龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒
6
貸金庫ってのは重々しい。俺なんかお呼びでないって感じで。もう、心臓バクバクだったけど、紅林さんが揃えた書類と龍樹さんの保険証のおかげで、問題なく中身を取り出すことが出来た。
それはしっかり封をされた茶封筒。大学ノートが入る大きさだ。外側から触って分かる感触から、金の束と何かのテープが一本、後は……、ネガとかかな。
病院に電話したら、龍樹さんはもう手術室に入った後だった。
そのまま病院へ向かうため、駅に向かう道を歩いていたら、真っ赤な軽自動車が俺の横に来て止まった。
「拓斗君!」
いつものように能天気に聞こえる声。
「お家こっちの方だったの?」
「いえ。『El Loco』のマスターのお使いです」
「ふうん、送ろうか? あたしこれから大学のほう行くし、お店の前通ってあげる」
にこっと笑う葉山さんは、何となく『El Loco』で見かけてた時と雰囲気が違ってた。落ち着いてるって感じ。強迫観念があるみたいに喋っていた不自然さがなくなってる。
そうやって見れば、小作りだけど結構可愛くて色っぽい。
「あ、でも……」
「あーっ、あたしの運転の腕疑ってるでしょ?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあ乗って」
「でも、店じゃなくて……。新横浜なんです。だから……」
「?」
「新横浜の病院に届けるんです」
「病院……て、マスター、具合でも悪いの? そういえば、昨日からお休みしてたわね」
「あ……」
ヤベッと心の中で呟いて、マスターには病気になって貰うことにした。
「うん、実は。胃の方悪くして、緊急入院したんです」
「胃潰瘍か何か?」
「ええ。でも手術する程じゃないらしいです。ストレス性だそうで」
「ああ、なんかそんな感じよね。線細いって言うか、うん、体格はいいけど雰囲気がね。結構、神経質なんでしょう?」
「ええ、まあ……。変なところで神経質かな……」
「なぁに? それぇ」
葉山さんは笑って身体を伸ばし、助手席のドアを開けた。
「いいわ、そっち回ってあげる。ほら、乗りなさい」
俺は吸い込まれるように乗り込んだ。女性らしいムードに飾られた車内は結構綺麗。
鼻腔を微かにつく甘い匂いに一瞬ぼーっとした。
「いい匂いですね。香水ですか?」
「……? 何にもつけてないわよ」
くんくんと鼻をひくつかせてから、何かに思い当たったのか、小さく叫んだ。
「ああ! ……タンドゥルプワゾン。優しい毒っていう香水よ。綾芽がつけてたわ。あの娘よく乗ってたからうつったのかしらね」
ほんの少し顔をしかめて呟いた。
「……染みついているってところかしら」
「あ……、あの人。そういえば、犯人は分かんないんですか?」
「犯人?」
「だって、殺されたんでしょう? 急に心不全なんて。毒でも飲んだんじゃないんですか? あんな所で自殺とも思えないし。毒って、計画的で殺意が持続した結果使うものですよね。そういう殺され方するだけの理由、持ってたのかな。そんな風に見えなかったけど」
「そうね……。そんな風に見えないわね……」
運転しながらの会話だから、目線はずっとフロントガラスの向こうに向けられていたけど、低く呟く葉山さんは別人のようだった。
「……紅林さんて、どんな人だったんですか? なんか、不思議な感じの人でしたよね」
「うん、変わってたわよ。美人だったし頭もよくって、お家はお金持ち。紅林グループって聞いたことあるでしょ? あそこの本家」
って……。お金持ちなんてもんじゃない。戦後の財閥解体後も、実質を保ち続けた名門の一つじゃないか。歴史の教科書に名前が載りそうなほどの奴だよ。驚いたな。
「すごい……ですね。なのに、何であんなに暗い……あ、いや、すみません」
「あはは、あやまんなくてもいいわよ。あの娘の人見知りは並みじゃないの。幼稚園から一緒だけど、大きくなるにつれてひどくなってってね。……お家のせいかしらね。それなりに色々あるみたいだから」
堅い声音が冷たく響いた。
何だろう、この違和感。
「紅林さんて、葉山さんの友達ですよね?」
「そうよ。なんで?」
「え……と……」
「冷たいと思う?」
「冷たいって言うより、冷静だなーって」
「お葬式もまだなのよ。変死体だから、解剖されたの。まだ帰ってきてないのよ。……実感わかないわ、綾芽がもういないなんて」
「そ……っか……。そうですよね。元気だった人が急にいなくなるって……認めるのに時間がかかりますよね」
「ええ……」
強張った表情。口数の少ない葉山さんてのは、初めてで、何だか不思議だった。人見知りが激しかったという紅林さんも、この人の前では違う顔してたりしたんだろうか。
「心残り有ったかな……」
「有ったでしょうね、沢山……。ほら、着いたわ。新横浜中央病院」
「あ、すいません。ありがとうございました」
「いいえ! マスター、早く良くなるといいわね」
「伝えておきます。紅林さんを殺した犯人、見つかるかもしれませんよ。これ、手がかりになるかもしれないんだ」
ドアを閉めながら茶封筒を掲げて見せ、駆け出した。早く中が見たかった。
龍樹さん、手術終わったかな。終わってればその場で見せて貰えるかもしれない。
受付で尋ねたら、手術はまだ終わってなかった。
長いお預けになりそう。
龍樹さんの話が通ってるのか、昨日の人の良さそうな看護婦は荷を受け取ると、龍樹さんのらしい引き出しにしまった。
ちぇーっ、ちょっとだけ覗けばよかったなぁ。家で待つしかないじゃないか。
あー、夕食。昼飯喰い損ねてたし、早めに喰っちまおう。龍樹さんが言ってたのはシチューとミモザサラダで、昨日全部喰っちまったし……。久々のコンビニ……かな。
だけど、保険証を戻しに店によったら、でかい冷凍庫が俺を誘惑していた。
オーブンで焼くだけにしてある作り置きの料理達……。
俺は冷凍庫を開けた。
几帳面な龍樹さんらしく、料理ごとに分類したラベルに下ごしらえをした日にちを記入して、一目見て分かるように並べてある。
冷凍しても味の落ちないものはこうしてまとめて作って一人分ずつ分けて保管してあるんだ。つまり、ここに並べてあるのは俺のための料理ではなく売り物。
「怒るかな……。怒んないよね。後で言って料金払えば……」
誰も聞いちゃいない厨房で一人言い訳。冷気が早く欲しい物を取り出して扉を閉めろとせかしているような気がした。
俺はカチンカチンに凍った龍樹さんのグラタンとクロワッサンを冷凍庫から取り出した。家に帰って温めて食べよう。
後、カップスープがあったよな……。
帰って直ぐに食事の支度をした。龍樹さんのを見てたからタイミングはばっちり。俺は自分ちでも龍樹さんの旨い料理が食えて幸せ。……な筈だったんだけど、何となく味気なかった。
同じ味なのに。変だよなぁ。