瞳の中の青い鳥
「いい風だ……」
言いながらかき上げた栗毛色の髪は、さらりと彼の白い額に垂れ落ちた。
なるほど、確かに。
心持ち冷たい風は清々しく、ややもすればつまらないことを思い出してしまう僕の憂いを祓ってくれそうなくらい。
「……圭?」
そっと気遣わしげに僕を呼ぶ彼の声。
「……はい?」
「この旅は……好みに合わなかった?」
テノールが、所在なげに響いて。彼は……僕の憂いに気づいているようだった。
守村悠季。
繊細で凛とした音色を純粋に磨き上げて、優しく手渡してくれるバイオリニスト。
そして……僕のパートナー。僕が欲して、僕がつかみ取った、大事な大事な恋人。
お互いに音楽家としての確固たる道を築き始めた今も、変わらず大切な……唯一無二の存在。
「いえ……。君となら、どこでも天国ですし」
凪いだ海。抜ける青空と透き通ったマリンブルー。
潮風は気持ちよいが、潮騒の音は……好きじゃない。
いやな、いやな思い出があるから。
たぐり寄せて握りしめた指先がそっと僕の指にからみついたとたんに、彼が小さく吐息をはいた。
「つまり……ここは……一人ならうれしくない場所だった? もっと練れば良かったなぁ。せっかくのオフなのに」
「いえ……そんなことはないです」
クスリと彼が笑った。
「そんなこと……あるみたいだね」
悠季には嘘がつけない。彼は、微妙な僕の変化を、素早く読みとるのだから。
伊豆の海。
富士見銀行の保養所をかねた桐ノ院家の別荘は……この海に面したどこかにある。
母が本当の母ではないと知った場所。僕に対するほほえみが、義務と責任感から出たものだったと知った……場所。
「白状しろよ。半年ぶりのオフで、二人っきりの旅行って時に、何がそんなに君を憂鬱にするんだい? 何か……僕にいえない隠し事?」
悠季は大きなこぼれ落ちそうな瞳に悲しげな光を浮かべて僕を見上げた。
「あえなかった3ヶ月の間に……何かあった?」
あ……。
な、何か……勘違いを?
「あの……悠季?」
「永遠なんて……やっぱ無いのかなぁ。離ればなれだと……どうしても……」
「あのっ?」
「……た、足りなくて……誰か……」
「……君はどうなんです?」
……つい突っ込みたくなって差し挟めば、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせて。ウルウルと涙が浮かび上がってきた。
「や……やっぱりそうなんだな? 君……君は……」
「……浮気なんかしてませんよ。君こそ……そんなこと考えるなんて。何か……あったんですか?」
やぶ蛇な顔なんてしないで下さい。不安になるじゃないですか。
君を奪い取りたい輩なんて、そこここに掃いて捨てるほど居るのですから。
僕の敵は、世界中から君を狙っている男ども。
「……あったんですね?」
悠季の顔に躊躇の翳りが浮かんだことで、僕は肯定と見て取った。
「誰に、何をされたんです?」
地を這うような声だと、我ながら思う。
悠季は慌て手首を振る。
「な、なんにもないよっ」
「嘘おっしゃい。君は、うそを付いている。何にもなくて、そんな顔するのは変です」
「じっ実害は……なかったんだよ」
「では、ためらわずに話してくれますね?」
握り合った指先に力が入った。取りすがるような指先が、僕の心臓にきゅんと針を刺す。 何故彼が、家ではなく温泉旅行を選んだのか。
僕はもっと単純に考えていた。
フジミにかしましい新入団員が増えたことで、僕らが滞在中は愛の巣も何かと理由を付けては訪れる来客によりほぼ寄り合い所扱いである。
ゆっくり、誰にも邪魔されず、二人きりで過ごせる旅行に逃げ出すのは、僕としても大歓迎で。
彼が、何かを本当に僕にだけ話したいが為にこの旅を選んだとは思ってもみなかった。
それが、子供の頃のトラウマを背負ったこの伊豆とは……運命の女神も皮肉である。
「……君は?」
「は?」
「君も、何かあったんだろう?」
「いえ。そういうわけではありませんが」
(君に正直に話すためには……まだ勇気が必要です。すでに僕は認めてしまっている。あの頃の思いが、ある意味うがった見方だったということを)
「……まずは君の話を先に。僕のは、本当に……あまりにも遠い昔のことですので」
「……この3ヶ月間のことではないって言うんだね?」
「ええ。この伊豆という土地自体に、子供の頃からの思い出があるんです」
「……あんまりいい思い出じゃないのか?」
「ええまぁ……」
悠季は黙って波頭を見つめていた。
光の反射が悠季のめがねをきらめかせる。奥の瞳の輝きを隠してしまうほどに。
「失礼」
僕はそっと彼の眼鏡を取り上げた。
「な。なんだい?」
「君の瞳が反射で見えないのです。今の僕にはしっかりのぞき込むことが大切でして」
「……その分、僕は君の表情の変化を見落としてしまうよ。そんなの困る」
眼鏡を取り返そうとする悠季を抱き込んだ。
「僕の表情なんて見なくてもいいです。どうせポーカーフェイスに固めてしまいますから」
「もうっ。僕には君のポーカーフェイスなんて効かないったら!」
「だったら、いいじゃないですか。きっとよく見えなくたって分かります」
「馬鹿……」
怒りなんて持たずに僕をののしった唇をそっとついばんでみる。
同じようについばみ返してくる柔らかな唇を舌でこじ開け、唾液を絡ませて彼をむさぼった。これから聞く話は少なからず不愉快なネタを含むのだ。甘い口づけでやり過ごさなければ……。
「……話してください、悠季。何があったのか……」
「イタリアはカソリックの国だろ?」
彼はそう話し始めた。
海を見下ろす小さなカフェテラスの隅に腰を落ち着け、僕は彼を守るように店内に向かって腰掛けた。
「……カソリックって、避妊も許さないんだったよね。子づくり以外のセックスはふしだらで背徳だって」
「……まあ、そういいますね」
「ロスマッティ先生達はそういうこだわりがなくて助かったけど。同性愛も、許されてないよね。悪魔の行為だって言う人もいる」
「ええ……」
憂鬱そうに低く響く悠季の声は、僕を奈落に誘いそうなもの。
単純な恋愛沙汰のトラブルではないのか?
「そうやって誰かに非難でもされましたか?」
場合によってはこの僕が悠季の不快を倍返しにしてやろうなどと考えながら尋ねてみれば……。
「非難なら、無視するか、音楽勝負かけるか……戦うのみなんだけどね……」
ハアと大きなため息。
「圭、これは過ぎた事への愚痴なんだ。これを君に話したからって、何も変わらないからね?」
ああ、もう前置きはいいです。君が今、僕のものだというのは分かっていますから。僕は中身が知りたい。
「分かりました。それで……どうしたんです?」
「ものすごーく親切な人が、僕を心配してくれてね。お払いするなんて言い出してさ」
「はあ? ……何故ですか?」
ええと、その……なんて、悠季は言い渋る。
「君をねらう男達が集まってくるのは君が悪魔付きだから……なんて言われましたか?」
先手を取って適当に言ってみれば、びくっと僕を見る目つきがおびえていた。
全く、何をされたというのです?
僕に素直に言えないなんて、よほどなことを?
「圭……君って、何でも分かっちゃうんだね」
はい?
冗談を肯定されて、内心びっくりしつつも余裕の微笑みを彼に見せつけた。
「君のことですからね。時々、君の瞳や唇には、本当に魔力があるんじゃないかって思うときもあります」
「僕としては、君にだけ効果があればいいんだけどね」
苦笑に笑み崩し、アイスティをカランとかき回した。
「元はといえば、先生のつながりで小さな教会のサロンコンサートに参加したのが始まり。
麻美奥さんがビオラを弾いて、バイオリンの僕と、チェロにコントラバス……カルテットをね、組んだんだ」
「ほう、聞きたかったですね」
「本当に短い期間のあわせだけで、あまり満足は行かなかったんだけど。考えていたよりも、ずっと受けが良くてホッとしてたんだよね。でも、後が悪かった」
「後?」
「控え室でバイオリンの手入れをしてたら、ファンになったって入ってきた女性がね。食事に誘ってきたんだ。もちろん断ったんだけど。麻美奥さんまで巻き込んで、ホームパーティみたくして食い下がってきたんだよ。断れないよな」
「……そうですね。どんな婦人でした?」
「黒髪と灰緑色の瞳の、美人。二〇代前半だって事だけど、色っぽさも物腰ももっと大人っぽい感じだった」
「……口説かれましたか?」
「……うん。なんか、僕のことを妙に気に入ってくれて。いや、光栄だって思うべきなんだろうけど、受け入れることは出来ないし」
「それで?」
「僕には決まった人がいますからって……」
照れくさそうにポウッと頬を染めた。
その姿が色っぽくて、瞬間的に股間の痛みを感じた。
「……じゃあ……何が問題?」
「ケイ・トウノインでしょう? ってきたんだよ。いきなり」
「ほほう。僕らの仲も国際的な話題に上るように?」
「んなこと言ってにやけてる場合? 君に迷惑かかるのだけは嫌なんだよ、僕は」
「迷惑なんかじゃありませんよ。事実は事実ですし。二人の問題じゃないですか、それは……」
「そうは言ってもねぇ。彼女、子供を産んであげるなんてね、言い出してさ。丁重にお断りしたつもりだけど、むかつきがモロ出ちゃったみたいで。想像だけでそこまで言う、彼女自体に嫌悪を感じたんだけど」
「当然です」
僕も同じようにむかついていた。それは、僕自身の不愉快な経験を思い出させる。
「そしたらね、『あなたは毒されてる』だって! 自分はどうだよって言いたかったよ」
やや興奮気味に怒りをぶちまける悠季は、本当は骨太な男。
「僕の音は清らかなんだって。それなのに、そういう悪に染まっているのは、何かに憑かれてるからに違いないってさ」
「……狂信的な女だったんですね。困ったものだ。手に入らなければ悪魔ですか?」
「全く、頭にくる。麻美奥さんがね、僕には婚約者がいるって説明してくれてさ。君のことを、男だってこと以外で表現しながら、なにげにケイ・トウノインとのつながりは否定してくれたんだ。ごめん。僕の口からは嘘でも否定は出来ないってのを、察してくれたんだと思うけど」
「かまいませんよ。そんな奴に理解して欲しいとも思いませんし。嘘は時には必要です。ああ……この場合は方便ですね」
「方便でも……嫌だったんだよ。君への裏切りのような気がしてさ。だって……君は……」
「僕も……多分うやむやをねらうでしょうね。君だって、迷惑をかけると言いましたよね。同じです。いいのですよ。気にしなくて。こうして、今僕といてくれる。それだけで……」
「くやしいんだ。自慢の恋人である君を、隠さなきゃならないなんて……」
「悠季……」
大きな瞳をわき上がる涙で輝かせ、僕をじっと見つめてくる恋人は、僕と視線が合うと即座にそらせてしまった。
「ごめん……僕は……小心者で……」
「いいえ。いいえ。そんなことはない。君は、僕を受け入れてくれたじゃないですか。あんなに悩んで……僕と一緒に寄り添ってくれたじゃないですか」
「悪魔憑き……だぜ? そう罵られて、僕は……固まってしまった。言い返せなかったんだ」
「ショックだったでしょう? 君が傷つけられていたその時に、居合わせることが出来なかったのが悔しいです。悪魔で結構。僕は君さえいてくれれば、何でも崇拝しますよ。悪魔にでも」
「圭……」
「宗教には、色々教えが含まれている。神様が見ていると言うことを前提に、悪い行いへの誘惑に耐えるなど、躾の要素でもあるのです。しかし。それを逆手にとって、誰が決めたのかも分からないルールを他人に押しつけ、危害を加えるのは間違っている。現に、悪魔憑きであるはずの僕らは、ミューズという女神に愛された特別な子供達だ。ねえ、悠季。自分の神を持つのは悪い事じゃないです。しかし、彼女の神は、僕らの神ではない。気にする必要はありません」
「……君なら……そういってくれると思ってた……だから愚痴った。あは、なんか……さ、他の人たちには聞かれたくなくて」
目尻を指で押さえてぬぐい、はんなり笑う。
君は、どんな表情をしても魅力的ですね。
そう、だからこその気がかりがまだあります。
「で、君、男達から襲われる方はなかったのですね?」
きょとんと小首を傾げて、悠季が僕をのぞき込む。
「なんのこと?」
「さっき、あたりだと言ったでしょう?」
「あっ。悪魔の方だよ。他は……」
眼鏡を押し上げ、アイスティをすすった。
「……実害ないし」
「何がありました?」
「なんか、ゲイだってことで何人かに誘われた。……もちろん断ったよ?」
「誰に……?」
「誰って、知らないだろう? 言っても」
「ああ……まあそうですが」
しかし、もしかしたら……
「彼女は、何故僕の名前を出したのでしょうか? ロスマッティ先生達が口外するとも思えないのですが」
「……そうだねぇ。そういえば……。最初は彼女の勘か何かだと思ってたけど。ほら、ローマでは、君と結構出歩いていたし。誰かが見て覚えてたんじゃないかな」
「前に……僕の馬鹿な乱痴気騒ぎの話をしたことがありましたね。あの中の誰かが……」
「あ、それは……ないと思うけど? 少なくとも声をかけてきた人たちは、あのバレンタインの日に紹介された人たちじゃないよ?」
悠季……。
それって、僕が他にもそういうことをしていたと言っている様なもんじゃないですか。
「うーむ」
こういうときほど自分の過去の乱行を悔やむことはない。
もしかしたら自分と関わり合いがあるかも等と勘ぐらなければならないのは情けなさすぎるのだ。
「……実害は……本当にないのですね?」
「うん。誓って本当だよ」
「……では不問に付しましょう」
「うん、よかった」
悠季がクスリと笑った。
僕が亭主関白ぶって支配欲を丸出しにしたときには、よくこんな風に笑う。
優しく、許しに満ちているのだが、僕をギクッとさせるのだ。
これが重なったら……いつかは許されないときが来るかもと。
喉元過ぎれば何とやらでついやってしまう僕は、今回も密かに自分のミスに舌打ちした。
しかし。
ホッとした表情をした君には、あとで白状して貰います。
不問に付すのは、今だけ。
今決めたんですがね。
「……君は?」
「はい?」
フワリと微笑んだ彼は、テーブル越しに腕を伸ばし、繊細な音を紡ぎ出す黄金の指先を僕に向けた。
「今度は君の番。せっかくの旅行にそのつまんなそうな顔は何故?」
条件反射で表情を固めかけ、相手が悠季なのだからと微笑みで崩した。
「……富士見銀行の保養所を兼ねた別荘が、あるんです」
「え? そうなの? じゃあ、圭はこの辺よく知ってるんだ?」
旅先を別の所にすべきだったかと途端に思いを巡らせ始めた伏し目がちの瞳は、僕のキスを誘うのに十分な引力を持っていて。
瞬時に周りをサーチし、身を乗り出して彼の唇をかすめ取った。
「ばっ!」
キョロキョロと辺りを見回す。
勿論誰も気づいてはいない。
「君のその態度の方が人目を引きますよ」
「き、キスでごまかす気じゃないだろうな?」
唇を拳で拭ってから、勢いで残りのアイスティを飲み干した。
「うっげほげほっ」
「ゆ、悠季っ?」
咽せて苦しそうな彼に駈け寄って背をさすれば……。
「……よう」
「はい?」
「出よう」
「はい……」
勘定を済ませ、外へ出た途端である。
悠季がくるんと振り返ると言った。
「別荘が見たい」
「急にどうしたんです?」
「近くなんだろう?」
「……さあ?」
悠季がいらついている。
僕がごまかしていると思っているのだろう。
「……10歳の頃に行ったきりでして。毎回車でしたし……土地勘がちょっと」
悠季の肩がすうっと落ちた。身体の力を抜いたのだった。何を考えたんですかね?
「なんだ……。じゃ、いいや。で? 君の話に、別荘はどういう関連があるって?」
「嫌な思い出があったんです。ただ、それだけです」
悠季はそれきり黙ってしまった。
疑問符はいっさい呑み込んでしまったようで。
ただ、たおやかな腕だけが僕に絡みついた。
「……悠季?」
悠季は黙って僕を見上げる。
大きな瞳だけが、雄弁に彼の考えていることを曝していて。
彼の瞳にうつる僕は………………。
なんて嫌な顔。
強張って、虚勢を張った、およそ素直ではないきかん坊がそこにいる。
悠季の育った家庭と、僕の育った家庭。あまりにも違う環境が、今の僕らを作っている。
「まさか、同情とか、そんなことを考えているんじゃないでしょうね?」
悠季は頭を振る。違うと。
でも本当はそうなのだと僕は思った。
「同情は要りませんよ。今の僕は幸せなのだから」
「圭、そういうつもりじゃないんだ」
慌てて言葉を重ねてくる悠季を抱きしめた。
おもむろに。リサーチもせず。
「圭? 圭!」
放してと吐息で語る彼を強く抱きすくめる。
「放せません。君は僕の青い鳥だから……」
「……僕はどこへも行かないよ。君と……一緒にいるよ?」
ぽんぽんと背中をさする様に叩かれて、僕は彼をゆっくり揺すった。
「そんなの……わかってます……ですが……」
遠くから大きな車のエンジン音が近づいてきて、悠季はさっと僕の腕から抜け出した。
ほどなく路線バスが横に停まった。
ふと見回せば小さなバス停のスタンドが。錆びてひしゃげた、年代物である。
プシューッと空気の抜ける様な音と共に、前のドアが開いた。
行き先を見て、僕は悠季の手を引いた。
「な、なに?」
「てがかりです」
バスに駆け足で乗り込み、僕は悠季をそこに連れ込むことにした。
カラカラッと小石が転がり、ぽちゃっと水音がした。
「足下……気をつけてください」
「圭、圭、何? ここ……ま、真っ暗……」
きらりと光ったのは悠季のメガネ。困ったようにメガネを押し上げる、あの癖がでたのだろう。
「……確か……この奥にある筈なんです」
何がとは言わずに彼の手を引いた。子供の頃の記憶をたどりながら、目線の高さの違いに戸惑う。
でも。周りの木立の様子は違えど、全体の風景は同じだった。
「何があるの?」
「……君に見せたいものがあるんです。別荘に滞在していたときに見つけたんですがね」
そう、あのときは、義理の母と父との会話を耳にして、思わず飛び出した先で見つけたんだった。
「圭、ちょっと待って、バイオリンが……」
「貸してください、僕が持ちましょう」
彼の腰を支え、右手にはバイオリンケースを提げて、薄暗がりのしめった岩場を歩く。
潮騒の音がくぐもった響きでもって、僕の目指す場所の在処を教えてくれている。
「青の洞窟……覚えてますか?」
「え? ああ……、うん。綺麗だったね」
微笑みを含んだ声が、悠季がこのミステリーツアーを楽しんでいてくれることを教えてくれた。
「そこを見てください」
僕は岩場のトンネルをくぐり抜け、悠季をそこへ誘った。
「わ……ぁ……」
感嘆符が溜息と一緒に漏れ出る。
トンネルを抜けた先は大きな一枚岩が横たわる広場のようになっていて、その向こうは青い輝きが充満していた。
あのときと同じに……。
洞窟は入り江に通じていて、岩だらけの内海が広がっている。
水は澄んでいる上に、水面は真っ青な輝きが目にまぶしいほどなのだ。
洞窟の上方が幾つか突き抜けて、そこから差し込む太陽光が作り上げる光のオブジェだった。光線がいくつもの層状になって海に降り注ぐ。岩をダイヤモンドのように見せながらたゆとう水面が表情を変えていく。
声もなく見とれる悠季の白い柔肌に青い大理石模様を刻印しながら。
「大きな所は観光船が入るんですがね。ここは、人間の手に落ちてはいません」
「……僕らは入って来ちゃってるじゃないか」
「ミューズの子供は特別ですよ」
「音楽……生まれそう?」
「そうですね、君が協力してくれるなら」
ピクッと悠季が身をすくませた。
言下の意味をくみ取っての反応だろう。
「……ここで?」
するの? と、か細い声音が続く。
「この青い光に包まれていると、不思議な気分になりませんか?」
そっと抱き寄せながら耳元にささやいてみた。
「岩場……だよ?」
「大丈夫。君に負担はかけません」
「なんで……また……」
「欲しくなったからですよ。僕の青い小鳥。今の君は本当に青い鳥だ」
「君も……だよ」
柔らかく湿った感触を唇に押し当てられ、背筋がふるえた。
悠季……悠季……
「同じですか? 同じ……なのですね?」
腕に込めた力が、悠季を呻かせた。
「嬉しい……です。あのときの僕は……一人でしたから……」
今は君がいる。君という人が僕を暖めてくれるから……
僕は悠季の肌をまさぐりながら彼のぬくもりを味わった。
青白く輝く彼の肌に、僕の刻印を赤く施す。
「あのときって……なに?」
喘ぎに遮られながら、悠季は必死に僕を覗き込んできた。
「前にここに来たときですよ」
どうやら彼は僕との行為に没頭してくれる気はないらしい。
「知りたいな。圭のこと……さっきの話にも関係、あるんだろう?」
「今は、すこし黙っていてくれませんか? 僕に時間を下さい」
僕は彼の唇を自らので塞ぐことによって言葉を封じた。
舌を導きだし、絡め合い、彼の口腔を存分に愛撫する。
着衣のままに彼のそこだけをあらわにし、後戻りできないように追いつめる。
「あっけ、圭っ」
幼く語尾をもつれさせながら悠季が僕の名を呼ぶ。
そう、質問はしないで、僕の名を呼んで……
「やっ……ここじゃ……や……あんっ」
「嘘つきですね。悠季、本当にやめていいんですか? こんなになっているのに……」
「ばっバカ………………っ」
「ほら、君の腰が揺れていますよ。ね、今は僕を受け止めてください」
コクコクと頷きながら彼がベルトを外した。
膝が笑っている彼を支えながら、一枚岩が重なる段々に彼をひざまずかせ、手をつかせた。ボトムは膝まで落とし込み、悠季の白い細腰だけを青い光の中にあらわにする。
そっと僕を押し当て、息を詰める。
悠季の熱さが僕を誘い、ゆるゆると揺れる腰が僕の亀頭をなで上げた。
ズブリと一気に彼の中に押し入る。
「………………っっっ」
声のない叫びが彼の喉から漏れ出た。
ガクガクと震える体が僕を揺さぶった。
「悠季っ……感じてるのですね?」
久しぶりに重ねた身体は、ぎこちなく凍結していたような気がしたのに。
こうして繋いでみれば熱くとろけて一つになろうと動き出す。
彼の内部は、熱く蠕動し、僕をめくるめく快楽に落とし込み始めた。
「うっ動いてっ。圭っお願いっ」
のけぞり、かがみ込みフルフルと震えたままにそんなことを言う。
一気にイッてしまいそうになったのを慌てて深呼吸して抑えた。
そっと彼の赤くなった耳たぶに舌を這わせる。シャツの中でうごめく僕の手は、彼の熟し切って固くなった胸の突起を探し当てると指に挟んで抓った。
「ああっ」
もう一つ。彼のバラ色に焼き上がった熱い中心も握り取る。
きゅきゅっと僕を絞る彼の蕾はそんな刺激で更にうごめくのだ。
「だめっ。そんなにしたら…………」
「僕が動かなくても、君が動いてくれています。素敵ですよ、悠季」
「ぁああっ、そんな…………はあ……」
抱き上げるように彼をのけぞらせれば、ぐいっと天を向く彼の中心は最大ゲージになってしまって。カクカクと振られる腰は無意識の律動の繰り返し。
僕の指をぬらす熱い先走りがねっとりとしたたり落ち続けている。
「やだ、圭、圭、お願いだから……僕を突いて」
ビクビクと全てが痙攣し、彼が僕の支配下に落ちたのを確認すると、そっと彼の耳元にささやいた。
「こうして熱くなる君の身体に、会えない間にふれたものは居ますか?」
「えっ……」
「僕以外に、こうして君にふれたものが……いるのですか?」
「何言って……」
イキそうでイけない彼の辛さが言葉を濁らせる。
「い……るわけ……無い……」
喘ぎ混じりにつぶやかれた回答に、一度だけ強く突き上げるともう一度動きを止めた。
「け、圭……?」
疑問符には乳首を転がして答えとする。
「本当のことを話していただけないと、僕はこのまま萎えてしまいそうです」
大嘘だが。彼の中から僕を引き出すふりをした。
途端に締め付ける律動が早まる。
「やあっ! やだっまだぬいちゃいやっ」
哀願する悠季の声に僕はすぐに決意を鈍らせてしまう。
「誰も……いない。君以外……いないよっ」
彼の喘ぎ混じりの言葉に「誓えますか?」と問えば。
強い頷きが何度も繰り返される。
とりあえず、僕はそれで満足することにした。
ゆっくりと突き上げ、彼を揺さぶって。
アアと何度も嬉しそうに声を上げ、果てた悠季に、そっと口づける。ほろりと伝い落ちた涙が唇に触れ、塩辛さに切なくなった。
僕の今していること……酷いですね。やはり。
「何も……なかったんだ……。僕は……誰にも……こんな事……」
済みません。悠季……。
潮風に身を震わせた悠季から僕を引き出した。
「圭?」
君はイッてないと瞳が疑問を投げかける。
僕は言っていないことを語ることにした。
「……小4のときでした」
「……」
「別荘で、父と母が言い争いをしていまして。話題の中心は僕でした」
黙って僕を見つめる悠季から、無意識に目を背けた。
今となっては僕の考え過ぎとも言える、あの、過去の傷。
それでもあの時はあの思いが全てだった。
「彼らの会話を耳にして、母の僕への愛だと思っていた全てが、義務感から生まれたのだと……僕は思ってしまったんです」
悠季が黙って僕を抱きしめてくれた。包み込むように。僕の全てを受け入れてくれるように。
「僕はそっと別荘を抜け出しました。闇雲に走って走って……誰も知る人のいないところへ……。義務感なんてものを持たせてしまう僕という存在を消し去りたくもあった」
そこで見つけたのがここです。
そう締めくくってもう一度青い輝きを見渡した。
光の方向が変わり、薄暗い海に変わりつつあるそこは、夢の後と言った風情。
「初めて見た輝きはこうやって色あせて……。僕はぼんやりここに座っていました。真っ暗になるまで。どこをどうやって辿り着いたのか、伊沢が僕を見つけてくれました。眠っている僕を連れ帰ってくれたんです」
ぎゅっと悠季の腕に力がこもった。
「圭……もういい……。君の思い出……受け取ったから。もう……いわなくていい」
悠季が大きな瞳を潤ませて僕を見上げた。
「君が闇に飲まれなくてよかった。僕といてくれて……よかった……」
悠季の言葉に、パランと頭の奥でメロディーが響いた。
心からわき上がる音楽は、常に優しい。
君が、僕に思い起こさせる音楽だから。
「ねえ、君がいない間、僕がどうやって我慢してるか知ってる?」
急に悪戯っぽそうに微笑む彼は、アップテンポの明るい音を生み出す。
「どうやるんですか?」
3度の和音が8度に重なる。僕の低い声が通奏低音として混ざる。
「君の写真を僕のと重ねるんだ。それから君の唇にキス。君の音楽を思い出し、君の振りを思い出し、僕の音楽を重ねるんだよ」
「……キスは出来るだけ生がいいですね」
「あたりまえだろ」
だから今はキス。
音楽は後。
キスの後は……もう一度。
「……そろそろ宿へ戻りますか?」
肌寒さに身支度をしながら彼に問えば、悠季も生な僕を堪能したいのだと気恥ずかしげな流し目をくれて頷く。
熱い風呂にはいって、彼を別の涙でぬらしたい。
そのきらめく瞳に僕を映しながら。
「……真っ暗になったら、おっかなくて歩けなくなっちゃうしね」
「では、急ぎましょう」
青い輝きは時間が来れば消える魔法。
でも、僕の中の輝きは消えない。
ずっと、何時までも……消えないで欲しい。
そっとたぐり寄せた手のぬくもりに、口づけながら願をかけた。
素材提供:トリスの市場