星に願いを
熱風が頬を煽った。
次いで降りかかる土埃に、僕は表情を変えずに心の中で舌打ちした。
土埃の向こうに色とりどりの短冊をブル下げた笹を持つ幼児がいるのが見える。
午後の日差しの、一番キツい時間帯。物陰すらなりを潜めてしまうとき。
どこぞの幼稚園の園バスが通り過ぎた結果だった。
駅から家までの、ほんの短い間、国道沿いを歩くだけなのに。
「七夕……ですか……」
嫌なものに出会ってしまった。と、頭の中のどこかで小さな僕が呟く。
僕は桐ノ院圭。実家は桐院と書いて同様に読むのだが、カタカナのノを入れることで読みにとまどう人々への説明を省いている。
職業は指揮者。近頃はM響常任指揮者のポストを得たがため、最愛の恋人であるバイオリニスト・守村悠季氏とは遠距離恋愛中。彼は、未だイタリアにてマエストロ・エミリオに師事し、研鑽しているのだ。
お互い、まだまだ研鑽の余地があるのを自覚もしているし、この遠距離恋愛も、音楽家としては諾々と受け入れたのだが。
いかんせん、プライベートの、恋心に関しては騒がしさが収まってくれない。
彼は今何をしているのだろう。
僕の心をとろけさせるあの笑顔を誰かに向けているのではないか。
それとも、僕を思ってセンチメンタルに涙しているだろうか。
……そうなら良いのにと思う。
実際には。きっとバイオリンを弾いているのだ。心を飛ばして、過去の偉大なるマエストロ達と語り合い、美しいメロディに自らの心を乗せて……。
そこには僕など入り込む余地もなく。
ああ、落ち込んできた。
今日は、そういう日なのかも知れない。
M響での仕事も、ただ一人のオペラ歌手の独りよがりに、まともな作品としてのし上がりが望めなかったこと。
それは、楽隊と、指揮者である僕とソリストの、ある意味戦争で。
音楽家としての自己主張が、ぶつかり合うのは仕方のないことなのだ。
それがあってこそ、互いの力を引き出して、思った以上の音が出せる場合も沢山のあるのだから。しかし、そういう効果が期待出来るのは、互いが互いの音を聞く耳を持っている場合だ。
自らの主張だけで、他のものの主張に耳をふさいでいる様では、高めるための歩み寄りすら出来ないではないか。
また、僕のポジションこそが、そういう一つ一つの自己主張を編み上げていく仕事を請け負うのであって。
そういう意味では、僕は今日の仕事に失敗したのだ。彼女を作品から浮き上がらせてしまったのだから。
あげく、彼女は腹を立てて帰ってしまった。
午後からの急なオフは、そんな彼女によってもたらされたわけだが、帰っても愛しの恋人が待っているわけでもなく。ただ不愉快さだけが腹に降り積もっている状態で。
そんなところに、アレだ。
おそらく幼稚園で作ったのだろう笹飾りを嬉しそうに迎えの母親に掲げてみせる幼稚園児とすれ違った。かすかなサヤ鳴りを耳に留め、つくんと胸の内が痛む。
僕は子供の頃の七夕の行事が嫌いだった。
願い事を書いた短冊。僕の書いたどれをとっても一つも実現したことはない。
書いて願い事が叶うのなら、誰も苦労などしなくなるだろうから、かなわない方がいいのかも知れないが。
そんな笹飾りは、最初こそ祖母へプレゼントしてみたが、裏のゴミ箱で発見したときは心が冷えた。笹が汚いからと祖母がハツに捨てさせたのだった。
以来僕は笹飾りを家に持ち帰ったことはない。短冊には喘息が治りますようにとか、大人受けしそうなことしか書かなかった。
だいたい、七夕というのも、川を隔てた恋人同士が年に一度だけ逢い引きできる日……なんて言ってしまうと、なんだか生々しかったりもする。
では、何故その恋人達は許してくださいとか、毎日会える様にしてくださいと願をかけないのかなとも思えるし。そんな願いが叶わないのに、僕らの願いまで手が回るわけがない。
……小学校の時には既にこんな事を考えていた自分が、何となく可哀想に感じた。
今の僕だからこそ。
ああ、もしも悠季にあの笹飾りを渡していたら……彼はなんと言うだろう?
きっと。即日ゴミ箱行きにはならなかったはずだ。
ふといたずら心が首をもたげた。
確か庭の隅には笹が自生していたはず。
久しぶりに……本当に久しぶりに七夕飾りを作ってみようかと思った。
初心に返って。自分と彼のためだけに。そうすれば、あの可哀想な僕は消えるかもしれないではないか。
願い事を書く短冊には全て悠季への思いをしたためよう。
風にそよぐ僕の思い。想像して、照れくさくも感じた。それが柔らかな快感に変換される。
思い立ってすぐきびすを返した。少々準備が必要だったから。
商店街の文具屋が七夕飾りのセットをワゴンに出しているのを見つけた。
短冊だけでは寂しいし……と言うことで、一番小さくて地味そうなセットを手に取った。「おや、桐ノ院さん、七夕飾りを作るんですか?」
フジミの団員であるファゴットの長谷川さんに声をかけられた。彼は商店街で肉屋を経営している。
「ええ、気分転換に。それに、天の川の恋人達にあやかろうかと思いましてね」
「おやおや、コンなら神頼みなどしなくても選り取り実取でしょうに」
「まさか……」
苦笑に笑み崩して辞去した。店に客が来たからである。
ところが長谷川氏は慌てた様子で店の外にでてきた。
「コン、コン! よかったらこれ」
差し出されたのは揚げたてのコロッケである。からっと揚がった小振りのそれは、よく子供達が駄菓子代わりに買い食いしているのを見かけるものだ。
……小さな頃、車窓からその光景を見てうらやましいと思ったそれが、僕の手に押しつけられた。紙袋越しの暖かさが、夏場とはいえ嬉しかった。
「ああ、おいしそうだ……」
思わず微笑んだら、長谷川氏はにっこりして頷いた。
「うん、俺んちの自慢の品だからね」
「ありがたく戴きます」
丁寧に頭を下げると照れくさそうに彼は店に駆け戻った。
七夕キットとコロッケを持って帰宅すると、玄関に飾ってある絵の中で光一郎氏がほのかに微笑んだ気がした。
「フジミ団員の長谷川さんからコロッケを戴きました。一つお付き合い下さい」
悠季の真似をして、小さな盆に水を一杯とコロッケを載せた小皿を置いた。
「……ソースは……いらなそうですね。この微妙な塩加減は、そのまま頂ける旨さです」
僕は子供の頃にしてみたかったコロッケの丸かじりをしてみた。
夢の味がした。
暖かくて、ほんのりしょっぱくて、油の香ばしい匂いと一緒に薄いハトロン紙の香りが鼻先を漂う。かりっとしたパン粉の食感、ジャガイモのほっこりした柔らかさに、挽肉とこしょうの粒の堅さがランダムに混じっている。
一つだったら子供の小遣いでも買える値段で。何か、小さな幸せという言葉がぴったりな……。
嬉しそうに囓り取る見知らぬ子供の笑顔を思い出し、僕はほっとため息をついた。
「あの顔は、このためだったんですね……」
玄関先で、コロッケを囓りながら、さて、笹飾りはどこに置こうとか……ボンヤリ考えていたら。
玄関をがちゃがちゃ言わせている人影が映った。
「あれ?」
聞き慣れた、優しいテノールが不思議そうな響きでもって聞こえた。
空耳に違いないと思った。
ドアにはめ込まれた小さな飾り窓の磨りガラスの向こうで、人影が揺らぐ。頭の位置から言っても、それは……まさしく。
それでも僕は信じられなかった。
彼がいるはずがない。ここに。この国に。
僕が開けておいた鍵を閉めてしまって、再度がちゃりと開けて……。
そんなことが出来るのは……。
「何だ、開いてたのか……」
「……悠季?」
僕のつぶやきは、聞こえなかったのだろう。開かれたドアの向こう、逆光の中の影は無言で、眼鏡だけがきらりと光った。
「圭っ? 帰ってたの?」
やがて玄関に入ってきて、驚いた様に言葉が発せられた口元は相変わらず綺麗なバラ色で。
小さなスーツケースとバイオリンケースを持った愛しのバイオリニストは、困った様に微笑んだ。
「光一郎さん、ただいま帰ってきました。イレギュラーですが。2日ほど泊めてくださいね」
ポカンと上がり口に腰掛けてコロッケを持ったまま見上げる僕のことは放って置いて、悠季は光一郎氏に手を合わせる。
それから、僕のコロッケを見て……
「何してるの?」
ああ……。泣きたい気分。
何で、そういうタイミングなんですかね。
パクパクと酸欠の金魚の様に口を動かし、僕は最初に彼になんと言おうかと頭を検索する。
連絡無しの帰宅は何故?
何で今?
何で先に光一郎さん?
ああ、もぅっ。
悠季は僕の顔を悪戯っ子の様に見つめ、僕の手の食べかけのコロッケを囓った。
「あっ」
「おいしーい。長谷川さんちのだね。」
郷愁を感じるとか言いながら、彼は僕の隣に腰掛けた。
「お腹減ってたからさ。ゴメン、君のを取っちゃって」
「いえ」
僕の声を責めていると取ったのか、彼は苦笑した。
「本当にイレギュラーだったんだよ? さっき着いたばっかりだし」
僕はもう一つのコロッケを彼に渡した。
「あ。サンキュ」
本当に腹が減っていたのだろう。悠季は即座にコロッケを腹の中にしまい込んだ。
「あー、帰ってきたって感じ」
満足そうに微笑みながら家の中を見回す。
やがて、彼を見つめ続けていた僕の視線に視線を合わせて見上げてきた。
「ただいま」
にっこりと笑い、そのまま唇が押しつけられた。
コロッケの味がする舌を絡ませ、僕は彼を抱きしめた。
ディープに吸い舐ってから、彼の澄んだ瞳をのぞき込む。
謎はどこに隠れてるのか?
キラキラと微笑みをたたえた瞳は、ただただ僕を見つめるのみ。
「お帰りなさいって言ってくれないの?」
ああ……。まだ夢を見ている気分だ。
だからこそ、言える子供じみた台詞を、僕は口にした。
「お帰りなさい、悠季。……たった二日ですけど」
すねた物言いにぷっと彼は笑った。
「ごめんごめん、電話、する余裕もなかったし、君を驚かせようかと思ってさ。麻美奥さんの親戚で不幸があってね。急遽先生といっしょに来たんだけどね。お手伝いのはずが、人手は余りすぎてるそうで。BEBEの顔見がてら気を遣う必要のないところでレッスンしておいでってさ」
エミリオ先生……。いい加減、その名は返上したいんですが……。
でも、感謝すべきなんでしょうね。ええ、感謝しますとも。
「……君も、ときどきは人が悪いんですね。本当に驚きましたよ」
「僕だって。君こそ何でこんな時間に家にいるのさ? オフじゃなかったはずだろう?」
「イレギュラーで、半ドンになりました」
「ふーん……」
不機嫌な要素を読みとったのか、彼はそれ以上つっこんでは来なかった。
「で、何で七夕飾り?」
キットの箱を手にとって、表示された中身を確認し始めた。
「……君を思いながら、逢瀬を願うために飾ってみようかと思いまして」
飾る前に、願いは叶ってしまったが。
「笹は? これから取るの?」
「ああ、はい。裏から適当に抜いてこようかと……」
「よし、笹は僕に任せて。一緒に飾ろうよ」
にっこり笑って、彼は外に飛び出した。
「あ……!」
2日なんて、アッという間である。少しでも一緒にいたいのに、一人で裏……ですか。 なんて。
「やっぱり、七夕飾りなんて僕は嫌いです」
いってみても詮無いことだけれど。どうも彼に関しては、僕の甘え心が更に童心に返ってしまうらしい。
仕方なく彼の荷物を引き上げて、居間へ移動させた。
ただ漫然と待っているわけにもいかないし。時間は有限だから。
短冊用の色紙を切る。
糸を通して、マジックペンと一緒に並べて。
やがて悠季がサヤサヤと音を立てながら笹を持ち込んできた。
「結構いい感じのがあったよ。ほらほら」
ああ……いい感じなのは君ですよ。
「短冊はどのくらい書きますか?」
「うーん、そうだねぇ。飾りは何個?」
キットの箱から出した飾りを並べ始める。
蛇腹折りを加工した紙細工は、綺麗な彩りと形をしていた。
「飾りを置いてみて、枝のあまり具合で決めようかな」
蛇腹を開いて丸めてから固定。
ひょうたんの形やら、丸いボールのようなモノやら……、市販の品は結構凝ったモノがある。
「子供の頃、この蛇腹を触るの好きだったなぁ。なんかボヨンとしてて、変な感じでしょ」
フワフワした紙ボールを僕に差し出し、彼は微笑んだ。
「ああ……本当だ……」
不思議な手触りだった。ちり紙で作った花のような。いや、花紙というのがあったな。そんな手触りの材質が、バネのように弾む。
「仙台とか平塚の七夕祭りなんて、こういう飾りの巨大版がいっぱいぶら下がるだろ? テレビで観てさ、触ってみたかったんだよなぁ、あれ……」
「ああ……。クラゲみたいな纏みたいな……そんなのがいっぱいありましたよね。そういえば」
銀紙細工の星や月、七夕と書いた短冊。クリスマスのオーナメントに何となく似ているが、七夕飾りはやはり和風である。
「まあ、七夕飾りはあんまり華美でも変な感じだから。こういう小さいのがいいのかもしれないけどね。圭、短冊にはなんて書くの?」
「……内緒ですよ。飾ってから見てください」
君に会いたい……とか、書けなくなってしまいましたね。これからの願いなら……一生君と番いたい……でしょうか。
一年に一度しか会えない人たちに、もっと沢山会いたいと願うのは申し訳ないかもしれません。そう。出来れば毎年あえるのを楽しみに出来る彼らにあやかって、ずっと恋しあえますようにとか。二人一緒に幸せになれますようにとか。
……なにかちがうな。
永遠を願うのは、少し僕のビジョンとは違う。
先のことより、今なのだ。今を大事に出来なければ、先など無い。
『今日もたっぷり愛することが出来ますように』
……門外不出の飾り付けだな。
それと。そうだ。
『僕らにミューズが微笑んでくれますように』
僕らは音楽家である。心から湧き出でる思いをメロディに乗せてこその。
各々が、自らの感性を昇華させて観客に受け取ってもらう作品を作り上げるのだ。
ミューズの微笑みは、それが上手くできたときにだけ与えられる。
だからこそ、他力本願という意味ではなく。
出来れば、あのオペラ歌手にも微笑みを。
そんな思いで短冊をつるした。
できあがった笹飾りは、居間から軒先に飾った。
フワリと風に揺れるたび、小さな鈴音がする。
七夕と印刷された短冊に鈴がついていたっけ。
蚊取り線香に火をつけ、縁側に腰掛けて。僕は空を見上げた。
幸い今年の七夕は晴れた。
銀河はどの辺だろう?
今年、恋人たちは逢瀬に成功したのだろうか?
僕らのように。
「夕飯、そうめんでいい?」
ビールと枝豆を盆に載せて、悠季が現れた。
「ああ、君は疲れているのに。僕がやります」
立ち上がろうとしたら肩を押さえられた。
「今すぐじゃなくてもいいだろう? とりあえず、乾杯」
「七夕の逢瀬に?」
「飾り付けの成功に」
カチンとグラスを鳴らして。一口飲んだ唇をじっと見つめた。
「……なに?」
「意地悪をいう君の唇を、どうふさごうかと考え中です」
ほんのり赤らんだ目元は、酒のせいか、僕の眼力のせいなのか。
「僕としては君をどう誘おうか考え中なんだけど……」
赤い唇がうっすら開いてつぶやいた。
「策を弄する必要はありませんよ。君が僕の目の前にいることが、すでに誘惑ですから」
塀の向こうはまだ雑踏がほのかに聞こえる。
昔ながらの石塀と、年輪を蓄えた立木の壁が、僕らの世界を守ってくれているのだ。
だからこそ。
笹を揺らすほのかな夜風に煽られて、僕は悠季の唇に僕の唇を重ねた。
ビールのかすかな苦みが渇きを促した。
彼の唾液をすすり上げる。舌を絡めてすくい上げるように。
彼は倒れそうな体を支えていた腕を僕の首に回し、身を任せるつもりになってくれたようだ。
そう、本当なら玄関ですでに抱き合いたかったのだ。
多聞、お互いに。
「ね、ねえ、圭……?」
彼のバラ色の男根が、僕に押しつけられた。
熱く燃えるそこは、早く僕に触れて貰いたいと誘っている。
前をくつろげて、彼の欲望の印を取り出した。
「君のここ……、もうヌルヌルですね」
羞恥に目元を熱く燃え上がらせて彼は頭を振った。
「言わないでよ。君は……今日は意地悪だ……」
「……すみません……。見栄を張りました。実は僕も……ほら、こんなです」
彼の手を導いて、僕の股間を示した。とっくに臨戦態勢である。
「そうめんよりも、こちらをお付き合い願いたいのですが」
「望むところだ。早く君を食べたいよ」
言うやいなや、彼はジッパーを下げて僕を取り出し、くわえ込んだ。
「あっ……ゆ、悠季……そんな……」
さやなる彼の髪に指を絡める。
狂おしく彼の頭をなで、僕は悠季の愛撫で達してしまいそうな快感の波をやり過ごした。
「ダメです、悠季……。イッてしまいそうだ……」
僕は、悠季と体を繋ぎたかったのだ。そっと指を舐め、彼の背から手を伸ばし、秘部に指を這わせた。
「あふっ」
悠季の舌の動きが鈍った。気を取り直す様に僕のペニスを嘗め回す。
ひくつくそこは、僕の指をリズミカルに絞りながら飲み込んでいく。
「ここに、はいりたいんです。君が欲しい……」
「あふっあんっ」
悠季の腰は揺れ始めている。僕も彼の口を突き上げてしまいそうで。
「来てください……悠季」
やがて彼は僕を手放すと、僕の膝にまたがってきた。
柱に寄りかかってあぐらをかく。
彼が僕を自ら飲み込むために体を押しつけてきた。
へそにつきそうな程に立ち上がって、真っ赤になっているペニスに、そっと指を絡めてみる。
「ああっ。圭……圭……」
握られた僕の先端が、彼の熱い火口に押しつけられた。
かすかに揺らしながら、彼の腰が沈められ……僕は快感の泉に落とされた。
しっかりとつながりながら、口づけ合う。
ここは縁側で……外の喧噪も聞こえてくるのに。
彼は何もかも目に入らないほどに僕を欲してくれたのだ。
「悠季……少しこのまま……動かないで」
そう頼んでも時遅し。
嬉しくて、恥ずかしい記録を作ってしまった。入れたとたんに出してしまうなんて。
夜風が頬をなで、少し冷静さを取り戻す。
しっかり抱きしめた熱い体は、今確かに僕だけのもので。
毎日夢にまで見た、生の悠季……。
そう思ったとたんに回復した。僕の硬さを増した感触に、彼が身じろぎしながらため息をついた。
ゆっくりと彼の先端を指でにじりながら腰を回してみた。揺すり上げる程度だが、彼は感じてくれている様だった。
「ああ……いい……。生の圭だ……欲しかったんだ……凄く、欲しかった……」
互いを煽る様に体を揺らめかせ、僕らは口づけを何度もした。
どこも手放したくなかった。
一年に一度しか会えない彼らは、こうして体を重ねたりするのだろうか。
子供の頃に知った物語では、どんな風に過ごすのか、聞いたことがない。
「一年に一度なんて事になったら……僕は耐えられそうもないです。こんなに、こんなに渇いていたんだと、今改めて実感しましたから」
「我慢……できない? 会えなかったら……浮気、する?」
「ばかな!」
疑いの眼ではなく、不安げな瞳で、そんなことをいう彼に、僕は小さな怒りを感じた。
セーブ出来なくなって荒々しく突き上げてしまう。
彼が喘いだ。苦しそうに。でも、嬉しそうに。何度も何度も突き上げて、彼をぐらぐらと揺すり上げて。抜けてしまいそうなほど引き出しては思い切り貫く。
彼の内壁が、悲鳴を上げそうなほど。
口元から涎があふれ、僕はそれをせき止めるように口づけながら啜った。
いつの間にか彼は達し、僕の動きに連動して、トロトロと精を垂れ流し続けている。
「この渇きは、君でなければ癒せない。君はどうです? これ無しでいたら、僕以外のものを代わりに使用するつもりですか?」
ガクガクと頭を振りながら痙攣する彼を、僕は固く抱きしめた。
「もしも、そんなことになったら……僕は君を殺してしまうかもしれません。君を失ったら、僕の渇きを癒してくれるものがなくなってしまう……」
僕はそのまま彼を抱き上げた。僕の怒張は、そのままの硬度で彼をつなぎ止めている。
彼にしがみつかせ、縁側の戸を閉めた。蚊取り線香も、ビールも枝豆もそのまま。
ソファに移動して、彼の服をはだけた。
「圭……僕もカラカラだったんだ……」
口づけの合間に彼が呟いた。
「半年も離れてたのは初めてだろ……だから……」
「心配だったのですか?」
「……ちょっとだけ。でも、あんなに早くイッちゃうなんてさ。杞憂だったね」
僕は、彼の出した精を指に掬い取って舐め、濃さを確かめた。
「一人でしてたのですか?」
彼は頬を赤らめて目をそらした。
「当たり前だろ。それしか……無いじゃないか」
「でも、足りなかった?」
彼の乳首を噛んでみた。息を詰めながら頷く様子が、かわいらしい。
「君がいないと、気持ちよくなれない…。君のしてくれることを思い出しながらしても、足りない……」
「最高の賛辞ですね。もちろん、僕も同じですよ、悠季」
見交わして微笑み合う。悠季の手が僕の髪をなでた。
「あの飾りみたいだ」
いきなりのつぶやきに、僕の動きは止まる。
「え?」
「七夕の、蛇腹の飾りだよ。ぐるりと回って背中合わせになって、やっと本当の形。今の僕らみたいだろ。……お互いに遠くを見ても、背中のぬくもりはいつもぴったり側にある。そんな気持ちでいれば、どこでもやって行けそうな……そんな気分になってきた」
「はあ……」
それでも、僕は真正面から彼を見ていたいけれど。確かに、離れているときはそんな感じの方がいいのかもしれない。
「不安てさ、どんどんふくらむでしょ。最近の僕の情緒不安定さを先生も見抜いてらしたんじゃないかと思う。君に会って来いって、そういうことだよね」
「最初から葬式の手は足りていたと?」
「たぶんね」
まあ、確かに普通はこんな事でわざわざ悠季まで帰国させないだろう。
「短冊に書かなくても、一番の願いは顔に書いてあったって事かなぁ。ちょっと恥ずかしいなぁ」
「……今更でしょう?」
くすくす笑うと、つながっている場所にひびいてくる。
悠季の笑いは喘ぎにかき消された。
「続き、しても良いですか?」
「ん……」
ゆっくりと動き出した僕の乳首に彼の手が添えられた。くりくりと愛撫されると肌が泡立つ。体中をまさぐりあいながら熱の交換をする、この行為は、僕にとっては改造手術に近い。
今日も、七夕飾りを疎んじる子供の僕が少しずつかき消されていくのを感じた。
暖かさが冷たさを凌駕していく。
「悠季……悠季……大好きですよ」
ささやきにいらえはかえってこなかった。
悠季の瞳はガラス戸の一点を凝視している。
惚けた様なうつろな輝きが、何かを追っている。
「……なんです?」
僕との行為に集中してくれないのですか?
心の中でぼやきつつ、視線の行方を追った。
ガラス戸の向こうに、小さな光がゆらりと横切った。
「綺麗……蛍……だよ。たぶん」
「こんなところで?」
「だって……他のものだと怖いじゃないか」
「まあ……そうですね」
確か、近くに大きな庭園を持ったホテルがあったっけ。彼処は蛍を育てていたと聞いた覚えがある。
別に、僕らの熱に浮かされた頭で見た幻でもいいけれど。
「あの光、一所懸命生きてるって感じで好きだな」
「ええ……」
光はやがて消え失せて。僕らはボンヤリ窓を見据えていた。
「圭……しよ。明日からの僕らのために」
悠季の腕が僕の背を抱き、唇が僕の下唇を噛んだ。
「はい……」
勿論、僕は彼に溺れた。
短冊には結局書けなかった願いが一つある。
『死ぬときも一緒にいられますように』
その時まで精一杯生きますから。どうか、神様…悠季を僕から奪わないでください。
それだけが、唯一無二の、僕の願いなのである。