カフェ「El Loco」常連湊さんの1000番キリリク

龍樹&拓斗シリーズ・番外編
探偵は裏口で悩む

その店は、小さな駅前商店街で異彩を放っていた。
 喫茶『El Loco』。
 煉瓦敷きのたたきと深いレリーフが施されたオーク材の扉は重たい印象で、いささか入りにくさを感じさせるのだが。
 それを払拭しているのが、開け放たれた鎧戸の向こうの光景だ。
 やや少女趣味なほどのレースのカフェカーテンと、シックな花柄の壁紙に天然木のスペイン風家具。
 あまり広くはない店内にくつろぐ客達の表情は幸せそうである。
 その上、一部女性達の視線を集める存在が、もう一つの店の特色で。
「いらっしゃいませ」
 柔らかな微笑みを浮かべながらカウンター奥で迎えた店主は、とてつもない美形なのだ。
 ギリシャ彫刻のような印象を与える整った面差しと体躯は、長身なせいで帰って目立たないと感じさせるほど美しい。日本人にもかかわらず色素の薄い肌や髪と瞳は、繊細かつエキゾチック。華やかな顔立ちは知性の輝きを添えて、高貴な香りさえ立ち上るようだ。
 そして。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
 テーブルの上にメニューを開いていない限りは、こう声を掛けてくるウェイター。
 この、黒目がちの瞳と片えくぼが印象的な細身の美青年が、俺のターゲットだった。
 俺は藤波征哉。小さな興信所を経営している。
 向坂拓斗が彼の名前。
 早光大医学部1年で、過去に国体出場経験を持つ陸上選手。
 バイト先であるはずのここ、『El Loco』に居を移して1年近く経つ。
「……そうだね、今日のスペシャルを貰おうか。あと、マンデリンを」
「かしこまりました」
 軽く会釈して店主の居るカウンターに向かう後ろ姿を見送った。
 キュッと締まった腰つきは、当初よりもシャープで、尚かつ色っぽい。
 ああ、色っぽいというのは、先入観かな。
 彼を調べるように依頼を受け、日々彼の行動を追っていたある日。
 夜、早めに閉店札を出しながら、彼は店から出てこなかった。
 俺は慌てて『El Loco』私室の窓の方に望遠を向けられる位置に移動したのだが。
 間接的な照明の中、絡み合う二人を写真にとり続けながら、俺は自分の身体に生じた変化に戸惑った。
 初めてらしい向坂の身体をゆっくりと愛撫しながら高ぶらせていく店主の姿は、遠目にも一枚の絵のようだった。
 後ろから貫きながら、まめにキスを落とす様子は、いかに向坂を宝物扱いしているかうかがえた。
 向坂は向坂で、苦痛の涙を流しながらも店主を愛しげに抱きしめたり。
 夢中で絡み合う二人は、窓のカーテンも閉めずに明け方までお互いを貪り続けたのだった。
 気づけば、俺は持ち合わせのフィルムを全て使い果たしていた。
 シャッターの押せないカメラの望遠を覗きながら、われ知らず自分の股間に手をあてがい、おのれを扱いて。
 彼らの動きに合わせて、俺も………………。
 男同士のやってるところを見ながら自慰をしたのは初めてだった。
 達してしまったときの罪悪感は、並じゃない。
 なぜなら俺は、どちらかと言えば同性愛なんてものを否定的に見る輩だったからである。
 男同士の恋愛なんて、不道徳だの言う前に気持ち悪いという表現をしたいクチだ。
 俺は、頭を振りながら機材を片付け、その場を立ち去った。
 早朝にも関わらず、馴染みの女を呼びだし何度も突っ込んだ。
 とにかく、無我夢中で女を抱いたんだ。
 そうでもしないと俺は…………。
 その翌々日に、依頼主を呼びだした。
 どっかの会社の会長の孫娘で、そこそこの美人。
 なのに、好きな男のことを、こんな形でしか追えない女。
 彼女には、あまり刺激的でなく、尚かつ何をしているかは明確なショットのものを選び、報告書とあわせて提出した。
 残りの写真は廃棄すべきだったのだが、捨てきれずに金庫の奥にネガと共にしまい込んだ。その後も、5月の半ばまでは調査を続行したが、依頼者からの終了依頼が来て、俺とは縁が無くなったはずなのに。
 俺は、ここに来てしまう。
 既に顔も覚えられているだろう。
 二週間に一度くらいのペースではあるが、来ればこうしてお茶なり食事なりを注文して彼らを見守ってしまうのだ。
 ああ……今でもこの二人はできている。
 俺の視線に気づいた店主が、ちらりと剣呑な視線を投げてきた。
 向坂に近寄る男も女も、彼にとっては障害なのだ。
 その独占欲たるや、並じゃない。
 向坂に片思いの時期も長かったらしいが、知る限りではストーカー並の追いかけ方だったと思う。
 俺は、向坂ではなく店主の方を見つめる手段に切り替えた。
 そう。別に向坂をどうこうしたいとは思わない。
 俺は、ゲイじゃないんだから。
 ただ……あいつがあんまり幸福そうに奴を抱いていたから……
「うらやましいんだな」
「は?」
 呟きにいらえが来て、ハッと顔を上げた。
 向坂がデザートの皿を運んできていたのだ。
「ああ、いや、ひとりごと」
「……いつもお一人ですよね」
 フワリと微笑んだ向坂が、そんな風に話しかけてきて、ドキッとした。
 ……これか。
 あの店主を虜にしている雰囲気。
 優しく、安らぎという言葉ぴったりで、彼にくるまって眠りたいという欲望を喚起する。
 彼の誠実さを、俺が知っているからかも知れないが。
「……仕事の合間なんでね。ここのコーヒーは絶品だから……」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに微笑み、店主の方に微笑みかければ、見たことがないほどの温かい笑みがギリシャ彫刻の美貌からこぼれ落ちる。
 その瞬間、客席のあちこちから溜息が漏れた。
 ああ……。
 うっとり見つめてしまうのは俺だけじゃない。何時流れるかは判らないこの空気をみんな待っているんだ。
 飯もデザートも、美味い。コーヒーは比類無き美味さ。
 観賞用の男も絶品だ。
「まったく。狭いのが玉に瑕だな」
 勘定を済ませながらそう言ってみた。
 向坂の手が、瞬間止まる。
「……これ以上の規模になると、今のような雰囲気が保てないんだそうです」
 営業スマイルも板に付いたもんだ。
「……なるほどね。そうなれば、店の特色も失われるか……。それは困るな」
「皆さん、そうおっしゃいます」
 レシートと一緒にカードを渡された。
「……なんだい? これ」
 ほんの少し頬を染めた向坂が、決まり悪そうに微笑んだ。
「何度もお越しいただいていたのに、お渡しできなかったんですが。お得意さまカードです。おいやでなければ、登録簿にも記入をお願いします」
「……」
 黒く濡れた瞳が、俺のイエスを待っていた。
 ま、いっか……今は仕事じゃないんだし。
「いいよ。どれ?」
 名前と住所。電話番号と誕生日。
「……藤波探偵社……? 探偵さんですか?」
 黒い瞳を思いっきり見張って、無邪気に聞いてきた。
 ぴくりと店主の気配が尖った気がする。はいはい、あんたからこいつを取る気はねーってば。
「ああ。ねぐらもそこだ。仕事は浮気調査ばっかりだけどね」
「わ、俺、探偵さんに会うのはじめてなんです。今度お話し聞かせてくださいね」
 人なつこい笑みに思わず頷いていた。
 守秘義務がある上に浮気調査ばかりの何を話すことがあるかなと頭の中で探してしまったくらいに。
 俺は、毒気を抜かれて『El Loco』を後にした。
 登録カードのせいで、さらなる関わりが出来るなど、みじんも考えずに。

            ★★★★★

 俺のねぐらは上大岡駅裏手の小さな雑居ビルにある。一番日当たりが悪くて目立たず、そのかわり一番家賃が安い。依頼人なんてものは、大抵は目立たないことを好むので、立地条件は悪くない。
 応接室を兼ねた入り口近くの部屋が事務所。その奥にベッドルーム。間に簡易キッチン、バス・トイレがある。俺だけで住むなら、充分快適な広さだ。
 その電話は、『El Loco』に電話番号をおいてきた翌日にかかってきた。
「……藤波さんですか?」
 甘く柔らかな男の声。俺は『El Loco』のマスターだと、すぐに判った。
「……喫茶店店主が、探偵に何の依頼だい?」
「……さすがですね、わかりますか?」
 微笑みを含んだ声に、俺は眉をひそめた。
 何となく、嫌な依頼な気がする。
「あなたの腕を見込んで、ちょっと変わった仕事をお願いしたいんです」
「俺の腕? 何であんたが知っている?」
 クスクス笑いが、漏れてくる。
 この男……?
「隠し撮り……プロですね。あなたの仕事ぶりを偶然目にすることが出来たんですよ。拓斗の調査資料、よくできてました」
 ………………。
 あの女? そりゃねーだろが!
「そりゃ、お褒めにあずかり光栄だね。依頼人からリークされるとは思わなかった」
「……僕も、常連客にあなたがいるとは思っていませんでした。今日、登録カードを見て驚きましたよ。今でも拓斗を調査してるわけじゃないでしょう?」
「まあな。これでも俺はあんたの料理が気に入ってるんだぜ」
「それは光栄だ。で、仕事は受けていただけるんですかね?」
「……内容と報酬次第だな」
「仕事は盗撮。3月14日の一晩限りですので、準備と後始末に各一日として、三日で二〇万円。いかがでしょう? 環境も万全、ターゲットが訴えることはないと保証します」
「……うさんくせえなぁ」
「そうですか? ……そうですね……あなたがストレートだと少しきついかな」
「あん?」
「ターゲットは僕らです」
「エッチなネタか?」
「ええ」
 ごほっと咳払い。バカな依頼を平然としてくる癖に、照れてるらしい。
「じゃあ、なにか? 自分らのエッチシーンを俺に撮影しろと?」
「はあ、まあ」
「露出趣味かよ? 1年でマンネリ化?」
「いや、そういうわけでは。僕としては、彼との思い出を残しておきたいだけです。あなたの写真は……とても素敵だった。今では僕の宝物です。記念の一夜が、綺麗な写真で残っているなんて。この偶然には、とても感謝しているんですよ。お願いしたいのは、一年目の記念日をビデオに収めることなんです」
「専門のカメラマンを雇えばいいじゃないか」
「僕の恋人は、とても恥ずかしがりでして。カメラマンを前にして行為なんて、とんでもありません」
 ああ、そりゃそうだ。あの向坂が、うんというわけないだろう。
 それにしても。
 一年前のあの夜は、俺にとっては悪夢だった。
 男に欲情してしまった自分を、永遠に忘れたかったのに。
 勿論、断ればいい。
 なのに。
「……いいだろう、引き受けよう」
 俺の口は応えていた。
 バカな。
 頭にはあの夜の二人の様子がフラッシュバックする。途端に股間がズキンと痛んだ。
 またアレを見ることが出来る。
 それだけで俺は……。
「……ありがとうございます。では、前日に打ち合わせを。夕食をごちそうしますよ」
 まるで俺の内心を読みとったかのような笑みを含ませた声が、そう言って、電話が切られた。

            ★★★★★

 ホワイトデー。問題の仕事をしなければならない日が来た。
 嫌だと思う反面、動悸が収まらない。
 俺は前日の打ち合わせは電話で簡単に済ませた。
 だってなぁ。
 翌日には濡れ場を延々と隠し撮りしなきゃならない相手とアットホームに夕食なんてやってられるかよ。
 仕事は『El Loco』閉店後と言うことなので、閉店間際を狙って事務所を出た。
 ビデオカメラ3台。テープ、防寒具……。
 今夜は特に冷えるという。あの男、きっと延々とやり続けるに決まっているしな。
 問題は、俺の構えたファインダー内に、どうやって向坂を誘導するか。
 ま、それは俺の苦労する事じゃない。
 店主が指定したのは、裏口に近い鎧戸の隙間。
 なるほど、ちょっと押すと透明なガラス窓越しに店の全景がしっかり見える。
 三脚を立て、カメラを固定。
 周辺は雑居ビルの通用口以外は店主宅の門しかないデッドエンド。門灯以外は通りから見とがめられるほどの照明もない暗がりだ。
 涼しげな音が鳴って、最後の客が出ていくのが見えた。
 送り出した後にふうと溜息、くるっと振り返ってマスターに微笑みかけた向坂は、何も知らないのだろう、屈託のない笑顔だ。
 ズームを掛けて表情を観察する。
 あどけない。信じ切った笑み。
「……今日は忙しかったね。ホワイトデーだからかな?」
「ああ、そうだな」
 おい、声がかてーよ、マスター。緊張してんのか。
「……? 龍樹さん? どうしたの?」
 マスターが近づいてきた。鎧戸を閉めて回るせい。
 勿論、俺が構えている場所はきちんと写るように隙間を開けてある。
 瞬間俺と目が合い、琥珀色の瞳がキラリと光った。
 頼むぞと言う目配せにも見える。
「……いや、なんでも」
 すっと思い人に向かう姿は、内心やる気満々。
 向坂は、マスターの緊張感にしか気づいていないらしい。
 心配そうに見つめる向坂を見て、マスターは硬直した。
 それを見て、向坂が更に眉をひそめる。
 ああ、悪循環だよ。
「疲れてるの?」
 向坂が近づいた。マスターに擦り寄るように。
 すっと伸びた腕が、長身の首に巻き付いて、優しく見つめる黒目がちの瞳はじっとマスターの琥珀の瞳を覗き込む。
 何度も瞬きするマスターの表情は、今に漏れそうなのを我慢してる子供のよう。
「龍樹さん……? 何か変だね」
 さすがに向坂の声が強張った。
 あ〜あ、ばれたらもともこもねーじゃんな。
 いいかマスター、俺はもうスタンバッてんだ。金はいただくからな。
 クチュ。
 俺はその音で姿勢を正した。
 やべ、いきなり始めやがった。
「キスしてくれないの?」
 ……色っぽいじゃねーか。
 積極的な向坂は、昼間の奴とは全然違う。
 ついばむようにマスターの唇を何度も吸う。
 舌でつつきながらとうとうマスターのバラ色の唇を割り開く。
「龍樹さん……、お疲れさま……ここからは俺達の時間だね」
 やけに赤く見える舌が絡み合う様子を、俺はズームしてカメラに納めた。
「拓斗……」
 感激に震えるマスターの声も、初めて。
 ああ、そうだ。こういう時の声聞くのは初めてだったな。
 互いにクチュクチュと貪り合ったあげく、じっと見つめ合い、クスリと笑い合う。
 照れくさそうに、嬉しそうに。
「一年目、おめでとう」
 きらきら揺らめく瞳を微笑ませ、向坂が囁いた。
「なにが?」
 うそぶくマスターは、子供のように照れている。
「バカ……わかってるくせに」
 こつんと額を胸にぶつけた。そっとマスターの手が絹糸のような向坂の髪をすく。
 やがて抱きしめる力がだんだんと強くなっていく様子が、服越しの筋の様子で分かる。
「あの時もこんな風に君が近づいてきてくれた……」
「龍樹さんの纏う空気は、俺にも呼吸可能だって分かったから」
 互いの背を撫で回す様子は、愛しさだけで出来上がった絵画。
 いい絵だとは思うが、このペースでいくとテープが足りなくなりそうだ。
 まるで俺の懸念が伝わったかのようにマスターが動き始めた。
 向坂の色気が火をつけたからなのか、自分の目的を思い出したからなのか。
「拓斗、拓斗……」
 甘えるような甘い響き。
 あの電話と同一人物だろうかと思うほど。
「……待って、ベッド……」
「ダメ。今日はここで……。君と出会ったここでしたい……」
 そうそう、そうでないとね。
「あ……そんな……」
 弱い抵抗の声は、せめて照明を暗くと嘆願したが、マスターに股間を掴まれて却下された。
 荒げた吐息と一緒に衣擦れが激しさを増す。
 腰が揺れ始め、キスと連動した手の動きは愛撫ではなく互いを剥き合う。
 カチャカチャとベルトをはずし、ストンと墜ちたパンツを蹴り脱ぎ。
 ブリーフに手を入れながら尻肉をつかみ合う。
 既に発射準備完了となった股間は、大きなテントでもってそれと主張している。
 邪魔そうに下着をずらし、引きだしたものを擦りながら、まだしつこくキスを続け……。足を抜き取ってブリーフをはずすと、二人は互いのものを握りしめた。
 既に大きく膨張したものをえらく速いテンポで擦りあげ、びんびんに育て上げる。
 すげー。
 近間で見る彼らのもののでかさに、俺の口からひゅうと口笛が漏れた。
 その音に慌てて口を塞ぐ。
 どうやら気づかれなかったようだ。
 マスターの色白の身体は、日焼け跡が下着を履いているように見えるのだが、髪と同じに色素の薄い恥毛からにょっきり突き出た肉棒だけが赤黒く血管が浮き出ている。
 カリがバーンと張っていてドクドクと脈打つそれを大写しにしながら、ごくりと生唾を飲んだ。
 アレが……向坂の中に入るのか……。裂けそうだよな……。
 それに。
 向坂のだって、立派なもんだ。
 マスターの程じゃないにしろ、標準以上の長さ、亀頭の形も、そんなに見比べているわけではないが理想形態に近いのじゃないか?
 バラ色に染まったそれは、とても美味そうなフランクフルトソーセージに見える。
 一年前と違って、向坂の身体は柔らかくうねりながらマスターに絡みついた。
 腰のリズミカルな動きで、最近のしまり具合はこれのせいかとうなずける。
 先走りで光るさきっぽをぶつけ合う姿に、俺は……体温が上昇してくるのを自覚した。
 ああ、くそっ身体がうずきやがる。
 シャツをたくし上げ、下半身を露わにした二人は、絡み合いながらカウンターのテーブルに近づいた。
 マスターの奴、何げにいい角度に誘導してやがる。全く食えない奴だぜ。
 向坂も、あんなあどけない表情をする癖に。
 二人きりになった途端に娼婦の顔を見せた。
「あっ」
 甲高い悲鳴にカメラ目線をずらす。
 全身像を捉えてみれば。
「やっ、それやっ」
 嫌々と首を振る向坂をカウンターに這わせると、マスターは高々と片足を抱え上げた。
カウンターに這わせた腕と、片足で身体を支える羽目になった向坂の股間が、見事に画面の真ん中に。
 会陰も袋も裏筋もよく見える。勿論ヒクヒクと呼吸するアヌスも。
 動くたびに揺れる亀頭から溢れ出る透明な先走りが、つつつうと袋を象るように伝い落ち、マスターの長く優美な指先にすくい取られた。
「ひ……」
 ピンクのアヌスに潜り込んでいく指。グチュッと引きずり出される体液は、中の濡れ具合も良好と知らせている。
「あんっ」
 二本に増やされた指の動きに向坂の背が跳ね上がった。
「あっ龍樹……さんっそこっ! イイッもっと……おっきいの入れて……龍樹さん……来てよ!」
 自然に大きく振られる腰が、指の動きに連動し、カクカクと貪欲に快楽を求め始めるのをしおに、マスターは、凶悪なまでに膨張した己を濡れ光る向坂の秘肉に突き立てた。
「はぅっ」
 ぐっぐぐっと押し込まれていく様子が、ズームではっきり見える。
 周りの皮膚すら巻き込むように食い込む肉杭は、何度か後戻りしながら向坂を掘り進めていった。
「うっくうっ」
 苦しげな声に、マスターの身体が折れて、向坂の首筋や肩にキスを始めた。
「拓斗……全部入ったよ」
「うっうごいて……龍樹さん……俺をもっと掘って!」
 涙を滲ませながら、そんなことを言う。
 あの、向坂が………………
 マスターがゆっくりグラインドして、ぬちゃっグチュッと湿った音がし出すと、向坂の声音がかわった。
「あ……ああっんっ。すご……俺……俺……イッちゃう……ゆ、ゆっくりうごいてよう」
 挿入に合わせて腰を付きだし、もっと深く、もっと沢山、と、マスターをしぼり取ろうとする向坂のアナルは、まるで強力なゴム輪のように伸び縮みしているらしい。
 血などは垂れてこず、嬉しそうな恍惚とした表情の向坂は、ヒクヒクとつま先を震わせながら叫んだ。
「龍樹……さんっ! 俺ッ俺……っ」
 悲鳴に近い甲高さに、俺の背筋がゾクリとした。
 夢中で見入っていた俺の身体も……。意識した途端に全身の脈動を感じるようになってしまった。
 腰を打ち付ける音、ズクズクと出入りするマスターのアレ……。
「あぅっあっあっんんっあああっ」
「んっんっ拓斗ッ! ああっ君の……名前を口にするだけで僕は……っあ……好きだ……君が……好きだ!」
 マスターの叫びも……ズンと来た。
 手が無意識に自分のものを出して扱いているのに気づき、愕然とする。
 凶悪だよ。このビデオ。
 他人にはとても見せられない。
 俺は……どっちに惹かれてるんだろう。
 片方だけ見ていたって、そんな気になる訳じゃないのに。
 こいつらのやってるとこ見てると、男もいいなって気になってくるから恐ろしい。
 いや……男とか、女とかが問題じゃないんだ。
 フワリと微笑み合うあの空気。
 妖しく見交わし合うあの色気。
 愛しさだけで出来上がったふれあい……。
 なかなか手に入らないから……憧憬の目で見てしまうんだ。
 い……いかん……
 カメラに納めた二人のイくところ。
 俺も……見ながらイッちまった。
 その瞬間。
 何かが光った。
「えっ?」
 走り去る足音しか確認できなかったが。
 俺は、危険信号の点滅する頭の中で、考えた。
 あれはフラッシュだ。
 巧くとれていれば、人んちを盗撮しながら自慰をしてイッた俺が写っているということで。
「すげー恥ずかしい写真じゃねー?」
 俺は慌てて機材を片付け、その場を立ち去った。
 一ラウンド収録してあるわけだし、この辺が限界って事で。
 いいよな…………
 その時の俺は文句でたら金返してもイイやって気になっていた。

            ★★★★★

 一週間後。
「おつかれさまでした」
 事務所に尋ねてきたマスターが、テープを前にしてにっこりと笑った。
 バカ綺麗な客が来たって事で、隣の会社の女共が覗きに来ている気配がある。
 恐ろしいほどの目敏さだな。こういうときの女ってのは。
 ドアの磨りガラスの向こうでうごめく影に、俺は密かに苦笑を漏らした。
(ったく、見た目に騙されるなよ〜。いっくら綺麗だって、男好きの超絶スケベだぞ)
「それに食えない……」
「……は?」
 怪訝そうに言いながら、マスターは懐から封筒を取り出した。
「とりあえず、お約束の報酬です」
 俺の前に差し出された封筒は、確かに言い値の金額が入っていそうな厚さである。
 だが、中身を確認しようと手を伸ばした俺を、マスターは制止した。
「僕も中身を確認したい。いいですか?」
 俺は黙ってモニターつきのビデオカメラを貸してやった。
 俺の事務所にテレビはなかったし、あっても絶対貸したくなかった。
 被写体と一緒に観るもんじゃネーよな。
「……編集はしてない。やりたかったら、自分でやってくれ」
 3台用意したうちの2台までで収録は終わっていたので、テープは二本だ。
 一本に納めたかったら、自分でやって貰うしかない。
 真剣に小さなモニターに見入っていたギリシャ彫刻は、心持ち頬を赤らめて、顔を上げた。
「……よくとれてる……。やはりあなたに頼んで正解でした」
「あんまり威張れるもんじゃないがね」
「コピーはないですね?」
「……ああ」
 念を押されてみて、瞬間コピーを取っておけばよかったかもと心の隅で考えたが、もう遅い。
「では、どうぞ」
 含み笑いに聞こえた声音をいぶかしみながらも、俺は素直に封筒の中を覗いた。
「!」
 札は確かに20枚。諭吉の色だ。
 しかし、入っていたのはそれだけじゃなかった。
 写真……俺の……出してる写真。
 フラッシュのせいで、やけに白んだ俺の逸物がはっきり写っている。手はきっちりそれを握っていて、恍惚とした表情は見るも恥ずかしい顔だった。
「なんだ? これ」
 赤面を止められず、居たたまれぬ思いで呟いた。
 マスターは、クスクス笑いを隠さずにツンと俺の写真をつつく。
「記念写真です。友人が撮ってくれました。僕らのを見てあなたがそんなことをするとは思っても見なかったので、いささか驚きましたが。どうです?」
「どうですってあんた……」
「一年前の写真のネガ、その写真のネガと交換しませんか?」
 ……ああ、そういうことね。
「あんた、俺をはめたのか?」
「とんでもない! 偶然ですよ」
 ……どうだか。あんな所を偶然写真撮る奴がいるか?
「僕が持っている写真は、あなたがお嬢さんに渡す際、選んだものでしょう? 他にもあるはずですよね」
「……まあな。全部見せるのは忍びなかったんでね。何故残ってると読んだ? 依頼の終了で、始末したとは思わなかったのか?」
「最初はそう思いました。だが、あなたは仕事が段落付いてからも僕の店に来ていた。拓斗を目で追う客に、僕は敏感なんです。あなたは拓斗に魅せられていたんでしょう? だから、残っている可能性を考えたんですよ」
 ギラギラと光る瞳が俺を見据えてくる。
「この写真を見て、僕は確信しました。あなたは捨てられなかったはずだ。拓斗の色っぽい写真を」
 そこで、初めてマスターの本当の意図を悟った。
 記念ビデオの出来なんてどうでもいいんだろう。
 彼は、自分の恋人に懸想している男に、見せつけたかったのだ。割り込む隙間もないぞと。
「……誤解なんだが。俺はあんたの恋人に手を出そうなんて思ってないぞ?」
「俺はホモじゃない。ですか?」
「……ああ」
「拓斗に惹かれる男はよくそう言います。でも、拓斗には欲情するんですね。ふしぎだ。拓斗はどう見たって女性的な容貌ではないのに。……まあ、中身は多少……ありますがね」
 いないはずの彼に聞かれたらまずいというように声を潜める様子は、相当恋人に気を遣っていることを思わせた。それが癖になっているのだろう。
「とにかく。残りの写真とネガを渡して貰えませんか?」
「……俺を撮った男への口止めは?」
「……彼は言いませんよ。覗きを突き止めたら友人だったと言ってあります。僕が交渉することで、警察には突き出さないと。目をつぶって貰うように頼みました」
 ……恩着せがましく言うなよな。誰がそう言う立場に置いたんだよ?
 性格わりいなぁ、こいつ。店にいるときには想像付かないや。
「……拓斗との生活を守るためなら、いくらでも悪になれますよ。僕は」
 見透かしたようにそんなことを言う。
「僕だけが知っていい拓斗の姿を、誰かが所持しているなんて、許せないんです」
「……別に捨てなかっただけだぜ?」
 俺は言いながら金庫を開けた。
 中から一年前のネガ等を取り出して、奴の前に置いた。
「金庫に保管してたのだって、当然の処理だ。守秘義務だと思ってな」
 マスターは早速取り出して写真とネガを確かめた。
「また随分な量撮りましたね」
 俺も久しぶりにその量をみて、ちょっと頬が赤らむ。
「……やはりいい腕だ……」
 うっとりと言われ、マジ赤面。
「……素直に喜べないなぁ」
「昨年は写真、今年はビデオ……いい記念になりました。あなたには感謝してるんですよ、これでも。けして陥れるためだけに企画したわけではありません」
 はいはい、企画だったのね?
「では、こっちにもネガを」
 マスターはにっこり笑ってネガを取り出した。
「友人の写真も混ざっていますから、御自身で確認して切り取っていただけますか? 残りは返しませんとね」
 確かにネガのショットはほとんどが渓流釣りの途中で撮られたもののようだった。
 数枚残った分を使ってマスターの依頼を片付けたらしい。
「なるほど。友人というのは県警の紫関刑事か」
「ご存じですか?」
「ああ、仕事柄。顔見知り程度だがね」
「では、念押しの口止めをしておきましょう」
「……頼む」
 ネガと写真を灰皿で燃やしながら、立ち上がるマスターを見上げた。
「じゃ、僕はこれで」
 辞去の台詞に黙って手を振る。
 そのまま出ていく彼を見送っていたのだが。
 マスターはドアを開けかけ固まった。
 女共が通せんぼでもしてるのか?
 ちょっと首を傾げてマスターの影に目を凝らす。
「な、なんで?」
 あんなに弱々しいマスターの声を初めて聞いた。
 てことは……
「向坂君か?」
「……何やってんだよっ?」
 怒り狂った声が俺の声を遮った。
「あの……」
「仕入れだって言ってたじゃないか! ここで何仕入れるってんだよっ?」
 激しい口調でわめく声は、確かに向坂のものだ。
 俺は慌てて二人をも引き込んでドアを閉めた。
 半泣きの表情で睨みあげる向坂を、オロオロと見下ろすマスターは、笑っちゃうほど情けない顔をしている。
「ここんとこ何か様子おかしいのって、こういうわけっ?」
「ち、ちがっ」
 説明したいが、詳しいことは言いたくないのが明白だった。
 そりゃそうだ。あんなテープを他人に撮らせたなんてばれたら……。
 ばしっと肉を打つ音。
 頬を押さえたのがマスターって事は、向坂が完全にぶち切れたって事で。
「藤波さんの方がいいんなら、それでいいよっもう俺ッ」
 おいおいおい〜。いいのか? そんなこと言って。
「……桂川さん、正直に言った方がいいよ。俺は誤解されたくない」
「なっ」
 俺の差し挟んだ言葉は向坂に届いたらしい。
「……どういうことっ?」
 機嫌わりいと、こんな声になるわけね?
 へへえ、マスターって、向坂の尻に完全に敷かれてたわけだ。
 俺は笑いを堪えきれずに吹き出しながら、マスターの懐に手を入れた。
 探し当てたのは一年前の写真。
「ごめんな、拓斗君。俺の仕事のターゲットだったんだ、君は」
「えっ?」
 ぎろりとマスターを睨む瞳は、マスターが依頼者だと思ったようだ。
「そうじゃなくて。君のこと好きな女の子がね、君のことを調べてくれって依頼してきてたんだよ。……去年の今頃ね」
「???」
 眉をひそめて黙ってしまった向坂に、写真を渡した。
 何が写っているのか見た途端に、向坂は茹で蛸に変身した。
「なっこれっ?」
「去年のホワイトデー。僕らの様子は藤波さんにしっかり撮影されて、君を好きだという女性に報告されていたわけだ」
「そ、それって?」
「すまん、依頼主のことは言えないんだよな。ただ、桂川さんは、この写真の存在を知って、取り返しに来たんだ」
「……なんで?」
「君を調べる仕事は終わったからね。宙に浮いたこの写真を、始末する気になってね。俺が知らせたから」
 向坂はそれを聞くと素直にマスターに謝った。
 涙ぐみながら、俺が見ているのもはばからずに口づけ。
「ごめんね、だまっててごめんね」
 謝るマスターに巧く丸め込まれ、今度こそ二人は帰っていった。
 帰り際、マスターが感謝の眼差しを贈ってきたのは言うまでもない。
 本当に、何とかは犬もくわねー、俺もくわねー。
 もう、どうとでもなれだからな。しかし、この貸しはいつか返して貰うぜ。
 バカップルの痴話喧嘩に巻き込まれ、近所の女の子達にひそひそ後ろ指差され。
 毒気抜かれ通しの俺は、事務所で風味の消えたインスタントコーヒーをすすった。
 マスターはあのビデオをどうするつもりかな。
 見つかったら、ただじゃすまねーんじゃない?
「ま、なるようになれだよな」
 二人の寄り添った後ろ姿は、妙に目に焼き付いている。
 自分でも、何で庇ったのかわかんねーや。
「……惚れてたんじゃネーぞ。断じて」
 あんなのが欲しいなぁ。俺も。
 マスターであれ、向坂であれ。あんな風に見交わせる相手が欲しい。
 その夜、俺は一升瓶を抱きしめて眠った。

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 後日。
 突然事務所に手紙が届いた。
 差出人は向坂拓斗。
 入っていたのはコーヒー券10枚綴り3シートだった。
 そえられた手紙には、礼と、食事をいつでも奢ると書いてあったが、最後の一行に笑った。
「龍樹さんの変な企画には乗らないでくださいね。お願いします」
 ……向坂も食えない野郎かも知れない。

おしまい