眸はいつもブルー・第1回

 パパラッチ……。
 そんな単語が日本のメディアを縦横無尽に走ったのは過去のこと。
 某国の元皇太子妃が死んだあの事件。急だった分、浸透も早かったが、今は死語だ。
 俺、蜂谷真之介は、言うなればパパラッチである。まあ、日本では以前からFFとか呼び名があるんだが。他人様の(有名人に限るが)秘め事を証拠写真に撮るのが仕事だ。
 大きなお世話の下ネタから、犯罪に近いものまで。買ってくれる雑誌が喜ぶネタなら何でも。
 人の秘密を暴いて金にすること。それは好奇心を満たすための刺激を欲しがっている者には歓迎され、暴かれる本人にはかなり恨まれるものだ。
「ハチ、来るぞ」
 酒と煙草でつぶれたうなり声のようなだみ声に、俺は車のシートの中で身体を硬くした。
「ウスッ」
 俺はカメラを構えてフラッシュを確認した。
 相棒の安さんは芸能レポーター崩れ。なんていうと本人はムッとしたように煙草を口に持っていく回数が増える。
 俺と安さんが狙っているのは、あるアイドル歌手と若手政治家の密会写真。
 場所は横浜のインターコンチネンタルホテルの従業員専用出入り口。地下駐車場の車の中からピントを合わせて狙う。通路で繋がるパシフィコ横浜を会場に、ターゲットのアイドル歌手のコンサートがあった。政治家はそのコンサート中にホテル入り。
 密会は歌手の遅い夕食と打ち上げを兼ねてしっぽりと……六、七時間とみた。……安さんの予測だけど。
 どちらも知名度が高く、クリーンなイメージを保っているだけに、このスクープが上手くいけば大打撃を受けるだろう。
 職業は恋愛に関係ない。年齢的にも別に未成年をどうにかするってものでもないし。
 ただ問題は。アイドル歌手も政治家も、男だって事で。
 安さんがかぎつけてきたこの話を初めて聞いたとき。
 えげつねー、なんて思った。
 俺はどっちの顔も知ってる。当然だが。
 アイドル歌手は美少年て言うにはごついタイプ。背も高ければジムやってそうな筋肉質で、ハンサムっていう表現が正解。
 政治家は、お偉いさんの秘書上がりで、嫁さんがいかにもなお偉いさんの娘。
 若手でやり手って有名だけど、件のアイドルより七つ年上で、背は……まあ、頭半分くらい低め。やっぱり整った顔してるけど、頭いいんだなっていう感じの印象の方が強い。他の代議士連中と並んでると細身の長身で、颯爽と歩くから押し出しよく見える。
 だが例のアイドルと並べたら……。
「何だかな……」
「何が……?」
「二人ともハンサムだけど、絡みっての考えるとなぁ……」
「そうか? 芝山代議士を可愛がる高田翔……。巷の女の子達は喜ぶと思うけど……」
「っ……ちょっと待って、安さん、何言って……可愛がるって……まさか……???」
「カマ掘られてるの、代議士先生の方だよ。あの人の眼鏡取った顔、見たことあるかい?」
「……いや……」
「じゃ、今日みれるぞ。意外にかわえーんだな、これが」
 いいっす。別に見れなくても。可愛い代議士なんて気色悪いっす。
「ハチ!」
 こんな仕事早く終わってくれ! なんて胸の内でぶつくさ言ってたら、安さんが俺をつついた。
 ターゲットが出て来た。その日は何もかもが秘密の日で、お互いお付きの人間が全て排除されてる。事務所の人間にも内緒の関係なんだろう。安さんがどっから嗅ぎつけてくるのか、俺には全く分からない。
 安心しきったように高田翔にもたれて肩を抱かれた代議士先生。
 甘く上気した頬は、今やってきましたってな熱さを語ってて。ラフな服に着替えて、髪も降ろした彼は確かに……可愛い。
 高田の方はそんな先生をうっとりと見つめてる。ベタ惚れだって顔中に書いてある。
 ふと先生が高田を見上げた。高田も名残惜しそうに見下ろして見つめ合った。
 ゆっくり唇が近づいていって。熱く貪り始めた。
 従業員専用のガラス扉の向こうで、逢瀬の最後を飾る別れのキス。
 俺の望遠は正確なピント合わせで、それをとらえている。連続でシャッターを切った。
 二人がフラッシュに驚いて、慌てて唇をもぎ離す瞬間の銀の糸まで……フィルムに収めることが出来たかもしれない。
「安さん! 出して!」
 高田が突進してくるのを見てあわてて車をスタートさせた。
 タイヤの摩擦音が、悲鳴のように聞こえる。それは、高田と芝山代議士の悲鳴にも思えた。
 螺旋を描くように車は外に向かって登っていく。
 俺は、サイドミラーで見た高田の最後の表情に引っかかっていた。
 勝手に写真を撮られた怒りが全面に出ていたけれど……、それだけじゃない。
「……この写真、表に出たら、あの二人は引き裂かれるのかな……」
「まあな。ただじゃすまんな。特に芝山代議士は……。妻帯者だしねぇ。ホモなんてぇのは、ただそこにいるだけで鼻つまみだったりするからネェ。政治家には致命的だよなぁ」
「高田は……?」
「アイドルはねぇ。売り方変えればいいんだし。大変は大変だけど、ま、比較にならんな。……なんだい、仏心が出たか?」
「……なんかね、あの二人、マジっぽくて……可哀想かなって……」
 高田の表情は芝山代議士のためだったんだ。ほんとに、ベタ惚れで……だから。
「おいおいおい、よせよ……。一々同情してたら、おまんま食い上げだぜい」
 安さんが横目で睨んだ瞬間、ドンって衝撃が走った。
 駐車場の出庫待ちにあわせて、徐行していたから、そんな強い衝撃ではなかったが。
「ヤベッ! ハチ、ちょっと前見てくれ」
「ええ? 高田が追いついちまうよぉ」
 ぶつぶつ言いながら障害物を確かめに外に出た。もし人だったら、いや、動物にしてももう一度轢き直しなんて寝覚め悪いからな。
「おいっ! なんだった? 猫か? 犬か?」
 安さんの声が遠くに感じた。
 俺はそれを見た途端足がすくんでたんだ。
 それは……。
「……天使?」
 緑に輝く漆黒の巻き毛。むきたての白桃のような瑞々しい白い肌。ほんのり紅をさして、柔らかく目を閉じて横たわっている。
「おいっ! ハチ! おいっ?」
 安さんの声にハッとして天使を抱き上げた。
 見た目以上に軽い。細身で、端整な顔立ちは宗教画に描かれている天使そのもの。
「安さん、人! 人轢いて……」
 振り返った先に安さんのブルドッグ顔はなかった。あったのは……。
「っ! 高田っ!」
 高田翔のニヒルだと人気の笑顔が寒々しいほど冷たい空気をまとって俺を覗き込んでた。
「ハチ! カメラ!」
 安さんのだみ声に反応して俺は肩に掛けていたカメラを安さんに渡そうとしたが。
 両手は天使でふさがっている。
 相当に間抜けな俺は、高田の一番欲しい物のあり場所を目線で教えてしまい、次の瞬間高田の拳が視界を遮った。
 溶暗していく中で、車の走り去る音が遠くなっていくのを感じながら……俺は気を失った。


 なんともすっきりしない目覚めを迎えた俺は、知らないベッドに横たわっていた。
 ほんのりちらつく蝋燭の光と分厚いカーテンのせいで、薄闇は時間を超越したものになっている。
 ぼやけた光を頼りに見回してみれば、その部屋はなんとも贅沢な作りだった。まず天井が高い。今時誰もやりたがらない石膏細工の装飾を施した漆喰の天井に、古くけぶって黒ずんだ光沢を持つマホガニーの鴨居。
 フランス窓によくあるビロードのカーテン飾り。デスクもキャビネットも、ベッドも、全てが高価なアンティーク。
 そう、言うなればお城の一室。それも、客に見栄を張るために見せる方の部屋だ。
「お目覚めですか?」
 燭台が近づいてきて言った。
 近間になって燭台を持った爺が言ったんだって分かった。
「あんた誰?」
「柳沢ともうします。蓮様からお世話を申しつかりました」
「蓮? しらねーな」
 そんな知り合いは金持ちにも貧乏人にもいない。
「俺はインターコンチの駐車場で高田に殴られたはずなんだけど……」
 言って顔の、奴の拳の入ったあたりを触れてみれば、やっぱり痛かった。
「高田様がこちらまであなた様を運ばれました」
「高田が?」
「蓮様がお願いしたんでしょうね」
「だから、その蓮って奴を俺はしらねーんだよ」
「駐車場で出会われたと聞いておりますが。はて」
 はてと言いながら、バックレてるだけなのが分かる、人を小馬鹿にした態度に俺はむかついた。
 柳沢の爺は嫌みな奴。
 それが俺の奴に対する第一印象になった。
 奴が提供したヒントによれば、あそこにいた中で蓮なんて名が当てはまるのはあの天使しかいない。
「蓮って、天使みたいな美少年か?」
「はあ。そうですね、確かにそんな表現がお似合いになる方です」
「相棒の車にぶつかった奴だぜ。あいつこそ大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないからこそ来ていただきました」
「俺の相棒は?」
「存じません」
 高田にでも訊かない限り分からんかもしれん。遠ざかる車の音が耳に残っているから、安さんは俺を置いて逃げたってこった。
「あの糞爺いっ」
「ところで」
 俺の呪詛を遮るように、柳沢がコトンと燭台をサイドテーブルに起きながら言った。
「あなた様をなんとお呼びしましょうか?」
「……ああ……ハチでいい、蜂谷真之介てんだがね」
「ではハチ様、お着替えになって、一階のサロンへお越し下さい。蓮様がお会いになられます」
「へーへー」
 大仰なこった。蓮って奴が何様だか知らんが。
 まだ頭がクラクラしていたせいもあるが、俺は目測を誤ってベッドから転げ落ちた。
 天蓋付きのベッドは、やけに高さがあったんだ。
「ハチ様、大丈夫でございますか?」
「様はよけいだ。それより、俺のカメラは……?」
「ああ……。残念ながら。一緒にお持ち帰りになったカメラなら、再起不能のようでしたが」
 オーマイガッ!!!
 俺は手にしていたシャツを床にたたきつけた。
「それに関しましては、蓮様にお考えがあるようですので。どうか、大人しくサロンまでお越し願えませんか?」
「弁償するとでも?」
「存じません」
 以後問答無用というかたくなさを響かせて、柳沢は背を向けた。
「……こちらへ」
 とりあえず、シャツを羽織る。
 一緒に置いてあったチノパンは、肌触りがよかった。部屋に見合う品物の良さって事か?
 パンツに足を通しながら考えた。
 あの天使、大丈夫じゃないってどういう事だろう?
 本当に大丈夫じゃなかったら、俺のことかまってる余裕はないはずだからな。
 むくむくと好奇心がわき上がる。
 そこで俺はおとなしくついていくことにしたんだ。
 使用人相手に交渉しても始まらないし、俺のカメラの復活のためにも直談判だ。
 長く暗い廊下は全てが磨き抜かれた鏡面仕上げのマホガニー。ウグイス張りのようないい音のきしみが、俺のドキドキを煽った。
 きいっと柳沢があけて見せた部屋。
 沢山のろうそくが揺らめいて、黄金色に部屋を照らしてた。
 大きな一人がけのソファに、王様のように座った天使は、小さな体のくせに大きく見えた。
 黒髪も白い肌も輝いてる。
 瞳をあけたその表情は初めて見る。
 灰緑の透き通った瞳が、俺を真正面から見据えてきた。
 熟れたサクランボのようなぷっくりした唇が、半開きになって何か俺に言った。
 俺は、やはりこの世の者ではないものと会っているのだと思った。





素材提供:トリスの市場