眸はいつもブルー・第5回
「ワンバーガー、ワンポテトS、ワンチョコシェーキ入ります」
蓮のよく透る高めのテノールが響く。
「……お先にお会計ただいてよろしいでしょうか?」
天使の微笑みに客が固まっている様を、俺はそっとうかがった。
身体で返すためのバイトを始めた天使は3日で仕事を覚え、きちんきちんとノルマをこなしている。
もともと飛び級で学位を取るほどの秀才だ。覚えもよければ回転も速いのだろう。
俺に気づいた蓮の微笑みは0円スマイルではなく百万ドルぐらいのボリューム。
「いらっしゃいませ。こちらでお召し上がりですか?」
カウンターに立つ限り、この店ではマニュアル以外の会話は禁止。
ルールを破れば後ろから店長の蹴りが足下にはいる。
蓮はそんなポカはしない。
「ああ。照り焼きチキンのバリューセット、Lにして。ドリンクはアイスコーヒー。それと、シェイカーズサラダのチキンを一つ」
「ご一緒にアップルパイはいかがですか? セットにプラスですと100円でご提供できますが」
「……いらねー。あ、ガムシロもミルクも要らないから」
「おそれいります」
パタパタと品物を揃えると、勘定もきっちりとって、にっこりトレイを寄越した。
俺はトレイを持って空席を探す。店の奥に目をやるとひときわ目立つ人物に行き当たった。
カルロである。
相変わらずのひっつめ結いのオールバックはきらきらの金髪で。高そうなブランドもののスーツは決まりすぎてファストフードの店では浮きまくり。ちらちら目をやる若い母親集団なども、威圧感を発散してるせいか遠巻きのままだ。
横にちんまり座って甘ったるいシェーキをすすってるのは禿げ鷹にメガネをかけさせたような骨皮の柳沢爺。
むこうは、俺が蓮から買い物をしてる時点で気づいていたようで。
「ここ、あいてるぞ」
と、声をかけてきた。
母親集団の目線が一斉に俺に注がれる。
不似合いこの上ない組合わせだと思われてるんだろう。
それでも他のテーブルは一杯だったから、俺はカルロの前の席に腰掛けた。
「偵察ですか?」
カルロは冷たい瞳で俺を見つめてきた。
「蓮の店員姿なんて、一生見ることないと思っていたからな」
「……ご感想は?」
「……悪くない」
カルロは瞳を和ませるだけの微笑みを浮かべてそう言った。
「そんな、カルロ様。旦那様にしれたら私が大目玉ですよ」
「それでもお前、止めて無いじゃないか。良い経験だと思ってるんだろう?」
正確な日本語が薄ピンクの口元から漏れる。
瞳の色はどこまでも透き通ったアイスブルー。
「蓮には、こういう経験も必要だろう。ハチ、どんな説得したんだね?」
……なんとなくこいつにハチって呼ばれるのは嬉しくないなぁ。
「別に。身体で返すという以上、カードもカルロにお願いも売りも無しで働いて返せっていった。バイト先は年齢に見合ったものを紹介したつもりだが?」
「うむ。願ったりだ」
カルロは、瞳だけで表情を表す。
口元は言葉を発する以外動きがないし。
目の色だけがクルクルと変化するんだ。
そうして、暖色系の愛おしいという単語が当てはまるような色で天使を見つめ続けた。
この男と天使はどういう関係なんだろう?
俺のところに住み着いちゃってもいいと思ってるのか?
「……それでいいのか?」
「なにが?」
「あいつが側にいなくてもイイのかな? って……」
カルロに見据えられて、俺は段々言葉に力が入らなくなってしまった。
「……側にいるだけでいいって言う奴もいるって、あいつ……」
誰も続きを聞いてきてないのに、俺は言葉を継いだ。
そのまま俯いてしまう。カルロの視線が痛かったから。
クスクスッと音がした。
「……別に……。仕事が楽になるから有り難いかな……」
カルロが笑ったんだった。すごく意外な、可愛い笑顔だった。
強面にさえ感じさせる冷たく整った顔立ちのカルロだが、笑うと5歳以上は若くなる。
「……なんだ?」
ぼんやり見つめてた俺を覗き込み、カルロが言った。
「……あんた、笑うと可愛い……」
ぶっとコーヒーを吹いたカルロ。更に年齢後退だ。
ヒュッフェッフェッフェッという断続的な空気の抜けるような音は、柳沢爺から漏れていた。
こいつは笑うと仙人化する方だ。
「……ハチ様は天然物ですよ、カルロ様。これは蓮様でも勝てますまい」
「え?」
「ぷっ。そ、そうだな……」
アッハッハッと声に出して笑い、母親連達は露骨に観察の視線を注いできた。
「な、なんだよ? 天然て……」
な、なんか、スゲー不愉快な感じなんですが。絶対こいつら、俺のこと馬鹿にしてるぞ。
「い、いや……。す、すまん。蓮を……蓮をよろしく頼む」
瞳に涙をにじませて笑いを堪えようとしながら立ち上がった。買った食い物はほとんど手つかずだ。
そりゃあ、口には合わないでしょうとも。あんたみたいなリッチマンにはね。
爺はシェイクを手に持ち、カルロのあとに続いた。
「カルロ様、この「しぇーき」なるものは結構美味しいですよ」
店を出ていくとき、そういってるのが聞こえた。
嘘だろ。あの爺、味覚異常あるのかもしれない。
とりあえず、俺はカルロの盆を片付けた。もったいないから手つかずのバーガーとパイは持ち帰る。
俺は、そのまま蓮に目配せだけして家に帰った。
さて。俺の方は夜のバイト。
蓮が帰ってきたら、食えるように簡単な食事だけ用意して、着替えた。
出掛けにカルロの分のバーガーを食った。
今時はレンジがあるから有り難い。軽くチンして喰えば、冷たいよりは美味い。
パイを食おうとして、パッケージを開けると、中にカードが入っていた。
……オマケか?
そんなキャンペーン、やってたっけ?
よく見たら、近間のデパートのプリペイドカードだった。5万円の。
「なんだよ? これ……」
よろしく頼むって……これで?
金持ちってやだね〜。なんでもこれだ。
俺はとりあえず上着のポケットにそれをしまうと、部屋を出た。
蓮には朝言ってあるし。勝手にやるだろう。
「あらぁ、シンちゃん、今日は早いのね」
真由子ママの猫なで声は、どう作っても男の声なので、ちょっと苦手。
低く甘い響きのバスバリトンは、やっぱり凛とした響きで聞きたいものだ。
「おはようございます。……乗り継ぎよかったんで」
答えながら、ロッカールームで着替え。
俺は、新宿二丁目のゲイバー・エリザベスでバーテンダーをすることになったんだ。
実を言えば、ここは古巣。
昔、写真をやりたいと思い始める前もここでカクテル作り続けてたんだ。
口達者であしらいの巧いママとホステスばかりのこの店は、俺自身が口達者になる必要もなく、黙々と注文の品を作っていればすむ。寡黙なバーテンダー。そんな評価が俺についていた。
今回カメラをダメにされ、仕事もポシャッたと愚痴ったら、うちに来なさいと言ってくれたのが真由子ママ。丁度バーテンダーが引き抜かれたところだったそうで。
タイミング良かったんだな。
仕事はね。あのあと安さんから電話が来て。カメラだめになったことと、高田がもってかえっちまったことを話したら、舌打ちされた。
ネタが一個ダメになったこと、俺のドジを散々罵って切れた。それっきり。
もともとフリーランスで声がかかったときに同行してただけだから、もうああいう仕事はないかもしれない。
まあ、あんまり落胆してないけど。仕事はなくなって困るけど、ああいう内容は好きじゃない。人のこと暴くのって、性に合わないと言うか。
それ考えてたら、あの時天使に邪魔されて良かったかもと思えた。
あの時追ってきたアイドルの顔は、本当に……。
「高田……どうしてるかな……」
「え?」
真由子ママのいらえにハッとする。
「あ、高田翔。俺結構ファンだったりして……」
あははと笑ってごまかした。
真由子ママは眉をひそめて俺を見つめた。
「ファンのくせに知らないの?」
「え? ……ぁ、うち、テレビ無いし。新聞見ないし……」
そんな余裕無いって言うか……てのは、黙ってたが。
「高田翔って……。昨日駆け落ちしたわよ」
「はあっ?」
って……まさか……まさか……。
「ぁ、相手は?」
「芝山代議士。ホテルの駐車場のキスシーンがすっぱ抜かれて、直ぐだったわよ」
ま、マジ?
その場にへなへなと座り込んだ。
「きゃあ、シンちゃん、大丈夫う? そんなにショックだった? 高田翔、本当にかっこよかったものね」
でも、芝山代議士となんてすごいわぁとか、ホモの鑑とか、わけのわからん事言って熱狂してる真由子ママの声が、気にならないくらい、俺はショックを受けていた。
あのネタは葬られた筈なんだ。なのに……なぜ?
素材提供:トリスの市場