向坂拓斗の私的な一見解2
−カミングアウト−
「ね、あの人!」
「ぁ、ダメよ、彼は」
「え、なんでなんで?」
「だってね……」
近間にいた下級生の女子達が潜めた会話に切り替えたその先を、大体予想できる自分が悲しい。
「うっそ、ほんとー?」
「しっ、聞こえちゃう」
……聞こえてますっ。
「がっかりー。そーなのー?」
「……本物? うわー」
「初めて見たー」……かな。あの目つきだと。
本物って言い方。なんか傷つくよな。
俺、タダの人間です。
男の恋人を持ってる男の、何が本物なんだよ?
じゃあ、偽物ってなにになる?
俺は胸の内で大きく溜息をついて下級生達から離れた。
お喋りするだけなら茶店にでも行ってくれ。まったく。
大学付属図書館の、一番奥の自習机を選び、レポートの資料を積み上げた。
外界の音はシャットアウトだ。集中集中。
俺は向坂拓斗。早光大医学部の4回生。
小学校の時に病気で2年留年してるから、現役合格だけど少し年取ってる。
まあ、恋人の桂川龍樹さんは、とてもそうは見えないって言うけどね。
そりゃあ、小学校の時から2個下のに混じってるんだから、同化もするさ。
身長は178センチ、体重は最近少し増えて57キロ。やせ形だけど、筋肉は付いてるんだぜ。毎日欠かさずトレーニングしてるからね。
そういう、細身で筋肉付いてるっていう俺の容姿も、彼の好みなんだそうだ。
この恋人が問題で、俺は大学入学と同時にほとんどクラスメート全員の前でカミングアウトしたことになってしまった。
……入学式の日に。終わってからデートしようって。
超絶美形の、そこにいるだけで目立つ龍樹さんはショッキングピンクの外車で俺を待ち、俺はそこに全速力で駆け寄った。
みんなが見てる前で。
だって。何しろ、まともにつきあい始めてまだ日も浅く、初めての本格的なデートで。なんか嬉しかったんだもん。待っててくれる人がいるって、幸せだと思わない?
結局、考え無しに、俺は目立つパフォーマンスをしてしまったわけだ。
自分の責任だし、今更どうこう言う気もないが。
やはり全く知らない赤の他人に色眼鏡で見られるのは不愉快。
一回生の時は、そりゃもう胃の痛い毎日だった。男からはすかん食う。女からは興味津々の目で観察される。セクシャルなからかいは数知れず。
龍樹さんが俺より十二センチは背が高くて、程良くマッチョな格好いい男だから。
当然俺は女役だろうって、オカマ扱いされるのさ。
まあ、確かにベッドでは俺が受け容れてるんだから。
俺自身、最初はそういう立場を、女として扱われてるんだって認識があって。だからこそ、すごい抵抗あったんだよな。
俺、ホントはまだゲイだって言えない気がする。
どっちかってーと、バイ?
龍樹さんが泣いて怒るからやらないけど、女もいけるし。
(ついでにいえば、成り行き上で娘もいる)
受け容れるのだって、龍樹さんの方がテクの在庫が満載で、初めての俺は彼の思惑通りに翻弄されただけ。俺の中に打ち込まれる龍樹さんの楔は、男とやるって事を自覚させる意味を持った、心への楔だったんだな。あとでそう告白されて、驚いた。
龍樹さん、本当の本当に、俺を独占していたいらしい。
なんでそこまで執着するかね? ってくらい、どっぷり俺に惚れてるらしい。
最初はそれも計算かもって思ったんだけど、とにかく形振り構わずなので、信じざるを得なくなったんだよね。
既に二人で生活を始めて3年と半年。相変わらず彼は俺に首ったけ。
誰もが振り返る超綺麗な男が、俺にだけしっぽ振ってるの。なんだかな〜。
ま、綺麗だってのは彼の魅力のごくごく一部でしかないんだけど。
俺が一番惚れてるのは……彼の気持ちと料理だしね。
最初は食い物に釣られて、捕まっちゃったんだ。とほほ。
イヤ、後悔してないけど。
…………って、ダメじゃん、俺。
全然レポート進まないよ。まいったな〜。
場所が悪いのかなぁ。
「えっ。そんなに格好いいの? その人……」
……まだしゃべってるよ。畜生。
「だって。もうもう、ビジュアルはオッケーってかんじ?」
「うわー、じゃあ許す〜」
……どうしてみんな同じ事言うんだろ?
「ね、してるんだよね?」
「そりゃそうでしょー。花柳先輩が言ってたけど、すごいとこにもキスマーク付いてて、体育の時に目のやり場に困ったんだってー」
……花柳〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
俺は資料文献の必要なところのコピーを持ち帰ることにして、席を立った。
うわさ話の輪を蹴散らすように彼女らの間を横切り、コピーサービスに向かう。
「うわー、腰細ーい、肌キレー」
言ってろ、バカ。
小銭を放り込みながら、数冊の本からコピーを取った。
本を戻し、さっさとここから退散しよう。
それにしても花柳の奴、ろくでもないこと言いふらしてくれたなぁ。
すごいとこのキスマークって……どこよ?
久方ぶりに学校行くの嫌い病が出そう。
「さっきさかくーん」
鈴を振るような高い声の持ち主が誰か、十分判っていたんだが。
俺は不機嫌丸出しのままに振り返った。
案の定後ろに立っていたのは水野彩。クラスメートで、俺たちにくっついてるおこげ。
本人はファンだって言うけどな。似たようなモンだ。
まあ、色々世話になったこともあり、最初思ってたよりもかなりいい奴だってのは判ったので。俺の数少ない偽り無い友人てことになっている。
「誰? あの女」
なんて、井戸端組は水野の事を話題にし始めた。
水野は結構美人だ。
お嬢様って感じで、黒髪の似合うふんわり白い肌に、紅をひかなくても赤い唇。
地味だけど品の良さそうなスーツ姿で、育ちの差を見せつけてくる。
女ってのは不思議なもんで、負けたって思うと強く言えないのな。
だから、水野はその時、俺の守護天使だった。
「なんだ、水野もレポートやりに来たの?」
「うーん、まあね。良い資料あった?」
「そこの一式使えばそこそこ書けると思うぜ」
俺はコピーし終えた本の山を顎で示した。
「んもう、意地悪ね。コピーの方見せてよ」
ぐいっと俺のコピーの束を横取りする。
「ちょっと待ってて、私の分コピーするから」
「はいはい」
ひそひそ声の下級生達はまだ俺たちを見てる。
俺は学年一の情報通である水野に、ここは頼ることにした。
「水野、あいつら知ってる? さっきからうるさくて」
「あはは。向坂君ああいうの苦手だもんね。一年の子達でしょ。花柳君と一緒でゴルフ部だったんじゃないかな」
「ああ。資料エサにして今年も新入部員多いんだってな」
花柳、ゴルフ部だったんか。そんなことも知らない俺って、やっぱりちょっと浮いてる?
「疎外感感じること無いわよ。花柳君に興味なんて無いんでしょ?」
水野って、時々怖い。なんか、鋭いって言うか。悟の化け物ってこんな感じ?
「……あのね、向坂君、顔に書いてあるのよ。あなた嘘付けないタイプよね」
うっ……。
「だからマスターが惚れちゃったんだろうけどさ」
「そ、そうかな」
「多分ね」
水野って……変わってるよなぁ。龍樹さんが言うには、俺を追っかけてこの学校受験したんだって話で。
俺って、国体にでたことのある中距離陸上選手だったから。
試合見て見初めたんだそうだ。
うーん。よくわからん。
入試の時に声かけたって言うけど全く記憶にない。まあ、俺としては受験でパニックだったし。早光大はずっと本命だったけど、龍樹さんにカテキョやって貰って成績あがってからは大本命に横浜市大医学部をあてて。結局そっちは落ちたからここにいる。
もう一年浪人してがんばってもよかったけど、龍樹さんが浪人しないで頑張れって。
入学手続きしちゃってから両親と妹を事故でなくして、天涯孤独になったけど、龍樹さんが俺の家族になってくれた。学校の保証人も彼がやってくれてるんだ。
俺は子供の頃、腎臓に障害があった。たまたま適合する腎臓をくれる人が居て移植で治ったんだけど。入院や透析の経験から医学の道を目指したんだ。
俺みたいな病気の人を治せる側になりたいから。
早光大だって、お金の面以外ではとってもいい学校で。一年無駄にするより早く医者になるべきだって説得されたんだった。
結構悩んだけどね。
結局龍樹さんに甘えて生活のほとんどを彼に頼ってる状態。
そう言う意味でも俺のこだわりはまだまだ大きい。
それでも、何とかやっていけるのは、いつだって俺にすがる瞳を向けてくる恋人のおかげ。
「またまたぁ。思い出し笑いしないでよ。やらしいなぁ」
「な、別にやらしいことなんて考えてないぞっ。人の顔色読むなよ」
「だって、面白いんだもの」
こいつ……
「ほらほら、クサッてないで帰ろう?」
「帰ろうって」
「もう用無いんでしょ? 同じ帰り道なんだから。イイじゃない。ついでだからお店によって御飯食べていこっと」
俺の腕に腕を絡ませるとニッと笑った。
「彼女たち、おや?って顔してるでしょ。振り払わないでよ」
ああ、そういうことか。
この姿、龍樹さんに見られたらそれはそれでヤバいけど。
今は水野の厚意に甘えてしまおう。
「今日はおごりにしてやるよ」
「あらうれしい。でもやめとくわ。マスターに毒盛られたら堪らないもの」
「するか、そんなこと」
あはははと楽しそうに笑いながら水野は俺の腕を引いた。
「え? 何? あの女……。ちょっと、さっきの話マジなの? 彼、女平気じゃない」
ひそひそ声はしっかり聞こえてくる。
勝手に言ってろ。俺は本当にタダの人間なんだ〜!!!
「ほらほら、鼻息荒くなってるわよ。美少年が台無し!」
「誰が美少年だよっ。俺は普通だ!」
水野が目を丸くして俺を見つめた。
「何言ってるの? 美少年と普通は別問題でしょうが」
なんて言って、ハハアンと言う顔でニヤリとした。
「な、なんだよ?」
「向坂君て、コンプレックスだらけなんだ……」
「そう見えないって?」
「うーん、まあね」
「無い物ねだりなんて言うなよな。俺は俺で苦労があるんだからな」
過分な恋人を持ってるという自覚はある。
自分でも何度も頬をつねってみる程度にはね。
どうして俺なんだろう? って何度も思ったさ。
彼は言う。自分に欠けてる部分を補う存在が俺なんだって。
何処が欠けてるのかなんて、よく分からないけど。
「たとえばあたし。向坂君はどう思う?」
「どうって?」
「恵まれてる奴だって思ったりしない?」
「ああ……うーん。そうかな、そう言われるだろうなとは思うけど……」
「変な言い方」
「だって。ちがうんだろ? 水野の認識では」
だから「たとえば」なんだろうし。
「やぱ、いいなぁ」
溜息と一緒に吐き出された台詞に妙な気配を感じた。
俺に告る前の龍樹さんがよくこんな雰囲気出してたから。
腕を放し、水野が見上げてきた。
「向坂君はね。そのまんまでいいのよ。マスターにもそう言われるでしょ?」
……確かに何度か言われた。でも、今の空気を重くしたくなくて俺は違う答えを言った。
「どうだったかな……」
「ずるい答え方ね」
キラッて睨まれて、視線を逸らす。
「いいわ! どうせ突っ込んだって惚気聞かされるだけだもん」
プイッといつの間にか辿り着いていた駅の改札を先に抜けてしまった。
「早く! もうすぐ急行が来るわよ」
女王様然とする態度って、自覚あるのかな。
あいつの悩みってバックだよな。多分。
大きな会社の会長がジーさんで、社長が父親じゃなかったっけ?
医者の資格を取っても……将来は会社を背負うことになるんじゃないのかな。
「水野」
「なあに?」
「兄姉とかいる?」
「いきなりなあに? ……あ」
苦笑に笑み崩した彼女はふっと吐息を漏らした。
「残念ながら一人よ。親も一人っ子だから、お婿さんを、会社のために選ぶことになるかもね」
「でもね」と続ける水野は決意に満ちた凛とした輝きがあった。
「恋人は自分で選びたいの。自分のためだけの人を」
俺は「お前なら大丈夫」って言おうと思ってやめた。
ただ頭を撫でて放す。俺のことを気に入ってたってんなら、やたらなこと言わない方がいい。
ちょっぴりつまらなそうにピンク色の唇をすぼませ、グンとのびをした。
「さあて。今日は何食べよっかなー。向坂君は?」
「俺? そうだなぁ。今日の売れ行き聞いてから決める。ダメになりそうなのがあったらそれ食べるし」
「主婦みたいな事言うのね」
「手伝えることが少ないんでね」
「じゃ、あたしもそうしよう」
「お前は客だからダメ。自分の好きなもの注文しないと龍樹さんが気を悪くする」
「そんなもの?」
「うん。そんなもの」
駅から徒歩五分。商店街の終わり辺りに『El Loco』はある。
いつもなら裏の私用玄関から帰るんだが、水野が同伴だったので店に入った。
「いらっしゃい」
微笑みながら龍樹さんが声をかけてきた。
それは水野向けの言葉。
きらっと光った瞳は俺に「どういうこと?」と尋ねてきた。
「図書館であったから、一緒に帰ってきたのよ。レポートの資料教えて貰っちゃった」
水野が応えて龍樹さんの眉がぴりりとひくついた。
「よかったね」
「マスター、妬いてる?」
「こらこら。何言うの? 家が近くなんだ、別に不思議じゃないだろう? やだなぁ」
龍樹さんの苦笑は冷たかった。やばい。怒ってる。
水野、頼むから刺激しないでくれ。お前が怒らせた分引き受けるのは俺なんだぞ。
「おい、早くオーダーしろよ」
囁いたつもりだったのに、龍樹さんがまた睨んできた。
「拓斗君、お客様にそんな口聞いちゃダメ」
水野なんだからっていったって、周りの客とか後から入ってきた人とかの事考えれば確かにその通りで。
俺は首を竦めてカウンター内に入った。
そのまま私室部分まで行って荷物を置く。ザッと顔と手を洗い、戻ってくると龍樹さんが立っていた。
「……店、大丈夫なの?」
瞬間苦しそうに目を細めた彼は、俺の腕を取るとおもむろに口づけてきた。
舌をねじ込まれ、長々と吸いなぶられて、解放されたときには思いっきりあえいでしまった。
「な、何……いきなり……」
「今日は何があったの? 彼女と、なにが?」
「な、何にもねーよ。ただ帰ってきただけ」
「味見させて」
低い声で囁かれ、股間を掴まれて慌てる。
「だ、だめだよっ。店、店あるのに何やって……」
何とか彼を引き剥がそうとして、思わず膝蹴りが入った。
それも、かがみ込んでた龍樹さんの顔に。
「っ……つう……」
「うわっ」
やばい! 顔。あの、綺麗な顔に膝蹴り……。
痛そうに唸った後、俺を見上げた眸は少し潤んでいた。
しかも。左側の目の回りに赤黒い痣。多分あとから真っ黒く残りそうな感じの。まるで漫画だ。眼窩の形にまあるい輪の痣なんだから。
「ごめんっ」
彼の顔を手で包み痛そうな瞼に口づけると、クスッと笑って見せた彼は軽く服を叩いて整えた。
「おいたが過ぎちゃったね。ごめん。気にしないで」
「龍樹さん?」
「股間蹴りよりはずっと楽だよ」
ぶっ。そ、そう言えばそんなこともあったよな。彼に挿入されそうになって思いっきり蹴っちゃったことあったっけ。
「ワザとじゃないってわかってるから」
儚げな微笑みについ誘われて、俺はゴメンねのキスを濃厚に与えた。
ドヨッと客達の空気が波打った気がした。
龍樹さんの痣に視線が集中する。
決まり悪そうにうつむいて、彼はカウンターで仕事を始める。
「どうしたの? アレ……」
潜めた声は全てそんな感じの台詞。
でも、誰も面と向かって訊こうとしない。
俺を追いかけて行って、戻ってきたらアザ……って事は俺がやったに決まってるって事で。彼女たちは何気に俺に非難の視線をくれた。
だって……しょうがねーじゃん。事故だよ、事故。
弁解するのも変だから、俺は素知らぬ顔して給仕をする。
龍樹さんがいつも通りに素早く仕事をしてるから、俺も普通に。
「拓斗君、マスター苛めちゃいやよ」
ヒソッとささやいたのは常連のOLの中でも年が上の方の人。お局って陰で言われてる人だ。
「……苛めてませんよ」
はっきり言って、龍樹さんの態度はみんなにバレバレで。
多分俺たちの仲だってバレバレ。それでもみんな平気な顔して来てくれてるんだからいい人達だ。今日の後輩達みたいに好奇の視線を露骨に見せることもない。
「大丈夫です。ちょっとした事故です」
ならいいけど……といいながら心配そうに俺をみる。
DVだとでも?
ベッドで苛められてるのは俺の方なのになぁ。って、これも言えないけど。
「マスター、ちょっとは自信持ったら?」
水野の声は少しとがって聞こえた。
龍樹さんは、きょとんと彼女を見てる。
あー。水野は全部知ってるからなぁ。以前、龍樹さんが探偵の藤波さんに変なビデオ撮らせてたの見つけたときがらみで、水野が俺を調べさせた依頼人だったって白状させた。
龍樹さんは二週間やらせなかっただけで音を上げたんだった。
「あんまり焼き餅焼きだと嫌われちゃうわよ」
瞬間水野を刺し貫いた龍樹さんの視線はかなりヤバい感じ。
龍樹さんは俺たちの仲をはっきり知ってる奴には感情隠さないからなぁ。
水野〜〜、これ以上龍樹さんを刺激しないでくれ。
ハッと店内を見回し、一見の客が居ないことにほっとする。
「水野、声大きすぎ」
俺は単純に窘めたつもりだったけど、水野はびくっとした。龍樹さんも俺を見つめてる。
自分で考えた以上に、俺は腹を立ててたことに気づいた。
俺の、立ち入られたくない部分をえぐり返された気分だったのかも。
龍樹さんの態度に出てしまうのは許してる。彼は出来れば俺たちの仲を隠し立てなんてしたくない方だし。俺だって、日陰者みたいな気分で生きるのなんてゴメンだ。
それでも、好奇の視線の集まるこういう場で、赤の他人から暴かれるのは嬉しくない。
水野は、察しのいい方だから、俺の怒りに気づいておびえたのだった。
異様に静かになった店内で、俺は大きく息を吸い、吐き出すように声を響かせた。
「……今は仕事の時間だから。俺の大切な人を煽らないでくれよ」
龍樹さんが大きく見開いた瞳で俺を凝視した。
俺が、「大切」って言うところに力を込めて言ったからだ。
客達にも聞こえる声音で。
震えるバラ色の口元がなにか言おうとしていたけど、声にならなかった。
その代わり、彼は人前なのに泣き出した。
客の前で、初めて。
痣の付いた間抜けに見えやすい顔になってるにもかかわらず、こぼれ落ちる涙は真珠に見えたし、金色に輝く瞳はうるうるに歪んで微笑みを表そうとしていて、最高に美しかった。
「やっぱりね……」
というのは誰の口から漏れたんだろう?
そう、俺は意図的にカミングアウトしたんだ。店で。客に向かって。
とっくにバレバレだったはずだけど、やっぱり公然と認めちゃうってのは腹が決まるって言うか、すっきりする。
「仕事にはプライベート持ち込まないつもりだから」
水野に向かって言葉を継いだが、客にも聞いて欲しかった。
このあと客足が減ったら、俺の責任だけど……。
俺は俺としてじゃなきゃ生きられなくて。
今の俺は龍樹さんと寄り添っているのが嬉しくて。
その気持ちを取り繕いで隠そうとするのも悔しくて。
ゴメン、龍樹さん、龍樹さんの店なのに、俺は先走りすぎたかもしれない。
「……ちょっとならいちゃついてもいいわよ」
……クスッと笑っていったのはさっきのお局。
「マスターのああいう顔拝めるんなら、大歓迎だわ」
お局の連れが言った。
「あ、でもでもぉ。今度は痣なしの時がいいなぁ」
窓際のボックス席からおずおずとくちばしを挟んだ女子高生の台詞に何人かが笑った。
「あ、これは事故ですから。別にその……」
龍樹さんが慌てて痣に手を当てて言った。
「おいたが過ぎたときのお仕置きだからね」
俺の合いの手に、キャーッと女子高生の叫び。おいおい、何を想像した?
つい調子に乗って続けた。
「手はちゃんと消毒させてますからご安心を」
うっ。みんな黙っちゃった……言わなきゃよかった?
俺、いつも一言多い……
龍樹さんの窘め視線は、泣き腫れた後の赤い目で怖い。
「いや、だって、一応安心して貰おうかと……思って……」
「どんなときだって、消毒は当たり前でしょうが。そんな風に言うと、すごいことしてるように思われるよ」
ま、まあね。
「向坂君、顔真っ赤」
「水野、笑うな」
元はと言えばお前のせい……じゃねーや。
俺のせいだ。俺の顔が、思ってることをそのまんま出すせいだな。
「君の、そういうところが好きなんだ。だから手放せない」
えっ?
龍樹さんの声は全然潜ませてなくて。
聞いてるこっちが赤面したくなる台詞を、客達全員が聞いた。
客足落ちたら龍樹さん自身のせいだからねっ。
俺のにらみに龍樹さんは幸せそうな笑みで返してきた。
「……お客さんからお許しが出たからね」
ウィンク? おいおい。
「……マスターって、そういう人だったんだ……」
ちょっと呆れ加減でOLさんがつぶやいた。
「ええ、そうなんです。だから、なかなか自信もてなくてね。それこそ嫌われちゃいそうでしょ」
にっこり。
「てことは、これからここに来る度惚気られたりしちゃう?」
「いや、客の顔ぶれ次第でしょうね。理解のある人以外に惚気ても不快がるだけですから」
うん。そうだね。
女性だから、まだこんな反応で済んだんだ。ノンケの男がいた日には……。
紫関さんみたいな人ばかりじゃないし。紫関さんだって、龍樹さんの親友だから我慢してるだけで、時々呆れたような、イヤーな顔するし。
「じゃ……、私たちだけの特権てことね」
は?
お局様の声に俺は彼女を見た。
くすっと笑って、周りを見回す。
「皆さん、今日のことはやたらに吹聴するのやめましょうね。こちらに迷惑なお客が紛れ込むといけないから」
驚いた顔で、それでも客全員が首を縦に振った。
なんか……これって……
「親衛隊みたいね」
水野のささやきに、思わずうなずく。
「向坂君達って、結局、かなり幸せ者なんじゃない?」
うん。続けてうなずいて。ケッと舌打ちされた。
「守ってあげたいって感じ、あるよね」
女子高生が言った。
えーと。俺たちのこと?
なんか、すげー複雑な気分。
因みに、そうやって女性が優しくしてくれるほど、連れの男とかには反感もたれるんだよなぁ。
どっちかっつーと、そっとしておいて欲しいんだけど。
「とりあえず、静観が一番いいと思うけどなぁ。プライベートな問題だし」
奧のボックスから声が挙がった。
今まで黙ってた人だけど、常連。一人で二人掛けのボックスを占領して粘る近所の人。いつも何かメモしてるんだけど、ネタだとか言ってたから作家なんだろう。
「私たちはたまたま二人のプライベートを覗き見させてもらっただけ。これからもそのスタンスでいいと思うなぁ。だから、吹聴しないって言う取り決めには賛成だけど、特別なアクションはする必要なしって言うのが私の意見よ」
お局と視線がバチッとぶつかった。
仕切りたい人が二人ぶつかると、結構やばい事ってあるよね。俺ははらはらしながら二人を見守った。
でもお局様も大人だった。
「……そうね。私も賛成だわ」
「ありがとう御座います。僕らとしても、静観して頂けると助かります」
龍樹さんの言い方は、それ以上首を突っ込んで欲しくないってのが言下に響いてた。
俺たちの恋って、守らなきゃならないほど特別なのか?
ひねくれた考え方だが、そういう思いもあったから。
『ゲイは気持ち悪い』
学校で良く言われた。聞こえよがしの陰口がほとんど。
普通じゃないとか、変だとか。病気だとか。
大抵男が言うんだけどね。
女の子達は、男同士の恋愛ってだけで他人事としての意識が強くなるんだろう。
男の方は、自分に照らし合わせて考えちゃうから。
米軍の兵舎でゲイが殴り殺されたりする事件があったときのコメントもそうだった。
戦いの間塹壕で隣り合った奴が自分に対してエッチなこととか考えてたらやだって。
馬鹿じゃねーの? って思った。
ノンケだって、相手女なら誰でもその気になる訳じゃないじゃん。好みとか、あるじゃん。ゲイだって同じだってーの。誰でもその気になって仕掛けたりなんて、する分けない。
むしろ、同性だから、もっとデリケートだ。
好意の示し方、確認の仕方……などなど。
後で思い起こしてみて、俺がどんなに龍樹さんを苛めてきたかが解った。鈍感と無知っていう罪作りで、彼の想いを何度も踏みにじってしまったから。受け入れた以上は、大切にする。卑屈になんて絶対ならないって心に誓った。
俺が愛した人は性別一緒だけど、誰にも替えられない存在なんだ。認めるとか認めないとかそんなんどうでもいい。俺たちは存在する。同じ人間として。
大学でも、苛めにあってもとんがり続けた。俺は俺でいる。それだけのことを主張し続けてたら、廻りもあきらめた。
と言うか、慣れちゃうもんなんだ。気持ち悪いって攻撃してきてた先鋒の奴だって、必要があれば俺にも声かける。
助け合いだそうだ。レポートや課題をやっつけるのに、俺が必要だって事。
最初はふざけんなって突っぱねたが、腰低くしてわび入れてきたからとりあえず無視はしない。
自分と違う嗜好を持つ人を完全に理解なんて、出来る分けないって分かってるつもりだし。理解できないことで苛める感覚は憎いけど、割り引いてやろうってね。
まあ、そんな風に心を強くしていられたのも龍樹さんや水野とかがいて、店があったからで。
人は誰でも本当の一人じゃ生きるの辛いはず。
少しずつでもつながりあって心を渡しあえればいいって思う。
想いも理解も千差万別だけど、この優しい客達には感謝だ。
「龍樹さん、コーヒー煎れてよ。お客さん達に俺のおごり」
龍樹さんはにっこり笑って、俺用のトラジャとマンデリンの三:七を煎れ始めた。
全員に振る舞い、丁寧に頭を下げる。
この人達にも暖かい場所があり続けますように。俺たちがもらった優しさを返せますように。祈りを込めて。
水野の前にもコーヒーを置く。
「あたしにも?」
「もちろんだ。いい男見つけろよな。それも、会社継げるかもな男な」
水野はバーカとつぶやいて、それから微笑んだ。
「極上のを見つけるわよ。自力でね」
それでこそ水野だ。
二人で微笑みあったけど、今度は龍樹さんは怒らなかった。
店を閉めて、片づけを終えたら十時を過ぎていた。夕飯は店のまかない。
水野と、その時居合わせた客達が帰った後、別の客層が飲み食いしてったので、残り物は僅かだった。
客に出せない切り落とし部分の肉とか野菜とか、そういうの使って何品か龍樹さんが作ってくれた夕食を一人で食べて、龍樹さんはと言えば仕事の合間に立ったまま食事。
「……お疲れさま」
ぐったり疲れてソファに沈み込んだ龍樹さんにビールの缶を差し出すと、彼は俺の手の方を握って引っ張った。
そのまま倒れ込むように彼の膝にのり、口づけを受ける。
「な、なに?」
「疲れすぎて、拓斗君欠乏症……」
囁きながらまさぐって来て焦る。
「あの、まだシャワーしてないから……」
「おあいこ」
うわ。いきなり後ろに指…?
ズボン越しにぐりぐりやられてあわてた。
「だめだよ、まだ綺麗にしてないもの」
「綺麗だよ。君は充分綺麗だ。初めての時だって……そのままでしたじゃない」
「あ、あのときは……何がなんだか……あっんんっ」
前や後ろを俺の抗いを避けるようにして弄りだしてしまった龍樹さんは、止められないくらいに熱くなってしまっていて……。そんな彼が、どんな風に俺を扱うか、もう充分心得てる俺としては、その快楽への誘惑を退けるのがかなり難しく……。
体が熱くなるのを止められない。息苦しいくらいに、彼が欲しい。
「……可愛い……君、自分がどんなにそそる態度してるか気づいてる?」
「し……しらな……」
感じてるねと囁きながらの口づけは容赦なく喉の奥まで舌を忍ばせる濃厚なもの。
欲しいけど……ここじゃやだった。
「べ、ベッド……がいい。ここじゃやだ……」
「繋がったままじゃなきゃ上に行きたくない」
断固わがまま押し通すぞって言う声音に俺は観念した。
だって。繋がったままって。俺に入れたまま階段上がるって事で。
今日の俺はやばいんだ。途中で出しちまったら、掃除が………………
ああ。このソファだってまずいんだけど……
「嬉しかったんだ……今日の君のことばが嬉しくて……僕、どうにかなってしまうよ」
なってるだろう? すでに。
俺の体中に舌を這わせながら押しつけてきた怒張を盗み見て、タマが縮むかと思った。
だって。でかいんだもん。前からすげーと思ってたけど、今日のは特に。……久しぶりに、絶体絶命な感じ。アレをズドンとやられたら、俺……即昇天だよ。
「龍樹さんの涙……みんなに見られちゃったね。俺だけのものにしておきたかったのに……」
ちょっと拗ねて見せて、彼の瞼にキスを与えた。うっとりと俺のキスを受ける龍樹さんの顔は、まだ痣がくっきりしてたけど可愛かった。
俺の一言でこの人は変わる。どんどん変わっていく。くるくると表情を変えて、俺に反応してくれる。その手応えが快感なんだ。一人じゃいられないって言う想いはそういうところから来るんだろうと思う。
俺が呼びかけて、彼が応えて。俺と向き合ってくれる彼は、俺の……一部。
彼との出会いで俺も半端な欠片になってしまった。
一人でいられたのはずっと前のこと。龍樹さんがいないと俺は………………。
「おかしいね。昔は一人でも平気だったのに。今の俺は半人前だ」
「……二人で一つ?」
嬉しそうに龍樹さんが言葉を継いだ。
こつんと額をぶつけて彼の鼻先を咬んだ。
「うっ」
「もう、涙見せちゃダメだよ? 俺以外に」
「うん……」
「早く、一つになろ」
口づけしながら、手探りでゴムを探した。
彼の怒張にしっかりとはめ込み、上からなめあげる。喉まで突っ込み彼の腰が揺れるのを汐に自分の秘部にも唾液をぬった。
ゆっくりと彼に覆い被さる。堅く屹立したそこを自分からあてがい、身体を沈め……
「あ……あ……い、いいっ」
彼の先っぽをくわえ込んだところでひくついてしまった。きゅっと彼の雁を締め付け呑み込む。もう一度、力を抜いて、一気に沈めてみた。
ズリッと中に入ってくる。
「ううっ拓斗……くんっ」
龍樹さんの唸るような嬌声に俺の勃起がさらに高まった。長く優雅な指先が絡まってきて俺も息を詰めた。
途端に彼の大きさを意識する。小さく腰を揺らして張りつめたそれを楽しんだ。
ああ……なんて……すごい質量だろう。それが俺を押し広げ、中から愛撫してくれる。熱いどきどきが、俺のと重なる。
本当は生で味わいたかったけど、今日はダメ。中出しされたら俺の方が続かないから。
「大切に、するから。いっぱいしようね」
「大切……? 僕を? ここを?」
グリッと俺の中の龍樹さんが動いた。
「あんっ! ばか……全部だよ。龍樹さん全部……」
「よかった……」
微笑みあい、口づけあい、指先まで絡み合って、彼のぬくもりを確かめる。
飽きが来るなんて思えない。それくらい、好き。
あと何年こうしていられるかは分からないけれど。
いずれ落ち着いて、身体の交わりなんて必要なくなるときがやってきても、一緒にいられる。
きっと。
「龍樹さんは、本当の特別だよ。換えが利かないから、ずっとずっと大切にしたいんだ」
「僕も……」
感極まった金色の瞳が真剣に俺を見つめてきた。
相変わらずだね。
凄く、凄く綺麗な俺の宝物。
俺はそっと彼の目元を指先でなぞった。
その指先をとらえて彼が口づける。
そんなふわっとした儚い温もりさえ切ない気分にさせる。
やっぱり俺は幸せ者だ。
怖いくらいに。
動き出した龍樹さんに揺さぶられながら考えた。
これからは、とんがるだけじゃない、ありがとうを言おうって。
全てに感謝。
俺たちを存在させてくれて……ありがとう。
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