13
青白い繊細な指先が、バラ色の唇を撫でた。
ひろしの発言に面食らったのは、さやかだけではなかった。チャールズの宝石のような瞳は、あらぬ方を見上げて、落ちつきを取り戻そうとしているようだった。
「相変わらずだな……、あのふたり。聞いてる方が恥ずかしくなる」
チャールズの冷たい声音には、優しい笑いが飾られて、柔らかな音として響いた。
「ほっとした? がっかりした?」
ほんの少し悪戯っぽい光をたたえたブルートパーズの瞳は、長いつきあいのロイでも滅多にお目にかかるものではなかった。
「意地悪いな……。他人事だと思って、面白がってるんだろ」
さやかとひろしが、仲むつまじく茶席に向かうのを桜の木陰から見送りながら、ロイは応えた。まともに顔を向けたら、切なさと、嫉妬で歪んでいるに違いない自分の顔を見られてしまう。
「他人事って事はないぞ。私の血を与えた二人なんだから。いわばあの二人は私の子供だ」
「だから、様子見に付いてきたっての?」
「まあ、そうだな。こういうケースは珍しいしね」
「そういうと、まるでモルモットじゃないか」
「否定はしないよ」
チャールズは、真顔でロイの瞳を捉えた。
「いいか、あの二人自体は問題なんてほとんどないんだ。別に、あの時騙したつもりもない。問題は、あの二人の子供だ。二人から受けた血が問題なんだ。私の血を、濃く受け継いだ子供がいたら、どんなことをしてでも連れて行かねばならないだろう」
「どんなことをしてでも……」
「そうだ。どうしてもな……」
桜吹雪はとうに止んで、二人の間を通る風が鋭く冷たいものに変わったとき、柔らかな花びらを踏みしだく小さな足音が、割って入った。
ハッとして振り返った二人の視線は、かなり危険な色を浮かべていたはずなのだが、足音の主は、憶せず更に歩を進めて二人に近寄った。
大きな白いレースの襟をはためかせた黒いワンピースを身につけた少女である。
きょとんとした表情は、チャールズの金色の髪や、薄青く透明な瞳にたいして、好奇より魅惑を表しているようだ。
「お兄さん達、だあれ?」
黒目がちで大きな瞳を輝かせて、少女は尋ねた。
お互いを見交わした後、ロイがかがみ込んで、少女の視線を捉えた。
「僕たちは桜の木とお友達なんだよ。それで会いに来たんだ。君はだあれ?」
ほんの少し警戒の色を瞳に浮かべながら、それでも少女は素直に応えた。
「高水なつき……」
ロイがチャールズを見上げると、ブルートパーズの瞳が細められた。
さやかとひろしの子供……。上の三人は既にチェック済みだったが、この子に関しては、未知数である。
「少し間を開けすぎたな。この前見に来たときは、三番目が赤子だった」
舌打ちをしながらチャールズが言うのを、ロイは無視してなつきの顔をのぞき込んだ。
見れば見るほど昔のさやかにそっくりである。黒目がちなところはひろしに似ているのだろうが、全体の雰囲気は、さやかのコピーと言ってもいいくらいだった。
「なつきちゃんは幾つ?」
ロイの穏やかな声音と、優しい瞳に安心したのか、少女は片手を大きく拡げた。
チャールズまでかがみ込んで、まっすぐに少女の瞳をのぞき込んだ。
「五つか……。そっくりだな……。……お母さんとお父さんは元気?」
少女はにっこり微笑んで、大きく頷いた。
「おにいちゃんたちもげんき! なつきもよ」
チャールズはそれを聞くと、柔らかな笑みを満面に浮かべて立ち上がった。
片手を側の桜の木にかざすと、少しずつ花の散り方が激しくなってきた。花びらに見えかくれしながら、チャールズの輪郭が淡くなっていく。ほんの数秒のうちにチャールズの姿はかき消すようになくなっていた。
なつきは、花びらの雪の中で、不思議な手品を見守っている。
「なつきもね、できるよ。ほら……」
置いてけぼりを食らったロイを見上げ、瞳を輝かせてなつきは片手を上げた。
やがて、なつきの周りに、螺旋を描くように花びらが舞い降り始めた。
ロイの瞳は、驚きの色を見せ、鳶色から金色に変質し、やがて口元に微笑みが浮かんだ。
「そう……、素敵だね。いつか、また会おう、ジャパニーズドール……。君が僕を覚えていたら……会えるかもしれないね……」
「うん、またね」
無邪気な声が、ロイの背にかかってくる。
桜吹雪は狂おしいまでも激しくなっていて、ロイの騒ぐ心と共鳴していた。さやかの時にはどうしても出来なかったことだが、なつきを手に入れたいという欲望が、抑えようと言う気持ちとせめぎ会っている。立ち去る歩を速めながら、ロイは十年後を夢見ていた。チャールズの血を濃く受け継いでしまったなつきを迎える自分を。
「またね……」
手を振るなつきの瞳には、桜吹雪だけを映していたが、ロイの瞳にはなつきだけが映っていた。
「きっとまた……」
ロイは、誰もいなくなった庭に背を向けて去っていくなつきを見つめ続けた。
いつか、必ず、ここに来てしまうだろう自分を呪いながら。
―了―