俺の王子さま
赤井ゆり子
「あなたこそ、僕が夢に描いていた人です」
端正に整った、やさしげなマスク。育ちが良さそうで、清潔そうな身だしなみ。さらさらの髪。
「彼」は微笑みながら俺に、細く長い指を差し出して、握手を求めてきた。
ああ。なんてことだ。「彼」も俺と同じ気持ちでいてくれたなんて。
俺は内心躍り上がりそうなほど感激していたが、かろうじてその気持ちを抑えながら、彼の手をぎゅっと掴む。
「では、いざ」
彼が俺の腕を取って示した先に、唐突に天蓋つきのベッドがあった。ベッドカバーが薄い桜色のシルクで、たっぷりとドレープがとられている。
気がつくと、彼に服を脱がされ始めている俺がいた。彼はいきなり俺のズボンのベルトに手を掛けてくる。
「いや、その、ちょっと待ってくれ……」
俺は戸惑いながら、ベルトのあたりを押さえて、彼の手をやんわりと拒んだ。
いやなわけじゃなかった。彼のことが好きだ。だから、彼にそういうことをされてもいい、という気持ちはある。
だけど、俺、初めてだし。
キ……キスもまだしてないのに。
この展開って、速すぎて。
ふつう、もっと、その。首筋に唇を押し付けてくるとか。耳たぶに息を吹きかけるとか。乳首をいじってくるとか。
そういうことをいっぱいやって、とろんと気持ち良くなったところで、やっぱり下半身にいってほしいような。
「いやなの……?」
彼は拗ねたような表情を俺に向けてくる。
長い睫。柔らかそうな唇。上品そうな愛らしい顔立ち。
ああ、どうしよう。彼はまさしく、俺が思い描いていたとおりの理想の「王子さま」で。そんな彼が望むなら、たとえ俺の下半身だけが目当てでも、許さなくちゃいけないような気分になってくる。
「いや……じゃないけど……」
俺は赤くなりながら、かろうじてそう返事をする。
俺が抵抗するのをやめたのを見計らったように、彼は手を素早く動かして俺の前をくつろげ、するりと指を下着の中に入れてきた。
俺はぴくんと全身で反応してしまう。
俺の前のその部分は、いつの間にか熱く硬くなっていて。でも彼の手はそこには触れないまま、バックの方へと伸びてくる。
「脚。もう少し開いてごらん」
彼が俺の耳元にささやいた。
さっき、俺と握手した、あの細くてきれいな指が、俺の入口に触れる。俺はびくっと身をすくませる。
彼の指は、いつのまにかローションでしっとりと濡れていて、その指が俺のその部分を、円を描くようにゆっくりとほぐしていく。
そうして……細い指が、一本、俺の中につぷっ……と入ってくるのがわかった。
ああっ。
指が、俺の内側の襞をゆっくりと進んでいくのがわかる。
もう少し奥の……。そこ……っ。そう、その部分がたぶん……すごく……イイんだ……。
彼の指が、俺のその内側の部分をつついてくる。
ああ、もっと。
俺が深く息を吐いたとたんに、指が引き抜かれていった。
「じゃ、しようね」
と彼が俺の間近で微笑んだ。
俺はいつのまにか下半身、全部脱がされていて。大きく脚を開かされて、恥ずかしいほどにその部分を彼の目の前にさらしていた。
熱い、硬いものが、俺の入口にあてがわれる感触がする。
「ああっ。……森村、そんな、いきなり……」
俺は思わずそう呟いて。
……そうして、目を覚ました。
俺は自分の布団の中に一人でいることを認識して、何度か瞬きをする。次にかあっと全身が熱くなるのがわかった。
なんだ。……なんだ。
夢だったのか。
俺はため息をつく。
彼の指が入ってきたのも、つつかれたのも、全部、夢か。
あんなにリアルだったのに。
そうだよな。俺はまだ森村に自分の気持ちを告白もしてないのに。そんなに急に、あんな展開になるわけは、ないんだよな。
というか、厳密に言うと、一度会って話をしたことがあるだけ……なのだが。
身体の熱が収まっていなくて、俺は結局下着をずり下げ、そそり立ったその部分を自分の掌で包む。ゆっくりと上下に動かしながら、夢の中で微笑んでいた森村の顔を思い描いた。森村の、あの細く長い指が、俺のここを掴んで、しごいてくれる構図を考える。
「ああっ……森村っ……!」
俺はあっというまにのぼりつめ、手の中に放出する。
――俺って、ひょっとして最低なことしてるか。
ティッシュであと始末をしながら、俺は少しため息をついた。
本当はこれだけじゃ満たされない。俺のバックにそのテの道具を挿れて、俺の内部を刺激したくてたまらない、そわそわした感覚が、まだ少し残っている。
だけど、もう朝だし。学校へ行く時間だ。
俺はのそのそと起き上がると、壁に掛かっている大きな鏡をみつめた。本来、剣道の竹刀を振るときに、自分のフォームを見るために設置した、姿見。
そこには、身長187、がっちりした肩幅の、俺の身体が映っていた。短めに刈り上げられた、硬めの毛質の髪に、やや冷たいようなきつい目つき。剣道部で鍛え上げてしまった、筋肉質の身体。
これが、俺、蓮見徹だ。
俺はその現実の自分の姿に直面して、再び、はあーっと大きくため息をつくしかない。
K高で、生徒会の仕事に関わるようになって出会った後輩の中に、男同士なのにデキてるやつらがいた。その事実を知ってしまったとき、俺の中で目覚めてしまったものがある。
俺は実は。男に抱かれたいと思っている、そういう種類の人間だった、ということだ。
認めたくない気持ちはあった。だけど、俺は昔からジャニーズ系とか大好きで、片っ端からCD持っているし。限定販売のブロマイドや顔写真入りの団扇、Tシャツなんかも、いつのまにか結構集めてしまっていたし。
そうなのだ。俺は実はきれいな顔をした男が大好きだったのだ。
身体つきは細め。脚は長い方がいい。身長もそこそこあって。
顔の感じは、端正で、上品そうな、清潔感のあるタイプが好みだ。
そう。笑わないでくれ。
俺は「王子さま」みたいな男が好きだったのだ。俺は、王子さまに抱かれたい。
俺が、自分のそういう性癖に目覚めたばかりの頃、それはまだ俺にとっては漠然としたあこがれに過ぎなかったけれど。数か月前、俺は「彼」と運命的な出会いをしてしまった。
森村透。偶然下の名前が俺と同じ「とおる」だったので、名前を一発で覚えることができた。
森村はうちの高校を受験するために見学に来ていた中学生だった。俺たちは生徒会会館で出会い、少し言葉をかわした。
やさしげで整った顔立ち。礼儀正しい仕種。身長はまだやや小柄だったが、すんなり伸びた手足の長さから考えて、これから森村の背は伸びる。
そうしたら森村は、まさに俺の理想の王子さまだ。
森村にだったら、俺の初めてを、捧げてもいい。
俺はそのときから、毎日、森村のことばかり考えていた。
俺は生徒会現役書記の立場から、高校受験日当日の雑務を引き受けた。もちろん、森村の姿は遠くからちらっと眺めることができただけだったが。
でも受付名簿を見ることができたので、森村の受験番号をきちんと頭に入れた。合格発表の日に、森村の受験番号がきちんと合格になっていることも、確認済みだ。
そうして。今日、ついに、入学式なのだ。
入学式の日は2、3年生は休みになっているのだが、生徒会執行部に入っている俺は、式典に列席のため、堂々と登校できる。
そうだ。今日、とうとう、高校生になった森村と再会できるのだ。
森村は俺を覚えていてくれるだろうか。
あのテノールの澄んだ声で、
「徹さん……」
と呼んでくれるだろうか。
いや、森村も「とおる」だから、自分と同じ名前を呼ぶのは照れるかもしれない。前のとき、自己紹介した俺のことを、森村は、
「蓮見さん」
と呼んでくれた。
それでもいい。森村の声を聞きたい。話しかけてもらいたい。
森村と再会できたら、俺はまず自分の気持ちを告白して……。いや、まず、交際を申し込む方がいいんだろうか。
いやいや。なにしろ男同士だ。お友だちから始めないと、まずいのかもしれない。
メールアドレスの交換、というのもいいな。
森村は生徒会に入りたいと言っていたから、生徒会室にまた案内してやる手もある。生徒会室には、扉で仕切られた生徒会長室があって、そこにはソファーがあったりするんだよな。
ああ。もしその場所で偶然森村と二人きりになってしまって。なにかとてもいい雰囲気になって。いきなりソファーに押し倒されるようなことがあったら、どうしよう。
そうだ、俺は森村にだったら、なにをされてもいい。
だから、万が一のことを考えて、きちんと準備をしておかなくては。
まずは、ローションだ。ローションは絶対に必需品だ。
それと、ゴム、だな。森村の分だけでいいから、三つくらい……いや、待て。生徒会室にシャワーのような気の利いたものがあるわけじゃないから、俺も一応はめた方があとしまつが便利かもしれない。ゴム、あと三つ追加しておこう。
それから、ウェッティティッシュ。これも絶対に必要だな。
おっと、意外な盲点は、普通のティッシュだ。これがないと非常に困ることになる。まさか箱ごと持ち歩くわけにはいかないから……ポケットティッシュを……うーん。一回につき、ひとり1パックくらい使うかもしれないから、とりあえず、6つだ。
森村は……初めてだろうか、男とするのは。俺のバックを、きちんと指で馴染ませてからするってこと、知っているのだろうか。
俺だって経験はないけど、知識としては俺の方が詳しいってこともあるかもしれない。そうしたら、俺が森村の指を、その場所に導いてやらなくちゃいけないんだな。
そんなところに直接指入れるのいやだ、なんて言われてしまったら、困るよな。やっぱり、初めてなら、直接触れるのに抵抗あるのあたり前だろうし。
よし。やっぱり、医療用の手袋も持っていこう。通販で買ったプラスチックグローブ、というやつだ。指サックも自分で試してみたが、手袋の方がいろいろと都合がいいことがわかった。これを3ペアくらい、と。
それから、俺のあの場所にキスとか、躊躇せずにできるように、ラバーダムだ。歯科用の薄手のゴムでできた膜。これは4つくらいか。
俺はそれらの荷物を、今日学校に持っていく予定だったカバンの中に全部詰め込んだ。俺はカバンの金具をきちんと確認する。
うっかり道の途中で、中身をぶちまけたりしないように。
よし。準備万端だ。
さあ、学校へ行こう。
ああ、森村。彼との再会が楽しみだ。
待っていてくれ、森村。
朝食を終えた俺は、意気揚々と玄関の扉を開け、桜吹雪の舞う並木道を歩き始めた。
えんど