ロスト・パラダイス
アダムは蛇を恨んだだろうか。
鏡の中の自分と向き合って。
お前は何時だって何にも見ちゃいなかった。
自分以外の何ものも……。
その瞳に映る様々なもの、ほとんどがお前の心には触れることもなく消えていく。
俺もそんな中の一つ。
お前にとっての俺……。多分便利な道具に過ぎないんだろう。
そう、ただの道具。俺がどんな目でお前を見つめようと、お前は俺を道具扱いだ。
俺に気を使うのは、換えのきかない、手に入りにくい道具だから。
お前は俺の声には応えない。言葉に反応はしても……。
俺の渇きはどうやったって癒しては貰えないんだろうな。どんなに俺が望んでも、欲しがっても……。
お前は俺にくれる気はないんだろう。俺の一番欲しいものを。
だから俺は呟く。心の中で……。
堕ちてしまえ。
呪いの言葉ではない。俺の側に来て欲しいだけ。
ただそれだけ……。
いつからだろう。
いや、最初から……。
お前は無垢な瞳で俺を誘った。
そう、最初から。
氷のような冷たい視線をにわかに切り替えて……。何の疑問も持たずに、何の確証も無しに。
手放しに俺を信じた。
俺の気まぐれな一言だけを寄りしろにして……。
俺が妖怪だという、ただそれだけで襲いかかったお前が……。
「忍……。見終わったのか? 黒の章……」
俺は道具だから、お前が望めば何でもしてやる。お前の足下が崩れていくと分かっていてもね。
今のお前が、このくだらないビデオを見ればどうなるか、重々承知していたさ。
だけど、だから。
堕ちていくお前を見るのは悲しくて嬉しい。
ああ、見るからにお前、弱々しくて……そそるよ。
「……あ……」
震える肩。焦点の合わないおぼつかなげな瞳。わななく唇が扇情的だ。
「三流ポルノみたいなビデオだったな。つまらんビデオだ……」
まさしく、ポルノ。ほら、俺はもう、お前が欲しくてたまらなくなっている。
怒りと絶望、悲哀。
負の感情の固まりになってさえ、お前は清らかだ。
「……き……た……な……っ! こ……んな……の…………」
「嘘だと思うか? 作り物だと……」
後ろから抱き締めても、耳元に息がかかっても、お前は気づいて無いみたいに。身体の戦慄だけが俺を感じてるって教えてくれる。
「嘘……に……決まって……。ちが……」
堕ちてこい。
俺のところに。
「それこそ嘘だな。ホントだって、お前が一番よく知ってるんだから……」
俺の一言々々に反応し、お前の堅牢な殻は薄くささくれ、欠け落ちていく。お前が、実はとても脆弱だと言うことは……そうだな、初めて会ったときに分かってた。
「お前は人間だから……」
ああ、あのポルノのおかげで、こんなに生身の忍が俺の手の中に降ってきた。
わななく唇を捉えても、舌を入れても、お前は心此処に在らずって感じで……。だけど、身体はぴくぴくと反応して……。
素敵だよ、忍。
お前の素肌。なめらかで、俺の手に吸い付いてくるようだよ。こんなシャツもジーンズも、今はただ邪魔なだけ。
「や……っ」
抗うなら、もっと力を込めろよ。いつものように。頬を染めて、俺の動きに敏感に反応して息を荒げるなんて、欲しがってるようにしか見えないよ。
ああ、分かってるさ。お前が本当に嫌がってるのは。こんな事をする俺よりも、不快に感じることの出来ない自分が嫌なんだよな。
俺は、そんなお前だからこそ欲しいんだ。
「忍……。誰だって、胸の奥に闇を抱えてる。お前のここにも……」
きゅっと締まって起ち上がった乳首。俺を殺せるのも忘れるほどショックだったかい?
「人間の向上心は欲求から生まれる。良い暮らしがしたい、良い物を喰いたい、他人より上に立ちたい……。欲望がね、エネルギー源なんだ。だから……、当たり前なんだよ。人間なら……」
ああ、身体は正直だね。刺激をもっとむさぼりたいって雄々しく勃ち上がったお前は、その細身に似合わないほど立派じゃないか。
熱く燃えたって、俺の手の中で脈打つお前。俺の指は、気持ちいいかい?
「お……俺……。っ……! あ……はぁ……」
「こうして、刺激を与えれば……。好むと好まざるとに関わらず欲望が反応してしまう……。なあ、人間てのは、底知れない闇を持ってるもんだな……。どうだ? これ……」
ああ、ほんとに可愛いな、お前。俺の口の中に放つなんて本当に不本意なんだろうね。
だからこそ。
「! 何してんだよっ、樹! やめっ……。んっ……! あ……あぁ……んん」
堪えようと耐えるお前だから……、よけいに俺は燃えてしまう。
「ほんとに嫌なら、全力で俺を倒せ。俺は止める気ないからね……。忍……俺は、お前が好きなんだ。お前が欲しいんだよ」
俺の唇、俺の舌。お前を愉悦で震わせるために存在している。
お前の喘ぎ、すごく官能的だぜ。
「あ……んっ……樹……! お……願い……だから……」
ナルを出したくても、今のお前には出来ない。そうだろう?
お前の男の部分が全面に出ている今……、ナルは出て来たくても、無理なんだ……。
そうして、話題は場違いな人間論議。お前の崩れそうな自我を繋ぎ止めておくために……。
「人間て……、もうこれ以上は望めないって所まで来ちまうと、後は周りを貶めるくらいしかないしな……自分勝手にとことんなれるんだよな。……イイだろう? これ……」
ああ、指が入るようになったね。息を詰めながら俺の指を締め付けるお前。そうだな、屈辱かもな。俺の指になぶられてイくなんて。でも、初めての感覚だろう?
認めたくない快感でも、お前は浸り始めてる。もう少しだ。もう少しで……。
その前に、お前を……。ナルが出てこないうちにね。
それにしたって、この感じ方……。イイよ、忍。素敵だ……。
「忍……、どうだい? 欲しくなった? 少しは……」
「や……っ……んっ」
「身体の刺激に支配されて行動するってのは、人間だけじゃないよ。生き物みんな……、そうやって素直に生きてる。人間はそれを抑える理性があるから人間なんだって言うけどさ」
ああ、俺もそろそろ限界かな。お前が欲しくて、たまらない。お前の中に入ること。それが今の俺の全て。
「はあああっっ、やめ……っ、樹ぃ…………!」
「ただ素直に生きられないだけなんだよ。だから歪んだ行動に出ちまうんだ。刺激を欲しがることでは一番貪欲で、一番あられもないくせにさ……。忍、俺はお前を愛してるよ。お前の人間の部分だけでもいい。俺を受け入れて……」
身体の痺れがきているね。感覚が、甘く痺れているんだろう?
「あうっ!」
「んっ……、くっ……、んくっ!」
……、痛かったかい? ああ、お前の中……。柔らかく、熱く、俺の侵入を拒むように押し返しながら飲み込んでいく。
「あっっ! あっ、ああっ」
「忍っ、忍! 素敵だよ、忍……! っ……!」
俺の動きに併せて腰を揺らすなんて……。忍、お前って本当に素直な奴だ。動きの喚んだ快感に驚いた?
滲んだ涙、辛いね。
でも、ほら、放つときの気分、最高だろう?
「本能はね、裏切れないよ。お前は人間だ。どこまでも、どうなっても……」
「に……ん……げん……?」
そうだ、矛盾を抱えた、素敵な生き物だよ。
「俺……」
おぼつかなげな声だね。俺を感じて甘く痺れてるんだろう?
「忍、忘れるって事、人間の特質なんだぜ。そうやって、良いこと悪いこと、均衡保ってるんだ。我を忘れて、ね。……こういうの、悪くないだろう? もう一度……してやろうか?」
そうさ、まだ俺はお前から出ていく気はない。一度じゃ、満足出来る訳無い。俺がどんなにお前をこうしたかったか……。俺が抜き出す度に喘ぎ、挿入する度に小さく叫ぶお前。そうさ、二度目はもっと幸せな気分になれる。そうしてお前の身体を変質させてみせるよ。
俺を欲しくなるようにね……。
「忍、痛い? 感じる?」
「あ……んっ、く……っっ」
「忍、声出して……。我慢しないで。俺を感じてる忍の声、聴きたいよ……」
そうだな、忍のそんな声を聴いたら、俺のほうがイきそうだ。
俺達の鼓動と喘ぎ……、シンクロしてピッチをあげていく。忍の腰の動き、初心者とは思えない。素敵だよ忍。
「はぁっ、ぁあああぁっ……い……樹っ! 樹ぃっ…………!!!」
俺の背中を走る痛みはお前の爪痕。お前が浸っている証拠。だから痛みだって快感になる。
「忍っ、し……のぶぅっ!」
一緒にイくなんてね……。すごく心地良い。
ぐったりと力の抜けた俺達の重なる肌が、じっとり貼り付いて、だけどそれが嬉しくて……。
「忍……、素敵だったよ。俺も……、悪くないだろう?」
「……っかやろ……。んくっ…………!」
喘ぎながら言われたって、また欲しくなるだけなんだよ。
「もう一度……、いいだろ?」
頭を振りながら、それでも感じちまえばお前の身体、俺に反応してる。
「貪欲だよな、ほんと、人間てさ、ままならないんだよ。お前の身体……、感じやすい。……うれしいよ。お前が人間で良かった……」
「い……いい加減にしろ……。あっあぁ…………っ、はぁぁぁぁぁぁっっ。んっ、んっ!」
「忍、俺、ずっとお前の側にいるから……。俺を見て、俺を感じて!」
俺の撃ち出す気持ちを飲み込んで!
「はぁっ、はぁっ、あっああっ! っ…………………………」
「忍?」
ああ、気を失っちまった……。悶絶って奴か?
「忍、忍!」
揺すったって起きないな。
お前の頬の涙の痕、ちょっと胸が痛むよ。やり過ぎだったよな。
どうか忍、何もかも忘れてくれ。ドロドロに疲れた身体が与える眠りを貪って。……自分を立て直して欲しい。
そして、弱ったお前につけ込んだ、この俺を許してくれ。
いや、許してくれなくたっていいな。
お前さえ俺を見てくれれば。生きてさえいてくれれば……。俺を憎んだっていいよ。
人間の持つ矛盾や混沌にどうか気づいてくれ。あんなポルノでは描ききれない複雑な生き物に生まれた自分てものに……。
俺を惹きつけたお前っていう存在に……。
手に入れたはずだった。
絡め取って烙印を押して。……なのに俺は渇いている。
お前が天使のままなせい。
どんな目に遭ったって、どんなことをした後だって、眠るお前は天使のようだ。
忍……、愛してる。
お前が、どんなつもりで俺を見ようと、俺はお前を愛し続けるよ。俺なりにね。
鏡の中のお前には用はない。生身の、人間のお前が欲しいんだ。
だから。
壊れてしまえ。
俺の腕の中から抜け出ていかないように。
………………。
ああ、俺の中にも鏡の中の自分がいるな。
健やかにいて欲しいと願いながら壊れてしまえと呪う。だけど、どっちも本当の俺。
渇ききった、道具だから。お前だけの道具だから……。
それも愛だと、お前は信じてくれるだろうか……?
身勝手だけれど、愛だと……。
エデンを追われた二人にとっての不幸は、エデンという環境をはじめに与えられてしまったこと。
楽園なんてものは、自分で創り上げるものなのだ。与えられたものは何時か色褪せ、蛇が現れる。
蛇を恨んでも仕方がない。
自ら勝ち得たものでなければ本当の自分の居場所になりはしないのだから。
おしまい