっちゃうけど、ここに来るのは止めようって決意した。
こんなに世話かけて迷惑かけっぱなしの俺だけど、全部返そうと思ったら、いつまでも……。憩いの場所を失うのは辛いけど、しょうがないよな。
俺達はあの二人みたいになっちゃいけないんだ。このままじゃ、いつか龍樹さんは爆発する。その時俺は、上手く受け流す事なんて出来ないだろう。俺は、葉山さんみたいに割り切るには龍樹さんのこと好きになりすぎてるから。
きちんとさよならして、龍樹さんには頭を冷やして貰ってさ。龍樹さんに、あんな頼りない微笑みを浮かべさせてしまうのは……いい事じゃない。
そう、今ならまだ間に合うはず……。