龍樹&拓斗シリーズ
優しい毒
5
案内された座敷に落ち着いて、龍樹さんと向かい合った。
場所は駅前に林立してる高級ホテルの一つに入っている京料理屋。夜はメチャ高いらしいこの店も、昼はランチタイムっぽく昼飯としてはちょっと高めだけど手頃な値段てことで、近くの会社の人達とかで混雑している。
いや、俺なら自前だったら昼だって絶対入らないけど。
弁当って言っても、一応コース仕立てで、三段の重箱にちまちまいろんな物を盛り込んだ上、先付け揚げ物、焼き物などが別添えで出てくる。ボリュームもあって、目でも楽しめる程見た目も綺麗。冷たい物は冷たく、温かい物は温かく。味もいい。
「美味しい?」
物喰いながら喋るなって親の言いつけ通り、俺は黙って頷いた。
「そう、よかった」
龍樹さんがにっこりした。瞳が甘い光を浮かべてとろけてる感じに見えた。
俺は気にしてない振りして片っ端から料理をやっつけてたんだけど、龍樹さんが箸を止めてるのに気がついて、食べるのを中断した。観察されてたと思うと自然に頬に熱が入る。
「なにか?」
龍樹さんの身体に電気が走った。びくって。それから耳元だけがカアッと赤くなって。……俺はどうやら不意打ちを喰らわしてしまったらしい。
「あ、いや、……そういえば合格発表、どうしたかな? と思って。早光大の結果も出たんだろう?」
「う、うん」
無理矢理探し出した話題って感じだけど……。
「受かった……。後は横浜市大だけ。あっちはちょっと無理だろうなぁ」
「よかったなぁ」
龍樹さんは顔を輝かせて、本当に喜んでくれているのが分かる笑顔を見せてくれた。
「じゃ、取りあえず、私学の第一志望突破って事で、お祝いだね」
言いながら、インターホンを引き寄せウーロン茶を追加した。俺が甘い飲み物が苦手なのを知っているから。
「昼休みでなかったら酒で祝杯を挙げるんだけど。おめでとう」
持ってきて貰ったグラスを掲げ、俺のにカチンと当てた。
そうやって、また食事に戻ったんだけど……。しばらくすると、やっぱり龍樹さんの箸は止まっていた。
俺は顔を上げ、無言で「何か?」って顔をしてやった。
今度は動じる気配もなく、俺の顔を見つめてきた。逆に俺の方が視線を逸らしてしまうまで。
「ホントに気持ちよさそうに食べるなぁって思ってね」
龍樹さんは言いながら微笑んで、すっと右手を差し出した。俺のほっぺたに触れて、何かつまみ取った。
「おべんと、ついてた」
クスって笑って俺についてた飯粒を口に入れた。
ドキッてした。妙に色っぽく見えて……。
もしかして、龍樹さんは今日のこの食事、デートか何かのつもりでいるんじゃないかな。
予算オーバーだけど、割り勘にしようっと。
デザートまで食べて、お茶を飲んで。やっと俺はポケットから例の封筒を出した。
「何? これ……」
「龍樹さんの家の郵便受けの下に貼り付けてあったんだよ。マスター宛になってるでしょ」
「僕宛に?」
不思議そうに封筒を見つめ、おもむろに開封した。
中から転げてきたのは鍵と印鑑。それに手紙。
「何? それ。何の鍵?」
「貸金庫らしい」
「貸金庫? 誰の?」
「僕の……らしい。……正確には、僕と、紅林綾芽という人の共同名義。ここに、その人の判のある委任状と、鍵と僕の登録印鑑があることになる。変な話だね」
「紅林綾芽? ……って、例の二人組の死んだ方だよ。手紙にはなんて?」
「自分が死んだら、中の物を出来れば中を見ずに燃やして欲しいって。手数料として二百万。金庫に入れておくってさ」
「ええっ?」
だって、二百万なんて、俺、生で見たこと無い。そんな大金をほとんどただの顔見知りに過ぎない人に託して、一体どんなものを処分させようっていうんだろ。
「何で、龍樹さんに?」
「さあ……。自分と接点のある人間には頼めない物なんじゃないかな。結びは《貴方は悪用なさらない方だと信頼しています》とある……」
目が点という感じの龍樹さん。やがて苦笑を漏らして、それらを花柄の封筒に戻した。
「常連のお客さんだったし、ここまで見込まれちゃ、やり遂げないわけにはいかないね。それにしても二百万は貰えない。住所調べて送り返さなきゃ」
「欲ないなぁ……」
「欲はあるさ、種類が違うだけだ。……金は要らないが、中身は見せて貰う。自分が処分する物はちゃんと知ってなきゃ」
クスクス笑う龍樹さんは、いたずらっ子のようだった。瞳の輝きがくるくる巡る。茶色だったり金色だったり……、イメージは猫……だな。
「それにしても、信用されたもんだね。……自分が死んだらって書いてあるの?」
「うん。予感してたって事だな」
「心臓、やっぱり悪かったのかな」
「いや、悪ければ、それなりな対処法を持ってたはずだ。一緒にいることの多い友達が何も知らないってのはあり得ないね」
「じゃあ……?」
「多分、毒物だと思う。心停止を促すやつ」
「って、自殺って事?」
「それはないだろうな。自殺ならもっと場所選ぶだろう?」
「そ……だね。少なくとも駅のホームは選ばないだろうな。他殺……ってことかぁ。ねえ、龍樹さん、処分して欲しいものって何だろう?」
「さあね。それは行ってみてのお楽しみだ。関係ありそうなら、紫関に連絡して毒物の特定が出来ないか調べて貰う」
紫関さんの職業は県警捜査一課の刑事さん。龍樹さんの中学からの親友。……ゲイじゃないらしい、ほんとの友達。カバかサイを連想させられる、ずんぐりむっくりな感じの人だけど、優しそうな目元が時々すごく鋭い光を見せるんだ。
「……だけど、僕は行ってられない。拓斗君、君、行ってくれないか?」
「俺が行っても出してこれるの?」
「僕の顔を向こうが知っている訳無いんだから、僕の振りしてみてくればいいさ。少し大人っぽい服装すればいい。君、ホントなら二十歳になるんだろう?」
そう、俺は小学生の時に腎臓やられて二年留年してる。移植を受けて、今は元気だけど。
「う……うん……でも、俺、貸金庫なんてどうすればいいか……」
「貸金庫の窓口がなかったら、相談窓口にでも行って、手続きの時は自分は来なかったからって言えばいいさ。身分証明書を見せろって言われたら、僕の保険証を見せればいい。あれなら写真はいってないしね。店の、君のエプロンが入れてある棚の一番左の引き出しに入ってるから」
ポケットから、おもむろにキーホルダーを取りだし、そこから一つ鍵をはずした。俺の方にカタンと置いて。
「前から渡そうと思って作っておいたんだ。君の鍵だ」
「だめだよ龍樹さん、今回鍵借りるけど、俺の分てのは受け取れないからね」
「何故? 店を手伝って貰うのに、君にも持っていて貰わないと不便だからだよ。他意はない」
カアッと頬が熱くなった。俺の方が、龍樹さんを意識してる。そういわれた様な気がして……。
気がつけば俺は彼を睨みあげてた。龍樹さんは全然動ぜず、くるみ込むように穏やかな目の色で俺を見つめてきた。睨み合いは最初から俺の負け。だけど視線を逸らしたのは俺よりも龍樹さんの方が先だった。
「そういえば、何で急に休みにしなきゃならなかったか、説明してなかったね。
急なオペをやらされる羽目になったんだ。ちょっと変わった症例なもんだから、親父の奴ビビッちゃってね。僕はオペだけ受け持つ手術屋扱いさ。一応、資料検討して、段取りして、切った後の始末で三日。店閉めるんだから、三日分の稼ぎはふんだくるつもりだ」
「そのまま残って後継がないの?」
「誰が! 言っただろう? 僕には人を治すこと出来ないんだ」
「だって、手術はするんでしょ?」
「それだけじゃ人は治せないんだよ。病は気からってね。手術は技術だ。技術だけじゃ治癒に導くには足りないんだよ。僕は、トータルで言えば、医者として失格だ。自慢じゃないが、自己本位な男でね」
「そうかなぁ……」
「これから学校でも習うと思うけど、医は仁術ってのをね、心がけて欲しい。まあ、君なら自然にやれるだろうな」
「そんなこと……」
「やれるよ」
龍樹さんがニコッて笑った。
「でね。これからも実家からの呼び出しに応えなきゃならないときがあると思うんだ。だから、鍵、持ってて欲しい」
う、そうきたか。
「それと、電話番号。……教えて。今日はどう連絡しようか困った」
一〇四だってあるんだし、調べるのは簡単だろって、言いかけてやめた。
なんだかんだ言っても、俺は龍樹さんのこと好きだもんな。
「……書くものあるの?」
「ああ」
ポケットから手帳を出した。
俺の言った番号を書き留める龍樹さん。嬉しそうな顔するかと思ったら、全く冷静な顔。
拍子抜けしながら、ほら、また俺って奴は……、と、自分を叱りつけた。
鍵をしまいながら俺は立ち上がった。
「じゃ、これは次のバイトの人が決まるまで預かることにするよ」
「え?」
「四月からはまた手伝う時間減っちゃうから。どう考えても、バイトは雇った方がいいよ。少なくとも俺が入れる時間まででも。そうしなきゃ、龍樹さん、身体壊すにきまってる」
「ああ、そうか……そうだね」
そう露骨にがっかりしないでよ。これでも俺、龍樹さんのこと心配してるんだよ。
とりあえず家に戻ることにした。着替えと、保険証を取りにいってたら、今日は銀行閉まっちゃうし。明日朝一番の仕事って事にしようってことで。
「車で送ってあげたいが、生憎時間がない。取りだしたものは悪いけどここまで持ってきて欲しい。オペ前に間に合うといいけど……。だめなら外科のさっきの看護婦に預けて」
「うん、分かった。手術何時だっけ?」
「十時。予定では八時間かかる筈なんだ、受付に電話して。悪いね」
体力勝負だな、外科って……。
じゃあとそのまま右と左に別れた。
「あ、拓斗君」
「え?」
「夕食、店の冷蔵庫に用意してあるから温めて食べなね」
そこまでして貰うのって……。でも、嬉しかった。
はい。どうせ俺は図々しい喰いしんぼです。
「あ……うん。ありがと。龍樹さん、手術頑張ってね」
「うん」
別れ際に声をかけた俺に、龍樹さんは極上の笑みをくれた。朗らかで、明るい笑顔。
そうだな、こんな顔の龍樹さんは好きだ。