夜行抄
何度でもやり直しの効くゲーム。
枯れない花。
割れない石。
変わらない ……。
「趣味悪いよな」
「……開口一番に言う台詞かい? それが」
「本当なんだから、仕方ないだろ?」
「当麻……」
眉を顰めて彩り良く生けられた花を睨む当麻に、隣に座る征士が遠慮がちに窘めるような声で呼び掛ける。
「ああ、いいよ、征士。気にしなくて。当麻がこういう性格なのは知ってるから」
「こういう性格って?」
「無礼者だってことさ」
「……それ、性格か?」
「なんなら、尊大で自分勝手で己の言動を振り返らないって、言い直しても良いけど」
「自分の方がよっぽど尊大なくせに…」
「なんだって?」
「べっつにー」
言い合いもそろそろ面倒になったのか、投げやりな返事をする当麻に、征士は口は挟まないものの、心配そうな視線を向け続ける。
「ま、これくらいにしとこうか。征士が居心地悪そうな顔してるしね」
無表情だと自他共に認める征士の表情を、この優しげな容貌と辛辣なもの言いをする青年は実に良く見抜く。
『征士のはね、動きが小さいだけで含みや演技がないから、簡単なんだ』
彼…毛利伸はあっさりそう言いきるが、彼が卓抜した眼力の持ち主なのは疑うべくもない。それが生来のものなのか、その職業故に磨かれてしまったのかは、もう誰にも判別できないことではあるが。
彼の職業 いわゆる、バーテンダーだ。
「さて、今回は結構久々だけど、どう? 何か変わりはあったかい?」
柔らかい色調のインテリアに、暗過ぎも明る過ぎもしない間接照明の灯り。椅子の配置や観葉植物に至るまで計算しつくされた店内は、バーというよりもっと家庭的な印象を与える。実際、バーが本当なのか、食事が本当なのか若しくは喫茶なのかは、マスターである伸自身あんまり気にしてないらしい。
『僕はただ、お客様にリラックスして欲しいだけなのさ』
以前、その無節操さを指摘されたとき、伸はそんなことを言っていた。事実、何時来てもこの店は居心地が良い。当麻が悪趣味と言った花だって、征士の目には充分に美しく和やかに映る。……尤も、当麻は己の主張通り、花を見るのも厭だと言うように視線を逸らしていたが。
伸がこの店をオープンさせたのは三年ほど前の話だ。それ以前からの知り合いだった当麻に連れられて来て以来、征士もこの店の常連なのだが、それ以上に伸には随分世話になっている。それこそ、家族のように。
三年前、征士は新宿の街で行き倒れているところを拾われた。外傷は全くなかったが、記憶の総てを失っていて、己の名前どころか、言葉すら判らない状態だった。白い肌、金色の髪、紫の瞳という外見からみて、当然日本人とは思えない。加えて一目見たら忘れようのない精緻な容貌に、文句なしのスタイルときたら、すぐに調べはつくものと思われた。だが、どれだけ調べても征士の身元は知れず、思いつくどの言語にも反応は返らない。
医師の診察の結果記憶喪失と診断されて、征士は就籍の申請をした。伊達征士という名は、だからその時に付けられたものでしかない。
名付けたのは当麻……新宿の街で征士を拾ってくれた彼だった。
当時、大学院に在籍していたという彼に、拾われた征士はカモの仔よろしく懐きまくった。いや、懐くというか張り付いた。なんの言葉も判らない、図体の大きい赤ん坊同然だった征士は、当麻の姿が少しでも見えないと探しまくった。どれだけ宥められても、実際に姿を目にするまでは止めなかった。それくらい不安で仕方がなかった。
言葉も覚え、普通の日常生活を送れるようになった今でも、実はそういう所があって、征士は当麻と一緒に居たくてしょうがない。
「いや、特に何も変わりはない」
当麻が居ないと不安になるのも…心中でそう一人ごちると、征士は苦笑と共にそう応える。
「記憶の方もかい? 何か気に掛かることとか、妙に引っかかることとか、懐かしいような気がするものとかはないの?」
「特には。……まぁ、気に掛かることと言えば、当麻の夜型生活くらいだ。何度言っても暗い部屋の中でゲームをするのを止めないし」
「あれはゲームじゃなくて仕事! それに俺は元々夜型なんだよ。言っとくけど、陽にあたったら溶けるからな、俺」
「昨晩のは仕事かも知れないが、一昨日と、その前はゲームだったろう?」
「俺は! ゲームするのも仕事の内なんだよ」
「あ〜、はいはい。それぐらいにしてね。喧嘩するほど仲がいいのは知ってるけど、一応店には他人様の目があるんだから。ところで、征士の就籍許可、やっと通ったんだって? 良かったよね」
「ああ。伸には本当に世話になって」
「そんなのは構わないさ。どっかの誰かさんと違って、征士は全然手が掛からなかったからねぇ。でもまぁ、記憶は戻らないまでも、良くこの短い間でここまで身に付いたもんだよね?」
何がと視線で問えば、伸はにっこり笑って、
「言葉とか常識とか生活習慣とかが、さ」
「ああ、伸のお陰だ」
「どういたしまして。君の飲み込みが良かったのさ」
「………それだけかよ、お前」
「当麻?」
カウンターに頬杖をついた当麻が、ふてくされた声を上げた。
「右も左も判らないお前を拾って、喰わせて、言葉を教えて、養ってやったのは誰だ?」
「当麻だ」
「一足す一から初めて、お前をバイトが勤まるまでにしてやったのは?」
「当麻だとも」
「で? なのになんでそれが『伸のお陰』なんだよ」
拗ねたもの言いに、苦笑が零れる。
「そうだな、なにより当麻のお陰だ。感謝してる」
「判ってればいーんだよ!」
ふんぞり返る当麻を、征士は微笑みながら見つめている。
「何偉そうなこと言ってんの!」
呆れきった声が、和やかな雰囲気をぶち壊す。
「君ねぇ、そりゃ征士を拾ったのは君、身元引受人になったのも君、住むところを提供したのも君だけど、それ以外の細かなことって、結局僕がしたんだよ? 忘れたとは言わせないけど」
「う……」
「君ときたら、夜型だの、陽にあたると溶けるだの言って、面倒臭い手続きはみんな弁護士任せ。その弁護士だって僕の紹介だし、料理も買い物も洗濯も掃除も、君ったら全然出来なくて、結局僕が! 征士が出来るようになるまで教えてあげたんじゃないか」
「で…でも、言葉を教えたのは俺だぞ。他にも勉強は殆ど…」
「確かにね。一般常識と生活習慣以外はね。ああ、あと家事もか」
歯に衣着せない…だけに正確な事実の追求に、言い返したくてたまらない当麻はだが、伸の手にあるいい匂いを漂わせた皿を目にして、ぐうの音も出ない。
「う〜」
「それにねぇ、当麻も思ったろうけど、征士って凄く飲み込みが早いんだよね。やっぱり記憶を失っているって言っても、どこかに残ってるものなんだなぁって思ったよ」
「残ってる?」
「そう。多分記憶喪失っていうのは、『思い出せない状態』なんじゃないかな。こう…鍵の掛かったドアの向こう側に記憶があるんだけど、どうしてもドアの開け方が分からないって感じ」
「成る程」
「でもさ、征士自身本当は『知って』いるわけだから、新しく教わったにしても憶えが早いんだと思う。…言うなれば『復習』ってことかな」
「ふむ……」
「思うんだけど、今の征士の性格も、あながち以前からのと大差ないんじゃないかって気がするんだよね。じゃなきゃ、この当麻に育てられて」
言いながら伸は、箸を動かしながらもカウンターについたまま、という行儀の悪い当麻の肘を軽く叩く。
「君がこんなに律儀で真面目な性格になる訳ない」
良い子良い子と頭を撫でられ、しかし相手が伸では睨むことすら出来ず、征士は黙って甘受するしかない。
「……大人になったねぇ、征士」
無言で耐えている様が、まるで子供の無体をじっと我慢しているハスキー犬のようで、伸は笑いを噛み殺す。
「それは褒められたのか?」
「勿論。君だって、その立派な体格でいつまでも赤ちゃんみたいだとか、言われたくないだろう?」
実際、この三人の中で一番背が高く肩幅があるのは征士だったりする。
「それはそうだが」
「まあ、今の君を見て三年分しか記憶がないなんて分かる人、居ないんじゃない? そろそろ一人前ってことかな。ねぇ、当麻?」
「………ああ、そう…だな」
一瞬の間を置いた、気の抜けた返事。いつもの事 なのに、それは奇妙に征士の胸の奥に引っかかった。
伸の店で夕飯を取ったあと、散歩しながら家へ帰ろうという事になった。桜の季節も終わり、夜歩きには悪くない季節だ。
以前から夜には揃って出掛けたもので、完璧な夜型の当麻は勿論、人並みな生活を営んでいる征士も、夜に漂う気配の中に季節の移り変わりを知ったものだった。都会の中でもそれは確実に息づいていて、微かに匂い立つ花の香や、伸びゆく葉の匂い、さやぐ風がたてる葉ずれの軽さ、空気が含む湿り気の具合…そんな些細な、昼間の太陽の眩しさや人の猥雑さの中にすぐに埋没してしまう季節の欠片を、一体幾つ当麻と拾い集めただろう。
そんな時、たとえば当麻が気付いて視線が流れる。その先を征士が追って、探し当てて、当麻と瞳を合わす。たとえば征士が立ち止まって耳を澄ませば、気付いた当麻が含み笑いをして征士を振り返る。
記憶にある限り、毎日はそんな風に穏やかに重ねられていた。
記憶にある限り…………?
カチリ…と、征士の意識の中で何かが引っかかる。三年間……。こんな風に過ごしたのは、本当にそれっぽっちの間だったろうか?
「征士?」
いつの間にか足を止めていた征士に気付いた当麻が振り返る。
「ああ、なんでもない。今行く」
そうか? と少しばかり怪訝そうな顔をした当麻は、都会のネオンを背にして奇妙に浮き上がって見えた。まるで幾筋もの光が、当麻の周りで混ざり合い溶けあい、紗の膜のように柔らかく彼を包み込んでいるように見える。
眩しいのではない、闇の中にじんわりと滲み出しているような、柔らかで妖しい………。
「当麻!?」
「なんだー?」
慌てて呼べばあっさりと近付いてくる。間近になるにつれ、当麻を包み込む膜は薄らいだけれど、それでもやっぱり鈍い輝きの光の粒子が、鱗紛のように彼を取り巻いている。
「……どうした?」
真剣な眼差しで見下ろしたまま、何も口にしない征士に、当麻が不審そうに問い掛けてくる。瞳の色さえ見分けのつかない闇の中で、でも当麻の瞳は、ネオンを弾いて濡れたように光っている。
「征士? ヘンだぞ、お前」
当麻の言葉に我に返る。中途半端に浮いた手は何をしようとしていたのだろう?
征士が行き場のなくなった手を持て余している間に、当麻の手の方が征士の額に当てられる。
「熱はないよな? そんなに飲んだ訳じゃないし、気分でも悪いのか?」
「そんなことはない。ただ……」
見下ろしている自分。見上げている当麻。この腕で囲い込めるほど近くで……。そう…ならば、この腕はきっと…。
最初はおずおずと回されていた腕は、触れてもなんの拒絶もないのに力を得たのか、しまいには当麻の踵が浮くほど強く抱きしめていた。
「しばらく、このままで」
…きっと、これがおさまるべき場所。
安堵と不安を半々に感じながら、夜気に冷えたのかひんやりとした薄い肩に、征士は縋るように顔を伏せる。
「当麻……………」
「どうしたんだよ、ホントに」
ぽんぽんと、子供を宥めるように当麻の手が、征士の背中を叩く。
「なんだよ、どうしたんだ?」
「当麻は、ここにいるな?」
「ああ?」
「ここに…私と一緒に…居てくれるな?」
「何言ってんだよ」
「私を 置いていったりしないな?」
「…………ばぁか」
置いてくのはお前の方なんだよ。
呟く声は、ただ征士のシャツにだけ染み込んだ。
吸血鬼。ヴァンパイア。
その伝承は様々なパターンで世界各地に伝わっている。良く知られているのは、ドラキュラ伯爵を始めとする、小説や映画に登場する彼等だろう。
若き処女の血を好み、幻惑してはその白いうなじに二つの牙の跡を残して血を啜る。衰弱の果てに彼女らを待つのは、清められた死ではなく汚れた生。闇に棲み血を求めて徘徊し、太陽の光と十字架と流れる水と銀の弾を忌み、白木の杭で心臓を貫き首を切り落とさなければ何度でも甦るという。
それが真実であるか否かを知ることの出来た人間はおそらく居ない。何故なら、知った時には、既に『人間』ではなくなっているのだから……。
老いることもなく死ぬこともない そんな風に生きるとはどんなことか。
来る日も来る日も、変化はない。希望も目的もいつかはすり減り、生きることを倦みながらも、生き続けようとする生き物の本能は根強く、そんな自身を忌み嫌いながら生き続ける。
それでも…いや、だからこそ。一族は仲間を欲しがる。永く生きていく上でのパートナーとして…もしくは己と同じ不幸を背負う同類として。
花は枯れ、鉄は錆び、形ある物が壊れるように、長い年月は『ヒト』でない者の上にも変化をもたらす。往々にしてそれは『腐食』という形で現れる。歪み、崩れ、美しく愛らしかった女は、腐臭のような倦怠をまとわりつかせた毒婦になり、精悍な青年はその若々しい姿のまま、心は倦み爛れて老人の妄執を抱え込む。
そうして自らを破滅させてゆくのだ。
だから、一族になって尚且つ真実永い時を生きてきた者達は、深い孤独を道連れとすることになる。
当麻もまた、寄り添う影のような孤独に抱かれていた。もう自分でも判らなくなる位、永い間……。
世間から逃れ、昼の陽射しから隠れ、それでも生き続けてきた孤独から、当麻も何度か仲間を創った。
無理矢理ではなく、真実当麻と共に居たいと願ってくれた相手…当麻の正体を知らせた上でそう言ってくれた相手だけを、当麻は選んでいた。…そうでなければ、共に居ても意味がないと思っていたからだ。
欲しかったのは、もう思い出せもしない日向の温もりだったのかもしれない。
どちらにせよ、喩えそれが何より相手を強く縛るものだとしても、憎しみと恨みによって『誰か』と結びつくのは耐えられないと思ったから…。
事実、最初の四、五十年は穏やかな時を過ごせる。お互いに相手を思いやり、慰め、愛おしむ。何でもないことでも、二人で共有できることの素晴らしさは、当麻にとって何にもまさる幸福だった。
だが。
『当麻がいればいい。他には何も要らない』
真実そう告げてくれた相手…柔らかな眼差しを向けてくれていた相手も、やがてその声の優しさが消えて、視線が冷ややかなものへと変わる。その時々で理由は違ったけれど、最後には相手は自ら命を絶つか、当麻を殺そうとするのだ。
最後は誰だったろう。元は気丈な娘だった気がする。
『ご免なさい、当麻』
夜明け近く。東に向いた窓を背にして、彼女は泣いていた。
『もうこれ以上は駄目。どうして歪んでしまうの?……貴方の言ったとおりだわ。私、貴方を憎んでしまう。貴方も、私も、この世の何もかもが憎くて憎くて……。何で私が? どうしてこんなになってしまうの?』
『 !』
自分が叫んだ名を、どうしてか当麻は思い出せない。
『こんな私はいやなの。こんな私になったまま当麻と一緒に居たくない……でも離れられもしない……だから』
射し込んできた光は、真冬の弱々しい朝日…だが、それだとて臓腑が爛れ落ちる激痛と、致命的な最期をもたらす。彼女は部屋の奥にいる当麻にそれが届かぬよう己の身で遮りながら、別れの言葉を口にし……そうして塵となって大気に溶けていった。
彼女の名と顔。どうしても当麻はそれを思い出せない。だがそれ以来、当麻はもう連れを創るまいと決めた。
決めたのに。
当麻は部屋のブラインドを巻き上げ、窓を開け放つ。高層ビル街のネオンサインはは薄ぼんやりとした光の霧となって、街に覆い被さっている。
闇の消えた社会……そう言われて久しいこの街にも、だが闇はそこら中に蟠っている。
「闇はそれ程簡単になくなったりはしない……光がある以上は、ね」
そろそろ、いいか。
征士の戸籍が出来た事で、当麻もやっと踏ん切りがついた。これでもう、征士も生活に困ることはないだろう。日常生活にも不安はないし、仕事だって今はバイトも出来るようになったし、このマンションの名義も征士に変えたし、預金も作っておいた。何より征士は伸に気に入られてるから、大概のことは安心していられる。
「………」
見納め、とばかりに部屋を見回す。パソコンの中身はみんな綺麗にしてしまったから、データや履歴で当麻の足取りを掴むのは無理だ。他のものもみな何処にでもある、誰でも持っているような品ばかりで、『当麻』を特定づけるものはない。
そう、この部屋を一歩出るだけで、もう『羽柴当麻』という人間は存在しなくなる……。
「何処へ行くんだ」
ぎくり、と背が強張った。
「征士? お前、今日はバイトの日じゃなかったか?」
「断った。厭な予感がしたからな」
努めて当たり前の声を出した筈なのに。全然騙されてくれない相手に、当麻はそっと臍を噛む。
「へぇ? でもバイトのクセにそんな我が儘言ってて大丈夫なのか?」
別に大荷物を抱えている訳じゃない。ちょっと近くのコンビニに行くのと同じ格好なんだから。しらを切り通してしまえば、判るはずがない。
「甘いぞ、当麻」
は?
「私だって、この三年伊達に当麻と暮らしてきた訳じゃない。当麻の隠し事などすぐに見破れる。……当麻は私といるのが厭になったのか?」
急にトーンの落ちた声に、反射的に征士を見つめてしまう。
「当麻は時折、酷く辛そうな顔で私を見る。…隠してたのだろうが、それ位すぐに分かる」
ひとそよぎの風のような視線に気付いて、征士はそっと当麻の様子を窺う。直に視線を向けたら逃げられてしまうから、鏡や窓、コップや鍋に映る当麻を探す。すると困ったような哀しいような貌をした当麻が居て、やがて小さく溜息を吐く。
『どうかしたのか?』
やっと問い掛けるきっかけが出来、なるべくさり気なくそう切り出しても、当麻は決してそれを明かさない。『別に』と言われてしまってはそれ以上の手だてもなくて、征士はより一層当麻の様子に目を配るしかない。
当麻が征士を拾ってくれたから?
当麻をただ一人、頼る相手と思っているから?
『違う!!』
はっきりと自分の中からそう言いきる声がある。そんなものではない、と。
そう、当麻の姿が見えない時の不安だとてそうだ。心細い『不安』ではない。彼が自分を置いてどこかへ行ってしまうのではないか…そういう不安。その彼を見つけられないのではと思うその怖さが、雛鳥よろしく当麻について回る理由なのだ。
「私はずっと当麻だけを見てた。だから……お前が私を置いてゆこうとしているのも、薄々だが気が付いていた。………何故、なんだ? 私を嫌いでは、ないだろう?」
「征士………」
真っ直ぐに見つめてくる眼差しの強さ…かつて見たことのある激しさが当麻を怯ませる。当麻にとって、闇は闇ではない。灯りを消した室内の、こんな暗がりの中でも、征士のその真剣な表情…張りつめた貌は鮮明だ。
「なのに何故、私を連れていかないんだ………仲間にして」
「征士っ!?」
当麻の驚愕を置き去りにして、征士はシャツのボタンをゆっくりと外しながら、穏やかな口調で話し続ける。
「ずっと見ていたと言ったろう? 最初は確かに判らなかった…知識がなかったからな。でもふと気が付いて、調べられるものはみんな調べた。当麻は 吸血鬼、なんだろう?」
疑問符つきの、でも断定。
「花が嫌いなのも、陽にあたらないようにするのも、だからだ。そうだろう?」
シャツをはだけて、白いうなじを顕わにしながら、ゆっくりと征士は近付いてくる。
「どれだけ食べても当麻が太りもしないのも」
ぴたり。征士が立ち止まれば、その痛い程白いうなじは当麻の目の前だった。
「そうだろう?」
白い張りのある肌の下、暖かな血が規則正しいリズムを刻んで流れてる…その匂い立つようなエナジー…。ごくりと喉を鳴らしそうになって、当麻は慌てて視線をあげる。強い瞳が柔らかい光と幾ばくかの心許なさをみせて、当麻をひたすらに見つめていた。
そう…………あの時も、やっぱり征士はこんな風で………どうしても、俺はそれを振りきれなくて、でも。
「そうなら、何だって言うんだ?」
「当麻が吸血鬼だから…だから私と一緒に居られないと言うなら、私も吸血鬼になる。私を仲間にして、そしてずっと一緒に居て欲しいんだ!」
かつて同じ言葉を、同じ真摯な眼差しと、同じ切迫した声音で聞いた。耳を打つ誘惑、肌を刺す渇望。
そうして浅ましく手を伸ばした結果、は …。
もう二度と。同じ過ちは繰り返さない。
すうっ、と大きく息を吸う。
「……駄目だ」
「何故!?」
征士の大きな手が、当麻の腕をわし掴む。
「俺だって、学習機能くらいはあるんだよ」
当麻はにやりとタチの悪い笑みを浮かべ、するりと征士の手をすり抜ける。窓越しに見える星を散らばせたような夜景が、当麻の姿を縁取っている。
「当麻?」
一瞬たりとも力を抜かなかったのに、当麻を捉えておけなかった手に、征士は愕然としたけれど、視線は片時たりとも当麻から放さない。放せる訳がない。あんな笑みを見せられて。
穏やかで淋しい、なにもかもを諦めた顔。何も求めない瞳。
何もかもを……いや、私を切り捨てて。
行ってしまう……!
「この部屋…選別がわりにやるよ」
「当麻っ! 私は、私が欲しいのはお前だけだ」
「じゃあな」
「当麻ッ!!」
それは一瞬にもならない間。いきなり吹き込んできた風。身を翻す当麻の残像。残されたのは、開け放たれた窓と出遅れた自分。
「当麻 っ!」
弾かれたように窓へと駆け寄ると、征士は適う限りに身を乗り出す。見下ろした先はぽつぽつと明かりが見えるだけの暗闇。目を凝らし、喉が嗄れるほどその名を呼んで、征士は闇に紛れて消えた人の姿を探す。
桟を握りしめる手が白く強張る。びょうびょうと音を立てて渦巻く風が、征士の金の髪をなぶり、声を吹き飛ばす。
どれだけの時間が過ぎたのか、征士の眼を一筋の光が射た。眩しさに眼を眇め、征士はその光の正体を知る。向かいのビルの窓に映る朝日。
夜が、あけたのだ。
涼やかなドアベルの音に、伸はグラスを拭いていた手を止めて顔を上げた。
「済みません、今日はもう………征士!?」
照明を絞った店の中で、征士はまるで自身が光を発しているかのように立っていた。金の髪も、整った容貌も、姿勢の良い立ち姿も、確かにいつも通りの彼…征士本人なのに、何かが徹底的に違う。そこにいるだけ相手を圧倒するようなこの存在感は、今までの彼にはなかったものだ。
「閉店過ぎに済まない」
声も。確かに同じ声なのに、その響きには威厳すら感じられる。
「いいさ。そのかわり客扱いはしないけどね。今日は一人かい? 当麻は?」
「ああ……」
伸の問いに曖昧な笑み浮かべながら、促されたカウンターの席に座る征士を、伸はじっくりと観察する。そして征士自身、観察されていることに気付いているのを知った。
『征士だけれど、征士じゃない』
「なにか飲むかい?」
「そうだな、ウイスキーを。ストレートでいい」
「了解」
新しいボトルの栓をあけて、伸はグラスを二つ出す。その如何にも話し込むぞという体勢の作りように、征士は微かに笑みを浮かべた。
『流石に勘がいい……。』
「それで……?」
とくとくとくとく…。琥珀色の液体が、独特の芳香を放ちながら、精緻なカットの施されたグラスに注がれる。
「今日は 頼みがあって来た」
「頼み?」
グラスをゆっくりと揺らして、琥珀色の命の水が部屋の灯りを鈍く反射するのを見ながら、征士は深く頷いた。
「私達が住んでいたマンションの部屋の管理を頼みたい」
「管理って…何処か、行くのかい?」
そうだと頷けば、伸は一層探るような眸で征士を見据えてくる。正面からその視線を見返せば、ややもして伸は深い吐息をついてカウンターの中の椅子に腰を掛けた。
「君、記憶戻ったんだね?」
「ああ」
「それと……当麻の姿が見えないのは、関係があるの?」
それは直感。伸の問いに、征士は逡巡するような間を置いて、やがてゆっくりと、言葉を選び出す。
「そうだな。関係はある。だが順序は逆だ」
「逆って?」
「当麻が姿を消したから、私は思いだした。おそらくは……当麻を見つけだしたいが故に」
そう口にする征士からは飢えめいた気配がある。一点を凝視する瞳の焦燥。当麻と名を呼ぶ時の、こがれるような響き。
出会ってからこれまで、これ程何かを切望している征士など見たことがない。記憶がないことに対しても、心許なさは確かに感じたが、これ程までに渇望してはいなかった。
『なのに、ねぇ…』
つまり、一番大切だったのは当麻で、彼と一緒に居られたなら記憶なんか実はどうでも良かったってわけ? やれやれ。
心なしか肩を落とした伸に、気付いた征士からも苦笑が漏れる。
「良ければ………そうだな、私のホラ話に付き合ってくれないか?」
グラスの中身を空けた征士に、お代わりを多めのダブルに注いでやれば、そんな風に切り出してくる。伸は自分にも同じように注ぎながら、征士の話を促した。
初めて当麻と出逢ったのは、丁度今くらいの時期のウィーンでだった。私は日本から留学してきたばかりで知り合いもなく、どうにも身の置き所の無さを感じていた時期だった。
そう、私はこんなみてくれだが、本当に日本人なのだ。欧州に留学した父が帰ってきた時、赤ん坊の私を連れて帰ってきたのだと聞いた。
ぼんやりとだが、背の高い男性に頭を撫でられたのを憶えている。おそらくあれが父なのだろう。
今にして思えば、父とは血の繋がりがなかったのかも知れないが、兎も角私は日本しか知らずに育った。当時外国人など横浜あたりの居留地にしか居なかったから、周囲だけでなく親族からも白眼視された。父はどうやら可愛がっていてくれたらしいが、早くに亡くなったし。
だから私は早く家を出たかった。当然庶子だったから、長子とはいえ家督の問題もなかった。格式のある家だったから、私の存在そのものが汚点だった。
家を出るのは簡単だった。ただ二度とは戻れない…そういう条件だった。
日本が嫌いだった訳ではない。あの景色、育った屋敷の庭、街並み、四季折々の風物は、今でも懐かしい。ただどうしても私の居場所はそこにはなかったのだ。
私は独逸に留学した。
黄色人種への差別の根強い頃だったが、この容姿のお陰でその点だけは助かった。だが、所詮私は『日本人』だった。私の中に息づく習慣・道徳・倫理。感性や思想は完璧なまでの日本人で。ウイーンの街を歩く時、見かけばかりはこの街に馴染んでいても、やはり自分の場所を見つけられないでいる自分を見つけてしまう。
…もう、一生こうして異邦人のままかも知れない そう諦めかけた頃。
濡れた敷石が、月明かりを弾く晩だった。何と言うこともなく、月に釣られて夜歩きをしたくなった…それだけのことだった。
月明かりの下、菩提樹の影から当麻は現れた。それはまるで闇の中から不意に湧き出たように思えて、私は思わず足を止めて見入ってしまった。
多分、相当間抜けな顔をしていたのだろう。私に気付いた当麻は唇の隅で軽く笑うと、あの重さを感じさせない足取りで、真っ直ぐ私に向かってきた。
「なにか?」
初めて聞いた当麻の声だった。
「…………あ、その」
狼狽える私を面白がるように、当麻は片方の眉を器用に上げて、更に問い掛けてきた。
「俺がなにか?」
「あ、失礼……その……」
分かるだろうか? その時の当麻は、妖しいような清(すが)しいような…その両方の気配を漂わせ、真珠のような柔らかな光沢を帯びて……まるで月下に咲く白い花のようだった。
「貴方がまるで、月から滴り落ちた雫のように見えたので…」
「……ぶっ、ぶはははははははっ!!」
今思い起こせば、まったく赤面ものの台詞だ、確かに。だがだからといって初対面なのに笑い飛ばすことはないと思わないか? ましてや言った当人が、瞬時に仕舞ったと思っていたのだから。それが武士の情けというもの……。まあ、その。
兎も角、そんなことから私達は知り合いになった。
デカダンス色濃いウイーンの片隅で、私達は夜だけの親交を重ねた。次第に私にとって、大切なものは当麻と逢える夜だけになっていた。
流行のデカダンを楽しむようでいながら、時折当麻にまとわりつく虚無感は、そんなポーズとはまったく違うものだった。良く笑い、喋り、快活な振りをしながら、ひんやりとした井戸のように暗い何かを、当麻は抱え込んでいる…そう思えた。
殆ど毎晩、深夜を過ぎた頃に私達は逢っていた。名前しか名乗らず、住む場所も聞かないままに半年以上もそうしている間、十日に一度くらいの割で、当麻は初めて逢った時のように見えた。
夜の闇の中で濡れたように妖しく光る…ふらふら惹きつけられ、近寄らずにはおれないような彼。
当時、ウイーンの街では若い婦人の間で、奇妙な病気が流行っていた。大方は夜遊びが過ぎるが故の不摂生だと思われていたが、面白半分の噂も流れていた。
曰く、吸血鬼の仕業だと。
そうして私はそれが真実だと知っていた。
「今日は随分口数が少ないな」
「そうか……?」
明らかに何かを言い淀んでいる当麻に、私は内心の不安を必死で抑えた。吸血鬼の噂は日に日に広まり、私はいつ当麻が口を開いてくれるかと待ち構えていた。
私が一番懼れていたのは、何も言わずに姿を消されてしまうこと。何度も肌を合わせる間には、当麻の考えていることも、多少は分かってきていた。
彼が私を好いていてくれること、彼が孤独に倦んでいることも分かっていたが、それ以上に怖れていることがあるのも分かっていたから。
「あのな、征士。俺さ……」
きゅっと唇を噛んでから喋りだした当麻の、その作った明るさに、彼が私を置いてゆくことに…真実は何も告げず、姿を消すことに決めたのを知った。
「私を置いてゆくのか?」
「征士?」
「何故だ? 何故私も連れてゆかない?」
当麻の両腕を掴んで、瞳を覗き込んで、私は当麻に取り縋った。
「私が仲間じゃないからか? だから一緒に居られないのか?! ならば、私も仲間にしてくれ」
「せ…いじ……いったい…なに…を……」
「私をお前の仲間にしてくれと言ったのだ………吸血鬼に」
「吸血…鬼?」
流石の伸も余りに突飛な話に口ごもる。それくらいは予想していた征士は穏やかな笑みで応じた。
「そうだ。だからまさしく当麻は陽に当たると溶けてしまう。…あれは嘘でも冗談でもない」
「そ……うなの。でも、じゃあ征士きみは? さっきの話の流れから行けば、君も吸血鬼になったんじゃないか?」
「そうだ。渋る当麻を押し切ってな」
「そもそも、どうして当麻は渋ってたのさ。彼、綺麗な物好きだし、きみがいいって言ってるんだし、不老不死の吸血鬼なら、旅の道連れとか欲しいもんじゃない?」
伸の問いはまったくツボを抑えている。征士は苦笑を深めて更に話を続けた。
吸血鬼になる それはつまり当麻の血を飲むことだった。尤もそれも、飲めば誰でもなれる訳ではないらしい。吸血鬼になれない場合…その時はカラカラに干涸らびた死体になる。
私は迷わなかった。
「本当に……いいのか?」
「ああ」
「もう二度と太陽の光も、世間並みな生活も出来ない。誰も彼もが俺達を置いて成長しては、死んでゆく。秘密を、過去を、罪を背負って、人の生き血を奪っていかなきゃならない………未来永劫、ずっとだ。ずっとなんだぞ!?」
「だが当麻が居る。そうだろう?」
「………後悔する」
「しない」
「絶対する」
「絶対しない」
押し問答に勝ったのは私だった。私の為にそんな制止をかけながらも、誰よりも私を欲しがっているのは当麻だと、私は確信していたから。
当麻の血を飲んだあと、私は三日ほど酷く苦しんだ。体の中を掻き回されるような苦しみが去ったあと、世界は激変していた。
夜の世界は、今までの万倍もの美しさと驚異を私の前に晒けだしてくれていた。総てのものの輪郭はくっきりとその姿を見せ、風のさやぎが奏でるさまざまな音。昆虫、植物、この地上で生あるものが織り上げる夜の…闇の豊穣さを、当麻と同じ夜を、ついに私も手に入れたのだ。
それ以来、私たちは片時も離れたことはなかった。世界中が戦争に巻き込まれ、隠れ場所に困った時もある。それでも私は不幸だと思ったことも、後悔したことも欠片もなかった。
私にとって世界は充分に満たされていたから。
だが、当麻はそうではなかった。私の希望的観測が許されるなら、満たされてはいたのだと思う。ただ、これまでの崩壊の爪痕が(過去に当麻が創ったという一族の話は聞いていた。過ぎたことと判っていても、こみ上げる嫉妬はどうしようもなかったが)深く当麻の中に刻まれていて、どうしても最悪の事態ばかりを心配してしまったのだろう。
当麻は花が枯れるのを嫌った。枯れない花などない。ドライフラワーも造花も…紛い物も嫌った。
多分、同じように『私』が枯れること…腐ってゆくことを何より怖れたのだ。
私達の間が、そうして少しずつずれ始めていた頃、人類は目覚ましい科学技術発展の時代を迎えていた。コンピュータの発達とネットの発展は、当麻にとって願ったり適ったりだった。
手持ちの豊富な時間を、当麻はパソコンを使っての研究に注ぎ込んだ。何の研究なのかは私にはさっぱりで、当麻も決して口を割らなかった。
都会の無関心は我々の生活を生きやすいものに変えた。当麻のハッキングの腕はおそらく世界一だろう。パスポートも社会保険証番号も、日本の戸籍さえ当麻はその腕で手に入れた。
そういう書類さえ揃ってしまえば、都会での生活は快適だ。
私は当麻の分も人の血を…殺さない程度に取るなら、それは本当に簡単だった…奪ってきては、部屋に篭もって研究を続ける当麻に分け与えた。一緒に外出する機会は減ったが、当麻が私以外の誰をも見ない生活は、私には快適でさえあったから、私はつい、注意を怠ってしまったのだ。
当麻に対して。
まさしく、当麻は天才なのだろう。最先端の顕微鏡など機材が使えない分は、一族のこの五感の能力で補って、ついに当麻は吸血鬼を吸血鬼たらしめているメカニズムを発見したのだ。
『ウイルスとかバクテリアみたいなもの』だと当麻は言った。『これは一種の共生関係』なのだと。
それが最初にどこから始まったのかは判らない。だが、当麻が征士を一族にしたのは、つまり血を媒体にして当麻のなかのウイルスだかバクテリアだかを『移した』のと同じ事なのだと。そしてそのウイルスは自分の宿主の身体を、その能力を最大限にまで高めさせ、且つそのままの活動が維持できるようにサポートする。その見返りとして、ウイルスにとって必要な栄養素である血液を、宿主に採取させている訳だ、と。
ならば、そいつが消滅すれば元の身体に戻れるかも知れない。
そいつを殺すクスリは比較的早く作ることが出来たらしい。問題は一度吸血鬼になった身体が、もう一度太陽の光に耐えられるように…人の血液を摂取せずに生きていけるようになるか、だった。
幾つも実験を繰り返し、やっと満足できる結果が出たのだろう。とうとう当麻は実行した。
「……当麻、これは、なんだ?」
一族に変化した時に、まさるとも劣らぬ激痛が征士の中で駆けめぐる。
「ごめんな。今まで付き合わせて……もう、これでお前を返せるよ」
「とう………ま……?」
「真っ当な世界…昼間の世界にさ。お前、太陽の下で見たら、凄い綺麗だろうな……」
何を言って…と言うつもりの口は、もう動かなかった。
「お前のこと、好きだ。涙が出るほど。真っ直ぐで強くて輝いてて……だから、お前だけはどうしても歪んで欲しくない。綺麗なままでいて欲しいんだ。我が儘だって判ってる。でも…………」
泣くくらいならするな! そう、言いたかったのに。
「それが三年前の話だ。勝手に一人で日本に来た当麻を追って、私が日本に着いた日に、当麻にその薬を飲まされた」
「……つまり、君は無事吸血鬼から人間に逆戻りしたってこと?」
「そうなるな。お陰様で、真夏のカンカン照りだろうが目眩も起こさん」
「なんかそれ…君かなり間抜けじゃないかい? じゃあ記憶を失したのはどうしてさ。当麻がわざと?」
「それはどうかな。多分、人間に戻る際の変化による負担が大きすぎて、一時的に記憶が混乱しただけだと思う。当麻はそれに乗じたんだろう」
「それも希望的観測?」
「そうだ。……これから確認に行くつもりだが」
「って、居場所、判るのかい?」
「いや」
伸の問いに、どう見ても良くない返事を間髪入れずに返しながら、征士の瞳は笑っている。
「じゃあ……」
「だがきっと見つかる。見つけてみせる」
自信たっぷりに言い切るあたり、この間まで素直で可愛らしかっただけに小憎らしくて、伸はちょっと意地悪な気持ちになる。
「でもアテはないんだろ? 君もう人間だってことはさ、そうそう長生きできるもんでもなし、探してるだけで人生終わっちゃうんじゃない?」
「さてな」
伸の指摘する事実に、だが征士は眉一つ動かすでなく余裕を見せたまま席を立った。
「行くのかい?」
「ああ、見つかったら帰ってくる。それまで頼む」
征士の声に、澄んだ音色のドアベルが重なる。
「あ、征士!」
半歩ドアの外に足を出しかけていた征士が振り返る。
「今の話、なかなか良くできたお話だったけど、僕はハッピーエンドしか認めないよ」
「 私もだ」
はからずも見惚れてしまった。それ程に今の征士が浮かべる微笑みは 自信と、揺らぎない信念を持った彼の微笑みは壮絶で。
「………取り敢えず祈る先は神様かな?」
急にがらんとした店の中で、伸の独り言がぽつんと響いた。
外に出ると、もう朝日が昇ったあとだった。今、当麻は何処にいるだろう。ちゃんと安全なところにいるだろうか……。
「大事なところで、時々ポカをするからな」
まるで近くにいるかのように、征士は辺りを見回した。…そう、今見える範囲にはいなくとも、そう遠くではないはずだ。
確信がある。
「私がお前と離れていられないように、お前も私から離れてはいられない」
だからきっと、私の様子を知ることの出来る場所にいる。
「待っていろ」
枯れない花はない。
割れない石もない。
変わらない関係など、望むことも出来ないけれど……。
それでも。
2000.5.3 了
滝 江梨子女史はDREAM COMES TRUEという征当サークルで
イベントに参加しています。
今回寄贈してくれた作品は5月3日のSCCで出た新刊のものです。
次回参加イベントは6月11日東京文具共和会館(浅草橋)に参加予定。
(これ、征当オンリー?)
以降申し込み可能なCITY等に同名サークルで参加予定。