龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒

 

10

 胸に圧迫感を感じてガボッと吐いて。頬に痛みを感じたとき。死んでも痛みって感じるんだなって思った。
「拓斗? 拓斗!!」
 へえ、自己紹介しなくても名前知られてるんだ……。でも、呼び捨てなんて……。あの世って、意外に乱暴…………。
「拓斗ってば!!! 返事してくれ!」
 誰だよ、眠いのに……。
 痛いのはほっぺたを叩かれてるせいだった。
 俺はうなった。
「拓斗! ……よかった……」
 声の主に抱き締められた。きつく、固く。耳元に熱い息がかかった。
「家へ……帰ろう」
 囁きのようなそれは、低く甘い響きを苦痛でかすれさせた感じで、龍樹さんのだって分かった。
「龍樹……さ……ん……?」
 あ……、龍樹さんもびしょ濡れだ……。
「こんな時期に水泳なんかして! 死んじまったらどうするんだっ!!」
 ……えっと……。水泳のつもりはなかったんだけど……。
 死んじまったらって、つまり……俺は……生きてる?
「もうっ! 君って奴は!!」
 じゃあ、泣きそうな声で俺を抱き締めたまま叫んだ、この龍樹さんも……?
「よかったぁ……、生き……て……たんだぁ……」
 龍樹さんが生きててくれた……。もうそれだけで……。
 力が抜ける。
「拓斗っ? だめだっ、眠るなって!」
 そうやって話しかけ続けながら、車まで俺を運んだ。運転席に誰かいて、俺は龍樹さんに抱き締められるみたいにして、一緒に毛布にくるまってた。ヒーター全開にしてたみたいだけど、濡れた服のせいか、あんまり暖かくない。でも、龍樹さんとくっついている所だけはほんのり温かくて、気分はよくって、うつらうつらしてた。
 やがてカクンてして、車のドアが開いた。冷たい空気が吹き込んできて……。身震いが止まらない。
 龍樹さんが俺を抱きかかえて降ろした。俺の重みなんて、全然苦にならないらしい。
 俺達が降りると、すぐさま車は走り去って。
「拓斗……」
 囁き声が俺の耳に直に触れた。息が耳たぶを瞬間熱くして……。だけど、龍樹さんの声は全然甘くはなかった。心配してくれてる。気遣ってくれてる。それが分かる真剣さ。
「着いたよ」
 夜気のせいでどんどん寒くなってかみ合わない歯の間から返事した。
「ここ……どこ……?」
「僕の家だよ。今日はここに……」
 言いながら、かちゃかちゃ音をさせてた。鍵の音……? 開いたドアから抱きかかえられたまま中に入って……。
「風呂が手っ取り早いな」
 言うなり、俺を抱いたまま彼は風呂場へ向かった。ザアッと音がして……、湯をためているらしい。
 湯気が立ちこめ始めた洗い場で、龍樹さんに濡れた服を脱がされた。全裸にされてもう一度抱きかかえられたとき。
「や……!」
 朦朧とした意識で、それでも恥ずかしさから抵抗した。
「恥ずかしがってる場合じゃ無いぞ! 身体が冷え切ってる。すぐに温めてやるから」
 龍樹さんの声、少し怒ってるようだった。
 熱くない程度のぬるま湯の中に放り込まれて。少しづつ温度が上がるように蛇口からは湯気を盛大に沸き立たせた熱い湯が出続けている。
 バスタブに寄り添うように龍樹さんが覗き込んでた。ゆっくりと湯をかき混ぜながら。龍樹さんが一かきする度、俺の肌に暖かい感触が触れていく。
 透明な湯の中で、俺の裸はしっかり見られてる。すごく恥ずかしくて、でも、暖かくて気持ちよくって。ふうっと眠くなった。
「ああっ、まだ眠るな! 今度は風呂でおぼれる気か?」
 湯で温まったはずの手が俺を叩いた。何故か感触は冷たく感じて……。
「ごめ……、龍樹さ……も……冷え切っ……てる……」
 ぼやけた画像の中でギリシャ彫刻の微笑みが見えた。
 龍樹さんは俺の腕を湯から引きずり出してバスタブの縁を握らせて立ち上がった。
「タオル持ってくる。しっかり捕まってろよ」
 何やらばたばたやって、タオルを出したらしい。濡れた服を脱いで、腰にタオルを巻き付けた姿で現れた。手には山積みのバスタオル。
 しなやかで贅肉のない身体は、しっかり筋肉が着いていて。ギリシャ彫刻みたいだったのは顔だけじゃなかったんだ。すごく綺麗で見とれてしまった。こんな時だけど、この人は着やせしてるんだなってぼんやり思ってた。
 見た目のイメージよりも筋張った力強い腕がタオルでくるみ込みながら茹であがった俺を抱き上げた。
「自分……で……!」
「いいから! 変なことはしないから。じっとしてて!」
 俺は龍樹さんの勢いに気圧された形で、その腕に身を任せてしまった。
 かったるいせいもあったけど、龍樹さんの言葉を信じたから。階段を上る間も力強い腕は俺を軽々抱いてて。胸元に当てられた俺の耳には直に龍樹さんの鼓動が聞こえてくる。
 そのリズムが結構心地よくて。
 愛してるって繰り返し囁かれてるみたいな気分になる。
 このままベッドに連れてって貰うのも良いかなって思えてきた。
 ………………ああ、また俺は……。
「龍樹さん、ごめん……。俺……」
「いいんだ。君さえ無事なら……、いいんだよ」
 そっとベッドに降ろされた。毛布を何枚も掛けられて。風呂で温まった体は毛布の中を心地よい温室に変える。額に手を当てられた。そっと撫でられて……。
 ひんやりしてて、気持ちいい。
 こういう風に面倒見て貰えるのってすごく久しぶりで……。
 心配そうに覗き込んでる龍樹さんに、俺は縋るように笑いかけてしまった。
 龍樹さんは、それに優しい苦笑を返してよこした。
「気分は……?」
「うん……、眠いけど……いいよ。…………龍樹さんこそ……」
「うん、僕は平気だから。下のソファにいるからね。君はゆっくり眠りなさい」
 頷いた。何も言えなくて……毛布をかぶった。
 龍樹さん、優しすぎるよ。俺は何にも返せない。返せないから辛い。
 ああ、誕生日プレゼントも用意し損ねたんだっけ……。
「じゃ、僕も風呂入るから……。おやすみ」
 龍樹さんは、ポンポンと俺の毛布を軽く叩いてから、そっと出て行こうとしたんだけど。
「待って!」
 考えるより先に呼び止めてた。
「どうした?」
 戻ってきた心配顔が俺を覗き込む。
 半身を起こして龍樹さんの首に手を遣った。
 え? って顔したところを不意打ちで頬にキスして。
「ごめん!」
 目が点の龍樹さんの顔を見ないように、俺はもう一度毛布をひっかぶった。
 すっごく恥ずかしくて、ずるいような気がして……。
「誕生日、今日だよね。プレゼント買えなかったから……」
 毛布越しに頭を撫でられたような気がした。穏やかな声音の、
「ありがとう、何よりの贈り物だよ」
 が、聞こえて。
 そっと毛布から顔を出したら、龍樹さんは消えていた。
 思わずしちゃったけど、俺はまた龍樹さんに残酷な事してしまった。
 俺は……ずるい奴だ。
 龍樹さんの特別扱いが嬉しくて、失いたくなくて、嫌だっていいながら、残酷な仕打ちをしてしまう。
 龍樹さんのこと、好きなのに、いっぱい傷つけてしまった。
 ごめん、龍樹さん。ひどい誕生日だよね……。
 でもね。同じじゃなくても、俺も龍樹さんのこと大切なんだ。
 下のソファで毛布にくるまって寝るつもりの美貌の人を思いながら、俺は眠りに落ちていった。